Re: ロシアに獲られた清の領土
投稿者: red_northwestwolf 投稿日時: 2006/12/23 23:48 投稿番号: [61954 / 66577]
termination36さん、こんばんは。
この2,3日、珍しく罵倒合戦が沈静化して、落ち着いて語り合うことができて嬉しい限りです。
出典の提示が必要と仰いましたが、実は私が前レスで提示した根拠は皆中国大陸からアクセスできない可能性のある(HPにそう書いてある)中国語版wikipediaのものです。
日本語のリンクを交えて中国語のもご提示します。
字数が膨大なもので翻訳作業が無理なので、yahoo翻訳サービスなどを利用してお読み下さい。
ここに要点だけを翻訳しておきます。
>「1896年以降」という条件と具体的内容について、出典を示して頂きたい。<<
貴方が提示したリンクの中に「カラハン宣言」が出ていますね。日本語で検索してみたけど、皆「カラハン宣言」は中国と結んだ不平等条約を廃止すると言っているが、実はそれは二回あったのです。そしてそれは中ソ国交樹立前日に署名した「中華民国とソ連邦の間の諸問題解決のための大綱に関する協定」と深く関わっています。
1919年7月25日付けの第一次カラハン宣言の中でこう書いてあります。
「ソビエト連邦政府は帝政ロシア政府が中国人民から略奪したもの或いは日本、協約国と一緒に略奪した全てを中国人民に返還した後、直ちに中国政府に、1896年条約、1901年北京協議及び1907年から1916年までの間に日本と結んだ全ての協定の廃止について交渉するよう提案する。」
更に、1920年9月27日に発表した第二次カラハン宣言第一条では「それまでに歴代ロシア政府と中国の間で定められた全て無効であり、それまでに獲得した中国の全ての領土と中国国内の全てのロシアの租借地を放棄し、その上、帝政ロシア政府とロシア資本家が中国から奪取した全てのものを永久的に無償で中国に返還する」ことを宣言した。
しかし、1924年5月30日に署名した「中華民国とソ連邦の間の諸問題解決の. ための大綱に関する協定」の第三条では口調を変えて、「ソ連政府の1919年と1920年の各宣言の精神に基づき、条約、協定等の改正を行う」として、第七条で「両締約国は第2条で規定された会議において、両国の境界を画定すること、ならびに画定に至るまでは現在の境界を維持することを約す」と盛り込んだ。
この協定が署名した翌日、中ソが国交を結んだのです。
http://www.sinica.edu.tw/~capas/publication/book/2002_3/6.pdf
http://news.xinhuanet.com/globe/2005-10/18/content_3637364.htm
http://www.cnru.org.cn/news_view.asp?newsid=206
http://www.beijingreview.com.cn/06-CN/06-20/w-1.htm
この、中ソ国境を画定し、新たな協定を結ぶ件については、1926年に両国が交渉しているが、成果をあげることなく終わり、国境画定問題は中ソ間の懸案として残った。その後、歴代中華民国政府はこの問題を正式に提起することはなかった。
>結局は、チベットには軍事侵攻して併合したが、外満州ではロシアの軍事力に対抗出来ないので、放棄したということではないか。<<
チベットとの間に条約或いは協定がなかったのですか。それともそれは独立した国だったですか。
>訒小平は、不平等条約があったことを確認しようとしただけで、外満州を放棄するなどとは言っていないのではないか。<<
訒小平発言の原文を前レスで提示したので、省略させていただきますが、確認をしたいなら「訒小平文選(第三巻) 1989年5月16日」で調べることをお勧めします。
http://gd.cnread.net/cnread1/zzzp/d/dengxiaoping/3/097.htm
この2,3日、珍しく罵倒合戦が沈静化して、落ち着いて語り合うことができて嬉しい限りです。
出典の提示が必要と仰いましたが、実は私が前レスで提示した根拠は皆中国大陸からアクセスできない可能性のある(HPにそう書いてある)中国語版wikipediaのものです。
日本語のリンクを交えて中国語のもご提示します。
字数が膨大なもので翻訳作業が無理なので、yahoo翻訳サービスなどを利用してお読み下さい。
ここに要点だけを翻訳しておきます。
>「1896年以降」という条件と具体的内容について、出典を示して頂きたい。<<
貴方が提示したリンクの中に「カラハン宣言」が出ていますね。日本語で検索してみたけど、皆「カラハン宣言」は中国と結んだ不平等条約を廃止すると言っているが、実はそれは二回あったのです。そしてそれは中ソ国交樹立前日に署名した「中華民国とソ連邦の間の諸問題解決のための大綱に関する協定」と深く関わっています。
1919年7月25日付けの第一次カラハン宣言の中でこう書いてあります。
「ソビエト連邦政府は帝政ロシア政府が中国人民から略奪したもの或いは日本、協約国と一緒に略奪した全てを中国人民に返還した後、直ちに中国政府に、1896年条約、1901年北京協議及び1907年から1916年までの間に日本と結んだ全ての協定の廃止について交渉するよう提案する。」
更に、1920年9月27日に発表した第二次カラハン宣言第一条では「それまでに歴代ロシア政府と中国の間で定められた全て無効であり、それまでに獲得した中国の全ての領土と中国国内の全てのロシアの租借地を放棄し、その上、帝政ロシア政府とロシア資本家が中国から奪取した全てのものを永久的に無償で中国に返還する」ことを宣言した。
しかし、1924年5月30日に署名した「中華民国とソ連邦の間の諸問題解決の. ための大綱に関する協定」の第三条では口調を変えて、「ソ連政府の1919年と1920年の各宣言の精神に基づき、条約、協定等の改正を行う」として、第七条で「両締約国は第2条で規定された会議において、両国の境界を画定すること、ならびに画定に至るまでは現在の境界を維持することを約す」と盛り込んだ。
この協定が署名した翌日、中ソが国交を結んだのです。
http://www.sinica.edu.tw/~capas/publication/book/2002_3/6.pdf
http://news.xinhuanet.com/globe/2005-10/18/content_3637364.htm
http://www.cnru.org.cn/news_view.asp?newsid=206
http://www.beijingreview.com.cn/06-CN/06-20/w-1.htm
この、中ソ国境を画定し、新たな協定を結ぶ件については、1926年に両国が交渉しているが、成果をあげることなく終わり、国境画定問題は中ソ間の懸案として残った。その後、歴代中華民国政府はこの問題を正式に提起することはなかった。
>結局は、チベットには軍事侵攻して併合したが、外満州ではロシアの軍事力に対抗出来ないので、放棄したということではないか。<<
チベットとの間に条約或いは協定がなかったのですか。それともそれは独立した国だったですか。
>訒小平は、不平等条約があったことを確認しようとしただけで、外満州を放棄するなどとは言っていないのではないか。<<
訒小平発言の原文を前レスで提示したので、省略させていただきますが、確認をしたいなら「訒小平文選(第三巻) 1989年5月16日」で調べることをお勧めします。
http://gd.cnread.net/cnread1/zzzp/d/dengxiaoping/3/097.htm
これは メッセージ 61951 (termination36 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/552019566/cf9q_1/61954.html