Re: 「列を崩さず行進すること」横
投稿者: non_reverse 投稿日時: 2006/10/26 15:08 投稿番号: [60561 / 66577]
より多くの仲間が生きて目的地にたどり着くこと。
これを信念とした決死の逃避行ならば、彼らの行動は悲壮な覚悟を伴ったものとして十分説明できると思います。
狙撃されても逃げ惑うな
→遮蔽物がないので逃げ場所がありません。あの深い積雪では走ることもままなりませんし、踏み外して転落したり雪庇を踏み抜くことにもなりかねません。また、走ることは体力の消耗を招きます。高地ではなおさらです。
撃たれても立ち止まるな
→立ち止まると確実に命中率が上がります。あのスピードでは大差ないでしょうが、少なくとも立ち止まるメリットはありません。
振り向くな
→振り向いたかどうかも確認できませんが、振り向くことで躊躇が生まれます。それで立ち止まったり動揺をすることはさらに危険を高めます。
伏せるな
→伏せていれば攻撃が止むものでなければ、体温を奪われるだけ無駄な行為です。狙撃する側から見れば、そこにいるのは分かっているので、そこに撃ち込むか立ち上がるのを待つだけです。また、伏せていても目的地は近づきません。
彼らを悲壮な逃避行に駆り立てたそれぞれの想いは分かりません。
政治的信念、弾圧からの解放、民族意識、宗教的情熱、いろいろ考えられますが、あの行動を支えたものは強烈な目的意識ではないかと思います。
ダライラマの信念はガンディも影響されたという非暴力主義であり、松本死刑囚と同列に語ることは暴言ではないでしょうか。宗教を害悪として否定するマルクス・レーニン主義の方かも知れませんが、私は宗教の持つ文化の担い手としての機能、倫理や道徳の支柱としての機能は肯定的に考えています。
これは メッセージ 60538 (kitaguninosaru1 さん)への返信です.
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