Re: 靖国参拝(cobapics0506z )追加2
投稿者: nao759kyon 投稿日時: 2006/08/14 22:35 投稿番号: [58417 / 66577]
>「之身」の之の後に続くのは名詞ではなくて、副詞の「親自」と読む例があれば、
>「之」の後ろに名詞が来るのが基本的ではあるが
何度も言ってるが、救いようのないバカだね。
「之」の後ろに名詞が来るのが基本と考えるお前が、中国語をそもそも理解しない救いようのない馬鹿なんだよ。
「之」の基本義は、説文に「出也、象艸過屮枝茎漸益大。有所之也。一者地也」(古音第一部)とある。通常「ゆく」と日本語で読まれるやつだ。
動詞が基本義なのに、「後ろに名詞が来るのが基本的ではある」などと考えるやつは、そもそも漢字に対して無知丸出し、バカ丸出しだね。
「之」と言う字は、これ以外にも仮借でいろいろな意味の、助詞・虚詞として使われる。
問題の『管子』の文の「之」は、仮借で使われているのだから、「基本的」も何もないのだよ。
助詞・虚詞で使われる場合も、代名詞、兼詞、介詞、連詞、語気詞、副詞(これも研究者によって分類の仕方も、名称も様々に異なる)などと分類される。
しかし語気詞とか、連詞ぐらいになると、あってもなくても良いものである。
昔の辞書では、「句中助詞、無意義」とか、「発声也」と書かれたものである。
要するに文章のリズムを合わせるためなどに、発音されたもので、実際の文中の意味は無いものである。
だから、「之」の後ろに、副詞が付く例があるかとか、いくら騒いで見ても、まったく意味の無い問題なのである。
「之」は、文章のリズムを合わせるために、どこにでも入るのである。
そんなことは、古文を読んだことがあるものなら誰でも知ってることなのだ(笑い)。
知らないのは、ニセ物のcobapics0506zぐらいのものなんだよ。
だから、『漢語大詞典』が「身」の字の副詞的用法がることを、認めていることを指摘すれば、それで十分なんだよ。
それで納得しなかったら、やっぱりcobapics0506zは、馬鹿だったんだと言う証拠にしかならない(笑い)。
>新釈漢文大系42、明治書院、遠藤哲夫著『管子』
遠藤哲夫の本は見てないので、今度どこかの図書館に行って見て確認してみよう。
問題は「①隔対」と説明してあるのか?②「道義」の字をどう訳してあるのか?③「治世」をどう訳してあるのか?④「身」の字をどう解釈しているかだな。
『「身」は、生きてこの世にあることを云う。』と書いてあるのなら、さして期待できない学者だと思うけどね。
あのころの中国哲学者は、そもそも現代中国語も読めないし、政治的にもいろいろ問題があった。
しかも、ネットの経歴で見ると、その人は日本の有名な右翼学者「宇野精一」の弟子だよ。東大中国哲学の出身だ。東大中哲と言えば、戦前戦後のしばらくの間、日本の右翼思想の根城だったんだけどね(その後は、違うが)。
うそだと思うなら、「宇野精一」と「右翼」でネットを検索してみたら(笑い)
面白いね、中国人が、中国人のそれも国家重点項目の注釈には反対して、
わざわざ日本の右翼学者の弟子の説を支持するのかね(笑い)?
冨山房の訓点・『和刻本諸子大成』などに至っては、中国古典語の読解としては、問題外だね。
なぜなら、江戸から戦前までの日本漢文の読みは、清朝音韻学の成果が反映されていないから、正確な古典語の読解としては、意味が無いんだよ。
日本の学者で言えば、戦後の倉石ごろからやっと清朝の音韻学が広まってくる。
だからそれ以前のものは、いくら数を重ねても、あまり参考にならないのだよ。
これもバカのcobapics0506zに説明しても、わからんことだろうけど(笑い)。
こっちも調べるが、cobapics0506zも早く「朱子語類』に、戦国時代の思想家「孟軻」のことを、「孟者」と言う例を早く出してくださいね。
それともあれはウソだったと言うのか?
「捏造屋」の次は、「嘘つき」と言うことになるぞ。
楽しみだね「朱子語類」が。
>「之」の後ろに名詞が来るのが基本的ではあるが
何度も言ってるが、救いようのないバカだね。
「之」の後ろに名詞が来るのが基本と考えるお前が、中国語をそもそも理解しない救いようのない馬鹿なんだよ。
「之」の基本義は、説文に「出也、象艸過屮枝茎漸益大。有所之也。一者地也」(古音第一部)とある。通常「ゆく」と日本語で読まれるやつだ。
動詞が基本義なのに、「後ろに名詞が来るのが基本的ではある」などと考えるやつは、そもそも漢字に対して無知丸出し、バカ丸出しだね。
「之」と言う字は、これ以外にも仮借でいろいろな意味の、助詞・虚詞として使われる。
問題の『管子』の文の「之」は、仮借で使われているのだから、「基本的」も何もないのだよ。
助詞・虚詞で使われる場合も、代名詞、兼詞、介詞、連詞、語気詞、副詞(これも研究者によって分類の仕方も、名称も様々に異なる)などと分類される。
しかし語気詞とか、連詞ぐらいになると、あってもなくても良いものである。
昔の辞書では、「句中助詞、無意義」とか、「発声也」と書かれたものである。
要するに文章のリズムを合わせるためなどに、発音されたもので、実際の文中の意味は無いものである。
だから、「之」の後ろに、副詞が付く例があるかとか、いくら騒いで見ても、まったく意味の無い問題なのである。
「之」は、文章のリズムを合わせるために、どこにでも入るのである。
そんなことは、古文を読んだことがあるものなら誰でも知ってることなのだ(笑い)。
知らないのは、ニセ物のcobapics0506zぐらいのものなんだよ。
だから、『漢語大詞典』が「身」の字の副詞的用法がることを、認めていることを指摘すれば、それで十分なんだよ。
それで納得しなかったら、やっぱりcobapics0506zは、馬鹿だったんだと言う証拠にしかならない(笑い)。
>新釈漢文大系42、明治書院、遠藤哲夫著『管子』
遠藤哲夫の本は見てないので、今度どこかの図書館に行って見て確認してみよう。
問題は「①隔対」と説明してあるのか?②「道義」の字をどう訳してあるのか?③「治世」をどう訳してあるのか?④「身」の字をどう解釈しているかだな。
『「身」は、生きてこの世にあることを云う。』と書いてあるのなら、さして期待できない学者だと思うけどね。
あのころの中国哲学者は、そもそも現代中国語も読めないし、政治的にもいろいろ問題があった。
しかも、ネットの経歴で見ると、その人は日本の有名な右翼学者「宇野精一」の弟子だよ。東大中国哲学の出身だ。東大中哲と言えば、戦前戦後のしばらくの間、日本の右翼思想の根城だったんだけどね(その後は、違うが)。
うそだと思うなら、「宇野精一」と「右翼」でネットを検索してみたら(笑い)
面白いね、中国人が、中国人のそれも国家重点項目の注釈には反対して、
わざわざ日本の右翼学者の弟子の説を支持するのかね(笑い)?
冨山房の訓点・『和刻本諸子大成』などに至っては、中国古典語の読解としては、問題外だね。
なぜなら、江戸から戦前までの日本漢文の読みは、清朝音韻学の成果が反映されていないから、正確な古典語の読解としては、意味が無いんだよ。
日本の学者で言えば、戦後の倉石ごろからやっと清朝の音韻学が広まってくる。
だからそれ以前のものは、いくら数を重ねても、あまり参考にならないのだよ。
これもバカのcobapics0506zに説明しても、わからんことだろうけど(笑い)。
こっちも調べるが、cobapics0506zも早く「朱子語類』に、戦国時代の思想家「孟軻」のことを、「孟者」と言う例を早く出してくださいね。
それともあれはウソだったと言うのか?
「捏造屋」の次は、「嘘つき」と言うことになるぞ。
楽しみだね「朱子語類」が。
これは メッセージ 58400 (cobapics0506z さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/552019566/cf9q_1/58417.html