Re: 靖国参拝(cobapics0506z)追加の訂正
投稿者: cobapics0506z 投稿日時: 2006/08/13 22:21 投稿番号: [58331 / 66577]
本当に君にはそこまで正しくて詳しい知識が持ち合わせてなければ軽々しく貧じりの知識を弄さない方が賢い。
お前みてえのは、そもそも本議論に勝ち目がないから、脇道に逃げただけの話ではないか。お前にはそこまでの知識を見込めていないのは本音だ。本当に正しい文献を扱いかたの議論なら、こんな話を持ち出してもよかろうが、管子、孟子など解釈と理解が本筋の議論なのに、なんてそういう所まで詰め込むのですか?
宜しいでしょうか。孟子、管子にある、まあ普通程度の文もまったく歯が立たないくせに、上古文献であるか否か、いくら拘って見せても所詮馬鹿の自滅する道に過ぎず、本末転倒だ。
まあカモフラージュを幾らかけてもむだだっつの。読めていない実績は隠せない。どうせ一個だけが読めないのではなくて、ほぼ全滅なんだから、いっそうのこと馬鹿の皮を思い切って剥けばすっきりするじゃないの?
>バカにつられて、二回も打ち間違ってしまったので、No58324は、後で削除願いを出しときます(苦笑い)。
No58324の書き込みは、これに換えます。<
馬鹿だからこそできたわざだよ。人のせいにするな。ばかばかしい。これから馬鹿の皮をじっくり剥がしておきますからね。
>『春秋公羊傳注疏』と言う本は、中国古典を好きで読む人なら誰でも知っていることだけれど、三層からできている。
○先秦時代に成立した「春秋」
○漢代ごろで来た「公羊伝」
○唐代に徐彦によりなった「注疏」<
そうなの?
馬鹿にもほどがある。お前は他人を正す以上、できるだけ正しい情報、解釈、知識を提供しなければならない(少なくともそのような注意を払わねば)
偉そうにこんなばかばかしいもんを、お前には前後三回も繰り返せるものか?普通分かる人なら、もう地に穴があれば入りたくなるぐらいだ。ここで二点だけを指摘しておきましょう。
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?action=m&board=552019566&tid=cf9q&sid=552019566&mid=57145
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=NW&action=m&board=552019566&tid=cf9q&sid=552019566&mid=58326
>『春秋公羊傳注疏』と言う本は、中国古典を好きで読む人なら誰でも知っていることだけれど、三層からできている。
○先秦時代に成立した「春秋」
○漢代ごろで来た「公羊伝」
○唐代に徐彦によりなった「注疏」<
【漢代ごろで来た「公羊伝」】とは、どういうことか?意味不明というより完全に馬鹿の上塗りだ。
公羊伝というのは、漢代以前にもあったものであり、前漢にもすでに官学に立てられた。証拠はとりあえず二点を。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%A5%E7%A7%8B%E5%85%AC%E7%BE%8A%E4%BC%9D
>公羊伝の作者について班固の『漢書』芸文志では、「公羊子」とするのみで具体的な名を挙げていない。後漢の戴宏は、孔子の弟子子夏が、公羊高に伝え、公羊高→公羊平→公羊地→公羊敢→公羊寿と伝え、前漢の景帝の時、公羊寿が胡毋生(こむせい・一説に胡母生(こぼせい)とも。斉の人)とともに竹簡にまとめ、董仲舒に伝えたという。<
http://ueno.cool.ne.jp/souryuu/sisou-syunzyu.html
>孔子の弟子子夏の弟子・公羊高(くようこう)の教えが代々口伝され、前漢の景帝の頃公羊高の玄孫の公羊寿と弟子の胡母子都等が記録したもの。公羊伝と略称する。<
これらの記述によれば、漢代に来たというのではなくて、その起点を漢代以前に求めなければならない。
分かったな!ばか者?
さて次へ
>○唐代に徐彦によりなった「注疏」<
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%81%E4%B8%89%E7%B5%8C
お前は言ったじゃないか?注が一つの層であり、疏がまた別の層をなすと。では、お前自身の分け方に従えば、【唐代に徐彦によりなった「注疏」】というのは、どういうことか?
東漢時代の何休の『公羊解詁』はどうする?切り捨てようか?は・は・は・・・
叙彦は『公羊伝疏』を著した。厳密に言えば疏であって、注疏ではない。
分かったな?お前も中途半端な知識しかしらないこと。
三つのことを
お前みてえのは、そもそも本議論に勝ち目がないから、脇道に逃げただけの話ではないか。お前にはそこまでの知識を見込めていないのは本音だ。本当に正しい文献を扱いかたの議論なら、こんな話を持ち出してもよかろうが、管子、孟子など解釈と理解が本筋の議論なのに、なんてそういう所まで詰め込むのですか?
宜しいでしょうか。孟子、管子にある、まあ普通程度の文もまったく歯が立たないくせに、上古文献であるか否か、いくら拘って見せても所詮馬鹿の自滅する道に過ぎず、本末転倒だ。
まあカモフラージュを幾らかけてもむだだっつの。読めていない実績は隠せない。どうせ一個だけが読めないのではなくて、ほぼ全滅なんだから、いっそうのこと馬鹿の皮を思い切って剥けばすっきりするじゃないの?
>バカにつられて、二回も打ち間違ってしまったので、No58324は、後で削除願いを出しときます(苦笑い)。
No58324の書き込みは、これに換えます。<
馬鹿だからこそできたわざだよ。人のせいにするな。ばかばかしい。これから馬鹿の皮をじっくり剥がしておきますからね。
>『春秋公羊傳注疏』と言う本は、中国古典を好きで読む人なら誰でも知っていることだけれど、三層からできている。
○先秦時代に成立した「春秋」
○漢代ごろで来た「公羊伝」
○唐代に徐彦によりなった「注疏」<
そうなの?
馬鹿にもほどがある。お前は他人を正す以上、できるだけ正しい情報、解釈、知識を提供しなければならない(少なくともそのような注意を払わねば)
偉そうにこんなばかばかしいもんを、お前には前後三回も繰り返せるものか?普通分かる人なら、もう地に穴があれば入りたくなるぐらいだ。ここで二点だけを指摘しておきましょう。
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?action=m&board=552019566&tid=cf9q&sid=552019566&mid=57145
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=NW&action=m&board=552019566&tid=cf9q&sid=552019566&mid=58326
>『春秋公羊傳注疏』と言う本は、中国古典を好きで読む人なら誰でも知っていることだけれど、三層からできている。
○先秦時代に成立した「春秋」
○漢代ごろで来た「公羊伝」
○唐代に徐彦によりなった「注疏」<
【漢代ごろで来た「公羊伝」】とは、どういうことか?意味不明というより完全に馬鹿の上塗りだ。
公羊伝というのは、漢代以前にもあったものであり、前漢にもすでに官学に立てられた。証拠はとりあえず二点を。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%A5%E7%A7%8B%E5%85%AC%E7%BE%8A%E4%BC%9D
>公羊伝の作者について班固の『漢書』芸文志では、「公羊子」とするのみで具体的な名を挙げていない。後漢の戴宏は、孔子の弟子子夏が、公羊高に伝え、公羊高→公羊平→公羊地→公羊敢→公羊寿と伝え、前漢の景帝の時、公羊寿が胡毋生(こむせい・一説に胡母生(こぼせい)とも。斉の人)とともに竹簡にまとめ、董仲舒に伝えたという。<
http://ueno.cool.ne.jp/souryuu/sisou-syunzyu.html
>孔子の弟子子夏の弟子・公羊高(くようこう)の教えが代々口伝され、前漢の景帝の頃公羊高の玄孫の公羊寿と弟子の胡母子都等が記録したもの。公羊伝と略称する。<
これらの記述によれば、漢代に来たというのではなくて、その起点を漢代以前に求めなければならない。
分かったな!ばか者?
さて次へ
>○唐代に徐彦によりなった「注疏」<
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%81%E4%B8%89%E7%B5%8C
お前は言ったじゃないか?注が一つの層であり、疏がまた別の層をなすと。では、お前自身の分け方に従えば、【唐代に徐彦によりなった「注疏」】というのは、どういうことか?
東漢時代の何休の『公羊解詁』はどうする?切り捨てようか?は・は・は・・・
叙彦は『公羊伝疏』を著した。厳密に言えば疏であって、注疏ではない。
分かったな?お前も中途半端な知識しかしらないこと。
三つのことを
これは メッセージ 58326 (nao759kyon さん)への返信です.
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