Re: 数学オリンピック
投稿者: tokagenoheso 投稿日時: 2006/07/20 07:58 投稿番号: [57087 / 66577]
日教組の責任について:
ゆとり教育で言われているような日本における教育制度の種々の問題が、わたしも「まだまだ問題はたくさんあるが、教育だけをどうにかすればよい問題ではない。」と書いているように日教組や文科省だけの問題ではないと思う。これらの組織は紛れもなく日本の一部なのだから。
しかし、日教組や文科省は教育の専門機関であり、その為の権限を与えられ、彼等の主導で日本の教育制度が作られている以上、彼等が責任を問われるのは当たり前だろう。まして、ゆとり教育に対する危惧の声はむしろ現場の教師達の間から多く挙がっていたといえるのだから、正確には現場を無視した机上の空論でゆとり教育が採り入れられたと言われても仕方があるまい。
体罰および子供の人権についていうなら、
わたしは子供に対する体罰は容認するが、ただし、体罰と虐待とは全く違う。感情のままに体罰を行うなどは言語道断だ。かつての教師の体罰は行き過ぎが多く、それが体罰のタブー視につながっているが、虐待と同一視した結果だ。判断力や理性が十分に発達していない子供に対し、言葉で言い聞かせて教えるには限界がある。体で憶えさせる事は必要と思われる。言って聞かせれば分かるというのは大人の勝手な思いこみであり、現実にはそうではないから子供は子供なのだ。
体罰とは憎しみで行うのではなく、あくまで思いやりで行わなくてはならないと考える。
子供にも無論人権人格はあるが、大人と同様の人権人格ではない。だから子供には一切の社会的責任が問われず同時に社会的権利が認められていないのだ。教育もまた大人が子供に施すものであり、放任して自主的に子供が自ら学ぶ姿勢を待つなどというのは大人の責任放棄に他ならない。
子供には好奇心があり、それぞれの才能がある。それを見極めのばしながら、そればかりではなく、基礎となる教育を強制的に施す必要もある。
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