中国

Yahoo! Japan 掲示板トピックビューアー

[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | 掲示板表示 | [ メッセージ # ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

Re: 日中戦争は日本の正当防衛行為 5

投稿者: ipodsd 投稿日時: 2006/04/13 15:05 投稿番号: [54225 / 66577]
日中戦争の直接的端緒   上海事件   1937

事件の発端は1937年8月9日に起こった、海軍上海特別陸戦隊中隊長の大山勇夫海軍中尉(海軍兵学校 (日本海軍)第60期卒業、死後海軍大尉に特進)殺害事件である。この日も日本と中華民国の間で盧溝橋事件以来続いていた、日華間の緊張を改善させるための閣僚級会談が開かれていた。

8月9日、大山中尉は斎藤要蔵一等水兵を運転手として(彼は大山のお抱え運転手であったが)上海の虹橋飛行場に向かった。午後6時半ごろ、共同租界の延長にある記念通りを車で通っていたところ、中国保安隊(平和維持部隊)の兵士多数が車両を銃撃した。この銃撃によって大山中尉、斎藤水兵および中国保安隊員1名が死亡した。日中共同の公式調査によれば、大山は全身に30発以上の銃弾を打ち込まれて即死したが、その体は車外に引きずり出されて、全身は銃剣によって切りつけられ、腹は大きく切り開かれた。頭は銃で殴打され、顔は判別できないほどに損傷し、頭蓋骨は叩き割られた。また彼の靴、札入れ、時計などの貴重品は全て奪われた。

現場は1932年(昭和7年)5月の上海事変休戦協定(英米仏伊が承認)によって設けられた非武装地帯の中で起こった。非武装地帯を警備する中国保安隊は警察官で構成され、協定によってライフル銃を所持できず、ピストルのみの携行となっていたが、大山と斎藤の体はライフル弾によって貫かれていた。

8月10日、上海の日本総領事は国際委員会の会議開催を要求し、日英米仏伊の各領事と上海市長が会談した。この会議で日本代表が事件の詳細を発表し、中国保安隊は国際租界とフランス特権区域に接する地域から一次的に撤退すべきであると提案した。英米仏伊代表は賛成し、上海市長も実現する為にできる限りのことをすると約束した。これを受け、海軍の長谷川清中将は国際租界内の海軍司令部に対し、平静を保つように命令した。またこの日、海軍陸戦隊を上陸させなかった。

8月11日、上海市長が日本領事に電話をかけ、「自分は無力で何もできない」と通報した。危機を感じた日本は同日夜、陸戦隊1支隊を予防のために上陸させた。

8月12日未明、中国正規軍本隊が上海まで前進、国際共同租界の日本人区域を包囲した。このため、日本領事は国際委員会を再び召集し、中国軍の撤退を要求した。

8月13日未明、包囲した中国軍は国際租界の日本海軍陸戦隊と交戦を開始した。陸戦隊は戦闘区域が国際区域に拡大しないよう、防衛的戦術に限定した。列強各国の調停の申し出を期待したためである。中国軍機が低空を飛行したが、陸戦隊は対空砲火を行わなかった。英米仏の各領事は日中双方に申し入れを行い、上海での敵対行動を回避する為に直接交渉を行うことを勧めた。また、回避案として以下を提案した。この提案原文が東京に届いたのはこの日の深夜であった。

中国軍は国際共同租界とフランス特権区域から撤退する。
日本軍は国際租界から撤退する。
中国軍撤退地域は多国籍軍が治安維持を行う。
会議中であった13日の午後から中国軍機による空からの攻撃が開始された。これに対し、黄浦江の日本艦隊は中国軍陣地に砲撃を加えた。長谷川中将は戦争回避を考えていたが、7月からの事件を考えて、中国軍すでに開戦を考えていると察した。そこで主戦論に切り替えて、5個師団の増援を日本政府に要求した。しかし政府は北支の収拾に気をとられ、1個師団の増援にとどまった。

8月14日、中国空軍が日本艦隊を空襲した。しかし、爆弾のほとんどはフランス租界や国際共同租界に落ち、民間人に2000人あまりの死者が出た。この日、日本海軍は九州から中国本土への航空機による空襲を行う、いわゆる渡洋爆撃を開始した。

(続く)
[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | 掲示板表示 | [ メッセージ # ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

Yahoo! Japan 掲示板 アーカイヴ

[検索ページ] (中東) (東亜) (捕鯨 / 捕鯨詳細)