歌枕のイメージ
投稿者: wangjunhe720 投稿日時: 2004/02/29 00:08 投稿番号: [4469 / 66577]
あなたはいつも真剣に彼らには解説、ないし説明とかするが、でも彼らにはそれが理解不能。
なぜだ?彼らには中国に対する認識の限度があるからです。つまり我々が生身で経験した中国(本当の)と彼らの頭に自生した(故意に作った中国像)中国イメージがまったく別物です。
彼らが故意に作った、あるいは知らないうちに書籍、インターネット、マスコミ等のメディアを通して得た中国のイメージというのは、恰も日本の歌枕のようなものです。
故意に作ったのにせよ、有色レンズ(メディア)を通してみたのにせよ、彼らはそのイメージを唯一の「真実」と思い込み、少しも疑わないのです。
例えば吉野といえば桜、竜田川といえば紅葉、春日野といえば若菜摘み、飛鳥川と言えば無常観等々。別に吉野以外に桜がないわけではないし、春日野以外に野菜が取れないわけでもない。だけれどもそのイメージを維持しなければ、和歌が成り立たない。現に何百年も日本の歌人はそのイメージを取り入れなければ歌が詠めない。それによって次に来る言葉がほぼ決まっていたのだから。古代歌合せというのがあって、ほぼそのイメージに忠実して詠んでいたかどうか、それを基準に厳しくチェック。
馬鹿な連中は多くないけれど、馬鹿がやはり居たわけ。歌人には西行、俳人には芭蕉。この二人の馬鹿が現に陸奥へ行ってその「歌枕」をこの目で確かめようとした。結果はどうだ?あんなに固く信じていたのに?どこなのか現地人でさえ分からん。つまり歌枕として詠まれてきたその地名は、この世に存在しない。架空のものなんだ、ということです。勿論一部分の地名は今もある。だがその現地は昔の歌に詠まれた歌枕のイメージとは、合致しない。
実際中国は本当にそうだかどうか、それはどうでもいい話。彼らはそう信じ、そう語りたいだけに過ぎない。信じるために架空のものを作ったのです。こういう場合、その架空のイメージに合わない語り方が出ると、「知性」の問題が出る。これは彼らのいう知性です。
私の話は、いくらか度が過ぎたかもしれないが、彼らにはこの傾向があること、認められるでしょう?
要は正直を止め、適当に分かる相手を見つけ、適当に話そう。その誰?お名前を忘れたが、一回だけ出てきて、また消えた中国の方ですが、彼のいう事は正解です。真剣するほど馬鹿になるし、馬鹿にもされる、ということです。
唯し、私は徐々に正直に近代的な目で中国を見なければならないと思います。目覚めというのはその行為を通さないと意味にはなりません。真実を知る人は一部に止まり、後の人は知らなくていい、そういうやり方はもういいじゃありませんか?
この意味で私は、今までのやりかたに批判的です。危機感は必要です。実に胡さんたちもこの状況をよく知っているのじゃないの?胡さんに応援し、十年ぐらい頑張ってもらいたいですね。そうすると次のステップに滑りだせるか?
日本は確かにこの十年を無駄にしたように見えます。だけど中国にはそんな余裕がないですね。
なぜだ?彼らには中国に対する認識の限度があるからです。つまり我々が生身で経験した中国(本当の)と彼らの頭に自生した(故意に作った中国像)中国イメージがまったく別物です。
彼らが故意に作った、あるいは知らないうちに書籍、インターネット、マスコミ等のメディアを通して得た中国のイメージというのは、恰も日本の歌枕のようなものです。
故意に作ったのにせよ、有色レンズ(メディア)を通してみたのにせよ、彼らはそのイメージを唯一の「真実」と思い込み、少しも疑わないのです。
例えば吉野といえば桜、竜田川といえば紅葉、春日野といえば若菜摘み、飛鳥川と言えば無常観等々。別に吉野以外に桜がないわけではないし、春日野以外に野菜が取れないわけでもない。だけれどもそのイメージを維持しなければ、和歌が成り立たない。現に何百年も日本の歌人はそのイメージを取り入れなければ歌が詠めない。それによって次に来る言葉がほぼ決まっていたのだから。古代歌合せというのがあって、ほぼそのイメージに忠実して詠んでいたかどうか、それを基準に厳しくチェック。
馬鹿な連中は多くないけれど、馬鹿がやはり居たわけ。歌人には西行、俳人には芭蕉。この二人の馬鹿が現に陸奥へ行ってその「歌枕」をこの目で確かめようとした。結果はどうだ?あんなに固く信じていたのに?どこなのか現地人でさえ分からん。つまり歌枕として詠まれてきたその地名は、この世に存在しない。架空のものなんだ、ということです。勿論一部分の地名は今もある。だがその現地は昔の歌に詠まれた歌枕のイメージとは、合致しない。
実際中国は本当にそうだかどうか、それはどうでもいい話。彼らはそう信じ、そう語りたいだけに過ぎない。信じるために架空のものを作ったのです。こういう場合、その架空のイメージに合わない語り方が出ると、「知性」の問題が出る。これは彼らのいう知性です。
私の話は、いくらか度が過ぎたかもしれないが、彼らにはこの傾向があること、認められるでしょう?
要は正直を止め、適当に分かる相手を見つけ、適当に話そう。その誰?お名前を忘れたが、一回だけ出てきて、また消えた中国の方ですが、彼のいう事は正解です。真剣するほど馬鹿になるし、馬鹿にもされる、ということです。
唯し、私は徐々に正直に近代的な目で中国を見なければならないと思います。目覚めというのはその行為を通さないと意味にはなりません。真実を知る人は一部に止まり、後の人は知らなくていい、そういうやり方はもういいじゃありませんか?
この意味で私は、今までのやりかたに批判的です。危機感は必要です。実に胡さんたちもこの状況をよく知っているのじゃないの?胡さんに応援し、十年ぐらい頑張ってもらいたいですね。そうすると次のステップに滑りだせるか?
日本は確かにこの十年を無駄にしたように見えます。だけど中国にはそんな余裕がないですね。
これは メッセージ 4468 (wmbyq010 さん)への返信です.
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