wanさん
投稿者: tokagenoheso 投稿日時: 2005/09/21 18:53 投稿番号: [43933 / 66577]
>はっきり言って、私がnatsumeさんに喧嘩を売るつもりで書いていた。
これ自体が理解を超えている。わたし自身は漢詩に就いては門外漢だが、仮にnatsumeさんの意見が100%間違っていたとしても、それは反論なり批判なりをすれば済むこと。喧嘩を売る事では決してないんじゃないの。
まして、私が両人のやりとりを読んでも別にnatsumeさんが間違っているとか漢詩を侮辱しているとか、漢詩を読み下しで鑑賞する事がオリジナルの漢詩をそのまま言語で読むよりすばらしいと言っているわけではないと思うが。
韻文散文によらず、作者と同じ感覚で鑑賞出来る人間は同国人であろうと存在しない。所詮、各々の感性で鑑賞するに過ぎないが、それで多くの人々に感動を与えるから勝れた作品と評価されるわけでしょう。
世界中の文学が日本語に訳され紹介されている。全てを言語で読まなければ意味がない、価値がないなどあり得ず、何語で書かれていようと日本で受け入れられればそれは名作と言っていい。外国語文学を訳すとは、言い換えれば原作を元に書かれた新しい作品と割り切るべきだ。その新しい作品が勝れているならそれでいい。本国で忘れられている作品が日本で広く愛好されているなどよくある事だよ。
シェークスピア作品は坪内逍遙の名訳で日本でも愛されるようになったが、それは原作もさることながら坪内逍遙の文才によるものだ。
それを、坪内逍遙の訳は原作より劣るはずだと決めつけるのは異常ではないのかな。シェークスピアの原文は私も読んでみたが、現代語とは違うし鑑賞出来るまでは行かなかった。韻律の美しさは感じたけれど。その意味で、私にとっては坪内逍遙の作品の方がオリジナルより勝れているのだ。
漢詩の場合特殊事情があり、古文では感じの意味が日本語に近いということから、語順を並べ替える、つまり返り点を付ける事で意味が理解出来る。多くの漢語が日本語化している事もあり、漢詩を返り点付きで読む事は普通の日本人なら出来る。
勿論、漢字の意味の軽重が違うし、意味も全く同じではないし、なにより発音や語順が違うのだから韻を原作通りにするわけには行かない。
そこを割り切って、原作とは全く違う文学作品として日本人は鑑賞してきたのであり、日本のオリジナルである事は当たり前だろう。読み下し分で漢詩を鑑賞する事がなぜ喧嘩を売るほど腹立たしい事なのか。結局は、自分たちの作品を日本人が汚すな、式の鼻持ちならない中華思想と受け取られてもやむをえないのではないですか?
近年欧米で日本の短歌や俳句が静かなブームとなっているが、例えば英語と日本語には漢語と日本語のような関係はないから、完全に翻訳する事にならざるをえない。韻律も英語の韻やリズムを踏んで作る事になり、結局全く新しい作品と考えて良い。だからといって、日本人は英訳されたHAIKUやTANKAを鑑賞する彼等を侮辱したり等せず、また日本語をまなべとも言わない。
結局俳句や短歌の精神的世界が伝わればよいと思うし、詩の分野でも大きな物を持っている彼等なら俳句や短歌の世界も理解出来るだろうと思う。決して彼等が日本の独特な詩をおとしめたとは考えないのだが、wann君には我慢できないことなのか?
文化とは、互いによいと思うものを取り入れ互いに質を高めてゆくものだが、中華思想にあっては中国が他から学ぶものはなく、他国が中国文化を取り入れても必ずオリジナルより劣るはずだと決めつけるものなのかな?
自分たちには中華思想はない、と中国側は折に触れて言うが、我々からすれば鼻持ちならない中華思想そのものに見える。
これ自体が理解を超えている。わたし自身は漢詩に就いては門外漢だが、仮にnatsumeさんの意見が100%間違っていたとしても、それは反論なり批判なりをすれば済むこと。喧嘩を売る事では決してないんじゃないの。
まして、私が両人のやりとりを読んでも別にnatsumeさんが間違っているとか漢詩を侮辱しているとか、漢詩を読み下しで鑑賞する事がオリジナルの漢詩をそのまま言語で読むよりすばらしいと言っているわけではないと思うが。
韻文散文によらず、作者と同じ感覚で鑑賞出来る人間は同国人であろうと存在しない。所詮、各々の感性で鑑賞するに過ぎないが、それで多くの人々に感動を与えるから勝れた作品と評価されるわけでしょう。
世界中の文学が日本語に訳され紹介されている。全てを言語で読まなければ意味がない、価値がないなどあり得ず、何語で書かれていようと日本で受け入れられればそれは名作と言っていい。外国語文学を訳すとは、言い換えれば原作を元に書かれた新しい作品と割り切るべきだ。その新しい作品が勝れているならそれでいい。本国で忘れられている作品が日本で広く愛好されているなどよくある事だよ。
シェークスピア作品は坪内逍遙の名訳で日本でも愛されるようになったが、それは原作もさることながら坪内逍遙の文才によるものだ。
それを、坪内逍遙の訳は原作より劣るはずだと決めつけるのは異常ではないのかな。シェークスピアの原文は私も読んでみたが、現代語とは違うし鑑賞出来るまでは行かなかった。韻律の美しさは感じたけれど。その意味で、私にとっては坪内逍遙の作品の方がオリジナルより勝れているのだ。
漢詩の場合特殊事情があり、古文では感じの意味が日本語に近いということから、語順を並べ替える、つまり返り点を付ける事で意味が理解出来る。多くの漢語が日本語化している事もあり、漢詩を返り点付きで読む事は普通の日本人なら出来る。
勿論、漢字の意味の軽重が違うし、意味も全く同じではないし、なにより発音や語順が違うのだから韻を原作通りにするわけには行かない。
そこを割り切って、原作とは全く違う文学作品として日本人は鑑賞してきたのであり、日本のオリジナルである事は当たり前だろう。読み下し分で漢詩を鑑賞する事がなぜ喧嘩を売るほど腹立たしい事なのか。結局は、自分たちの作品を日本人が汚すな、式の鼻持ちならない中華思想と受け取られてもやむをえないのではないですか?
近年欧米で日本の短歌や俳句が静かなブームとなっているが、例えば英語と日本語には漢語と日本語のような関係はないから、完全に翻訳する事にならざるをえない。韻律も英語の韻やリズムを踏んで作る事になり、結局全く新しい作品と考えて良い。だからといって、日本人は英訳されたHAIKUやTANKAを鑑賞する彼等を侮辱したり等せず、また日本語をまなべとも言わない。
結局俳句や短歌の精神的世界が伝わればよいと思うし、詩の分野でも大きな物を持っている彼等なら俳句や短歌の世界も理解出来るだろうと思う。決して彼等が日本の独特な詩をおとしめたとは考えないのだが、wann君には我慢できないことなのか?
文化とは、互いによいと思うものを取り入れ互いに質を高めてゆくものだが、中華思想にあっては中国が他から学ぶものはなく、他国が中国文化を取り入れても必ずオリジナルより劣るはずだと決めつけるものなのかな?
自分たちには中華思想はない、と中国側は折に触れて言うが、我々からすれば鼻持ちならない中華思想そのものに見える。
これは メッセージ 43911 (wangjunhe720 さん)への返信です.
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