tokagenoheso さん
投稿者: wangjunhe720 投稿日時: 2005/09/21 09:46 投稿番号: [43911 / 66577]
はっきり言って、私がnatsumeさんに喧嘩を売るつもりで書いていた。
確かに日本人は、漢詩を違う方法としての「読み下し」方式で享受してきた。しかし、それを絶対視すると危険です。
あくまで一種の翻訳としてみるべきではないかと、私は思う。
アタマから「読み下し」を「世界に類を見ない」ものと思い込んでしまって果たしてよかろうか。そこが問題です。
>natsumeさんの個人的な感想を、同好の士としてのwanさんに語りかけているのであって、親しみこそ持っていてもなんら敵意は持っていない。<
分ります。だけれども、あたかも古代から読み下しをしていたような発言は許しません。万葉仮名は「読み下し」ではないし、同一視てはいけない。
>漢詩がいかに勝れていようとそれを誇りに思う事は別にかまわないが、それを日本人が日本式に論ずるのは僭越だと言わんばかりだ。<
漢詩と「読み下し」とを混同しない方が賢明。そこにはオリジナル と翻訳の関係がある。
上下関係ではないが(漢詩が優位に、読み下しを下位に)そういう発想ではなく、漢文漢詩と日本語、日本詩(和歌、俳諧など)の絡み合い方が、遥かに我々現代人の想像を超え、享受の仕方も遥かに多種多様であり続けた。
それらの眼に見えないやり方を悉く蔑ろうに、「読み下し」だ、「読み下し」だと図式化にすることに苛立ちを覚える。
どちらかと言えば、僕はこの点に非常に敏感。過剰意識し過ぎかもしれないが、和歌を翻訳して、自慢する諸外国人を見たか?
もっとも最もいけないのは、詩歌を愛する人間が、それを自慢することだ。
詩歌、漢詩だけではなく、和歌も恐らく同様、あらゆる詩歌(POEM、POESIE)もそうであるように、そこにいわば余情、言外の意などなど、言葉には言い換えられないものが沢山沢山含まれているはずだ。
そういう重大な事項をどう処置するかを、考えずに「読み下し」を自慢できるか?読み下し文は見ての通り、最初から韻が訳せないのは眼に見えている。韻文から散文までに成り下がった所にあるのは、明白だ。
さらに余情、含蓄、言い知れぬ情緒等が「そのまま」日本語の中で生きているか、極めて疑問です。
読み下しも含め、詩歌の翻訳は一種の矛盾体。
詩歌は翻訳を敵視している。(拒絶する体質のものです)
これは僕が反発する原点です。あなたはわかれば、僕の反発も分る。
誰か外国人が古代和歌を翻訳し、僕の前で「あなた方の和歌がそのまま、私たちの文化に生きているよ」といったら、日本人ではないが、僕はいきなりあいつを殴りかかる。
ばかじゃないか。おめえ^^が何が分るかと、言い返す。
確かに日本人は、漢詩を違う方法としての「読み下し」方式で享受してきた。しかし、それを絶対視すると危険です。
あくまで一種の翻訳としてみるべきではないかと、私は思う。
アタマから「読み下し」を「世界に類を見ない」ものと思い込んでしまって果たしてよかろうか。そこが問題です。
>natsumeさんの個人的な感想を、同好の士としてのwanさんに語りかけているのであって、親しみこそ持っていてもなんら敵意は持っていない。<
分ります。だけれども、あたかも古代から読み下しをしていたような発言は許しません。万葉仮名は「読み下し」ではないし、同一視てはいけない。
>漢詩がいかに勝れていようとそれを誇りに思う事は別にかまわないが、それを日本人が日本式に論ずるのは僭越だと言わんばかりだ。<
漢詩と「読み下し」とを混同しない方が賢明。そこにはオリジナル と翻訳の関係がある。
上下関係ではないが(漢詩が優位に、読み下しを下位に)そういう発想ではなく、漢文漢詩と日本語、日本詩(和歌、俳諧など)の絡み合い方が、遥かに我々現代人の想像を超え、享受の仕方も遥かに多種多様であり続けた。
それらの眼に見えないやり方を悉く蔑ろうに、「読み下し」だ、「読み下し」だと図式化にすることに苛立ちを覚える。
どちらかと言えば、僕はこの点に非常に敏感。過剰意識し過ぎかもしれないが、和歌を翻訳して、自慢する諸外国人を見たか?
もっとも最もいけないのは、詩歌を愛する人間が、それを自慢することだ。
詩歌、漢詩だけではなく、和歌も恐らく同様、あらゆる詩歌(POEM、POESIE)もそうであるように、そこにいわば余情、言外の意などなど、言葉には言い換えられないものが沢山沢山含まれているはずだ。
そういう重大な事項をどう処置するかを、考えずに「読み下し」を自慢できるか?読み下し文は見ての通り、最初から韻が訳せないのは眼に見えている。韻文から散文までに成り下がった所にあるのは、明白だ。
さらに余情、含蓄、言い知れぬ情緒等が「そのまま」日本語の中で生きているか、極めて疑問です。
読み下しも含め、詩歌の翻訳は一種の矛盾体。
詩歌は翻訳を敵視している。(拒絶する体質のものです)
これは僕が反発する原点です。あなたはわかれば、僕の反発も分る。
誰か外国人が古代和歌を翻訳し、僕の前で「あなた方の和歌がそのまま、私たちの文化に生きているよ」といったら、日本人ではないが、僕はいきなりあいつを殴りかかる。
ばかじゃないか。おめえ^^が何が分るかと、言い返す。
これは メッセージ 43903 (tokagenoheso さん)への返信です.
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