>>>お話・・自由至上?
投稿者: dream_chrysanthemum 投稿日時: 2005/08/04 23:51 投稿番号: [40463 / 66577]
>壁新聞はある意味、「言論の自由」の究極だった。<
この文の"ある意味"は当然考えました。
そして、"究極"にかかる言葉と判断しました。
ですからこの文は、「壁新聞は言論の自由(の顕れ)」と読みました。
そうでなければ、あなたはこの文で何を言いたいのですか?
あなたは最初に
>「言論の自由」は守らねばならず、これを犯すものは
押し並(な)べて「悪」と決め付ける。
そうなのか?
それは本当に、そうなのか? <
このように書いています。
そして文革時代の壁新聞を
>何の規制もなく、言いたい放題、書きたい放題。
壁新聞はある意味、「言論の自由」の究極だった。<
ものとして持ち出して、
だから中国で言論統制をしてもやむを得ない、
中国人もそう思っているのではと結論付けています。
しかしこの論議の進め方はおかしいです。
もともと言論の自由とは個人の思想信条の保障を補完すると同時に
権力を監視するものとして認知され、法律によって保護される権利
ではありませんか?
にもかかわらず、あなたはいきなり「言論の自由」を
何の規制もなく、言いたい放題、書きたい放題のものとして
論を進めています。
"ある意味"とか"究極"などと言う言葉はまやかしに過ぎません。
(いえ、あなたにそのような悪意があるとは思いませんけど。。)
ですからおかしな結論になってしまうのだと思います。
個人の権利を侵すような自由は、言論の自由に限らず日本でも
原則的に認められていないはずです。
中国でもそうあるべきです。
そうあらねば、権力は自己に都合の良い言論しか認めなくなります。
ネット上での無秩序については同意できなくもないです。
もちろんあなたが「言論の自由」について、常識を知らぬわけでは
ないとは思います。
これは メッセージ 40407 (nihao_aq_jp さん)への返信です.
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