宗教・哲学・思想--分類をつける
投稿者: amanojyaq05 投稿日時: 2004/02/01 17:47 投稿番号: [4042 / 66577]
このような一般が参加する「掲示板」に、学術的なことを話すのは、一般の方との交流を妨げます。それらの事を留意して、厳格な学術語は出来るだけ使わないようにします。気楽に、誰もが交流する場所にしたい。
現代の学問分類では、自然科学・宇宙科学、そして人(人類)に関わる社会科学に大きく分けます。これは誰も異存はないだろう。
問題は社会科学分野です。哲学・宗教・思想の部分は、日本では曖昧なところがあります。30年前の、【哲学類集】の中の「宗教と道徳」は、いまでは屑篭行きのものです。戦後のマルクス主義学者達による、気どったエリート・インテリがふんぷんし、内容はとりとめないものです。だが当時は、多くが「進歩的」としてかじり付いたものでした。
日本は、歴史を振り返っても、「精神的」(思想・文学・芸術・文化など)なものに考えが弱く、ヨーロッパ諸国のような蓄積があまりなかった。その発展も曖昧で、明治になって西洋の多彩な学問と思想に、驚いて学び始めた、というのが歴史の実状です。
そこで中国の孔子や荘子の「儒教」「道教」を、キリスト・イスラム・ユダヤ・仏教という明白な「宗教」と一緒になると考えるのは疑問です。中国の多くの方が、そう考え思っているとすれば、「宗教」の定義に違いがあることになります。このことは大きな問題になります。「宗教」には、教義があり儀式が伴うものです。私の家の近くにも、「儒教」を教えて広める組織があります。これらは封建的で、「右翼」と密接で、選挙になれば、保守的な政治家を推し進める団体になっています。これらを「宗教」とは見做しませんし、事実「宗教法人」には指定されていません。
私の青年時、孔子「論語」「中庸」などを漢字事典を引きながら読んだものです。また特に李白・杜甫・白居易(白楽天)など優れた詩人が好きです。発想と思考力や感性がとにかく広い。杜甫など、時の権力を批判する詩文、李白の文章は中国語の音唱で聞きたいものだと、何度思ったことか。日本の古典文学を知るには、中国詩人と学問を知れなければ理解できないものです。
その詩人や文学者と、理性(論理的思考力)を求められる「哲学」を一緒にしてはなりません。理論物理学などの科学者が書く、詩文などとても読めるものではありません。
wangjunhe720 さんなど、学問をした人こそ、これらを区別・分類することの必要性を、誰もが解るように説かなければならないと思いますが・・。
孔子・孟子・荘子・老子など、当時として優れた学者は、「思想家」の分類に相応しいともいます。リンゴとトマトは赤くて甘いから、「一緒だ!」では、思考にがさつと曖昧が蔓延し、正確な判断が出来なくなります。
wangjunhe720 さんの考えになると、「靖国問題」も曖昧になるのはもっともだと感じた次第です。つまり本質を理解せず、感情の披瀝で問題の解決に向かわない。日本で靖国問題を画策し糸を引いている人達にとって、願ってもない現象でしょう。
現代の学問分類では、自然科学・宇宙科学、そして人(人類)に関わる社会科学に大きく分けます。これは誰も異存はないだろう。
問題は社会科学分野です。哲学・宗教・思想の部分は、日本では曖昧なところがあります。30年前の、【哲学類集】の中の「宗教と道徳」は、いまでは屑篭行きのものです。戦後のマルクス主義学者達による、気どったエリート・インテリがふんぷんし、内容はとりとめないものです。だが当時は、多くが「進歩的」としてかじり付いたものでした。
日本は、歴史を振り返っても、「精神的」(思想・文学・芸術・文化など)なものに考えが弱く、ヨーロッパ諸国のような蓄積があまりなかった。その発展も曖昧で、明治になって西洋の多彩な学問と思想に、驚いて学び始めた、というのが歴史の実状です。
そこで中国の孔子や荘子の「儒教」「道教」を、キリスト・イスラム・ユダヤ・仏教という明白な「宗教」と一緒になると考えるのは疑問です。中国の多くの方が、そう考え思っているとすれば、「宗教」の定義に違いがあることになります。このことは大きな問題になります。「宗教」には、教義があり儀式が伴うものです。私の家の近くにも、「儒教」を教えて広める組織があります。これらは封建的で、「右翼」と密接で、選挙になれば、保守的な政治家を推し進める団体になっています。これらを「宗教」とは見做しませんし、事実「宗教法人」には指定されていません。
私の青年時、孔子「論語」「中庸」などを漢字事典を引きながら読んだものです。また特に李白・杜甫・白居易(白楽天)など優れた詩人が好きです。発想と思考力や感性がとにかく広い。杜甫など、時の権力を批判する詩文、李白の文章は中国語の音唱で聞きたいものだと、何度思ったことか。日本の古典文学を知るには、中国詩人と学問を知れなければ理解できないものです。
その詩人や文学者と、理性(論理的思考力)を求められる「哲学」を一緒にしてはなりません。理論物理学などの科学者が書く、詩文などとても読めるものではありません。
wangjunhe720 さんなど、学問をした人こそ、これらを区別・分類することの必要性を、誰もが解るように説かなければならないと思いますが・・。
孔子・孟子・荘子・老子など、当時として優れた学者は、「思想家」の分類に相応しいともいます。リンゴとトマトは赤くて甘いから、「一緒だ!」では、思考にがさつと曖昧が蔓延し、正確な判断が出来なくなります。
wangjunhe720 さんの考えになると、「靖国問題」も曖昧になるのはもっともだと感じた次第です。つまり本質を理解せず、感情の披瀝で問題の解決に向かわない。日本で靖国問題を画策し糸を引いている人達にとって、願ってもない現象でしょう。
これは メッセージ 4028 (wangjunhe720 さん)への返信です.
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