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詩的哲学:補足の意味で

投稿者: wangjunhe720 投稿日時: 2004/02/01 10:29 投稿番号: [4028 / 66577]
  厳密的にいうと、私はヨーロッパ哲学的思考の訓練を受けていません。私の高校時代は母国マルクス主義一色でした。プラトン、アリストテレス、二チェーとかは、中国語のよりも日本語で読んでいた。多少英語の助けがあったけれど。

  それらに対して、私はやはり中国的スタイルの「哲学」が好き、横好きと言った方が良いかもしれない。多分、中国人には、哲学そのものを詩的に理解する傾向があるのではないかと私は推測します。
  詩=思=史=詞。
  だから二―チェーを読むときには私は思想と成分を吸い込んだのでなく、彼の詩的成分に魅了されたと言いたい。詩的哲学、この言葉は日本語として機能するか、使われているかどうか、よく判らないが、私には強烈なインパクトがあるわけです。冗談気味ですが、cogito,ergo   sum.(我思う、故に我在り)I   think,therefore   Iam.という言葉こそは、冗談も休み休み。「我在り、故に我思う」の誤植じゃござんすまいか?だって帝政期にこんな言葉があるのではないか?
mens   sana   in   corpore   sano.健全な肉体の中に健全な精神が・・・と、ヴィーコのように私はデカルトが毛嫌いです。思想に形を与える西洋の思考より、思想の殻から抜け出す東洋の自然体、それが私には無上の美が感じられる。夕映えの空には美しい雲が飛んでいるし、湖上の投影は夢のようにきれいだし、晩秋の蟹はうまいし、紫色の熱帯魚は元気に泳いでいるし・・・ここでは哲学者か、詩人かのくだらない区別はいいんだよ。詩人風に哲学し、哲学者風に叙情するがよい。

  「中国の哲学者は、片目をあけて夢見る人々である。彼は愛と甘やかな皮肉で人生を眺める。懐疑思想ともの優しい忍従の精神を混ぜ合わせ、人生の夢から目覚めてはまた居眠り、居眠ってはまためざめ、覚めているときより、眠っているときの方が、ものごとをいきいきと感じ、したがって目覚めたときの人生に、夢幻世界の醍醐味を持たせようとする。そして吾が努力の空なることを半眼で眺める。」これは『人生をいかに生きるか』講談社学術文庫、林語堂著からの抜粋です。原文は英語「The   Importance   of   Living」   Reynal   ∩   Hichcock:New   York,1937

  林語堂の日本語訳はいま略揃ったと思います。中国哲学研究、じゃなくて、中国の哲学はいかに中国読書人の中に生きているか、それを知りたいのなら、林語堂を。

  以上補足の意味で、日本語の表現力もあってのことか、自分の思いをどれほど伝えたか、汗顔しきり。
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