シラクさん
投稿者: aki_fumika 投稿日時: 2004/01/29 13:23 投稿番号: [3976 / 66577]
シラクさんは、私が大学生だった頃、パリ市長で(あ、完璧に歳がバレてしまふ)、よく東京にきておりましたね(フランス文学会の会長が杉先生の頃ですね)。その当時の日仏にいたのがフランクベルナールで、ともに日本については私たちより精通しておりました。お二人とも、恐らくは、日本人の学者研究者のレベルはとうに超していると思われます。(確かに、シラクさんには、Gogaiさんのおっしゃる、女性の噂、ありましたよ)
フランスのシナ趣味(すみません、これは用語なので、そのまま使っております)は、どーもいつ頃からかはっきりしません。というのも、論語については、独語訳が19世紀半ばで、フランス語訳は19世紀後半ではなかったかと思いますし、老子については20世紀初頭だったのでは?と思います。論語のドイツ語訳については、富士川英郎の「茶酒飲後」(だったかな?いつものことながら、人名や書名は記憶がいい加減です、苦笑)に、雑誌発表原稿がまとめられていたのではなかったか(といっても、エッセーですが)、と記憶。
ま、フランスには東洋語学校がありますし、シナ学も1970年頃までは盛んでしたね。
で、Wangさん。その、アメリカに入ったフランスの構造主義や記号学というのは、なんか、また、アメリカ風な発達をとげておりまして、随分違うなあ、と。。。ま、フランスやベルギーあたりのフェミニスムとアメリカのフェミニスムの違いみたいなものかもしれません。
で、デリダに顕著なのですが、記号学は、かなり戦略的にかかれているモノが多く、重層的なテキストの読解を強要する類のものです。ま、簡単に言うと、伝統的な評論、解釈学やフランスのアカデミスムに対する、挑発、ですね。
これは、フランスの教育システムに由来するのですが、学位を取る時に、例えば中世以降の文学を専攻したとすると、ギリシアラテンの古典の論文も強要され、それがまともでないと相手にもされなかった、という伝統からくるものですが、ともかく、強要が多いのです。評論にせよ、批判学(クリティーク)にせよ、学術論文にせよです。
だから、やたら、権力の奪回とか、そんな物騒なことばがあふれている。
たいしたことを言っていないのですが、知的な努力を必要としますね、皮肉があちこちにちりばめられているので、ソルボンヌを中心とした学会や、市民講座などの情報を知らないと、笑うとことで笑えないというのがあったりして。あれ、大学で生真面目にやるようなものではなく、知的エリートの皮肉の書という感じなんですがねー。
日本では、あれで、飯を食っている教授がいるので驚きですが。。。
で、現在は、そうした、記号学や構造主義は一段落して(というか、不景気で、フランスの出版社の統廃合が進み、売れない本はたとえ学術書でも出せないという情況が続いています)、知の停滞期に入っていますね。
ちょっと、ついでに。
私、ここに投稿している中国系の若者よりは多く、中国式葬儀などに参加していると思いますが、例え、風習や習慣が違っても、それを不衛生だとか迷信だとか、言って非難したりしませんが。。。それぞれの国の死生観というのは非常に大事にしますし、宗教も同じです。それが廟であっても、たんなる頼母子講の集まりだとか、そんな非難はしませんね。まず、理解しようと努力する。そうした努力、中国系の方々に欠けているのではないですかね?
まあ、若いから仕方ないでしょうが、あまりに中国のこと、知らないですよね、最近の中国系の若者たち(ま、華僑ならデラシネですから、理解していないのは当然ですし、留学生なら、知識の吸収期に日本にいるわけですから、当たり前かな?)。
フランスのシナ趣味(すみません、これは用語なので、そのまま使っております)は、どーもいつ頃からかはっきりしません。というのも、論語については、独語訳が19世紀半ばで、フランス語訳は19世紀後半ではなかったかと思いますし、老子については20世紀初頭だったのでは?と思います。論語のドイツ語訳については、富士川英郎の「茶酒飲後」(だったかな?いつものことながら、人名や書名は記憶がいい加減です、苦笑)に、雑誌発表原稿がまとめられていたのではなかったか(といっても、エッセーですが)、と記憶。
ま、フランスには東洋語学校がありますし、シナ学も1970年頃までは盛んでしたね。
で、Wangさん。その、アメリカに入ったフランスの構造主義や記号学というのは、なんか、また、アメリカ風な発達をとげておりまして、随分違うなあ、と。。。ま、フランスやベルギーあたりのフェミニスムとアメリカのフェミニスムの違いみたいなものかもしれません。
で、デリダに顕著なのですが、記号学は、かなり戦略的にかかれているモノが多く、重層的なテキストの読解を強要する類のものです。ま、簡単に言うと、伝統的な評論、解釈学やフランスのアカデミスムに対する、挑発、ですね。
これは、フランスの教育システムに由来するのですが、学位を取る時に、例えば中世以降の文学を専攻したとすると、ギリシアラテンの古典の論文も強要され、それがまともでないと相手にもされなかった、という伝統からくるものですが、ともかく、強要が多いのです。評論にせよ、批判学(クリティーク)にせよ、学術論文にせよです。
だから、やたら、権力の奪回とか、そんな物騒なことばがあふれている。
たいしたことを言っていないのですが、知的な努力を必要としますね、皮肉があちこちにちりばめられているので、ソルボンヌを中心とした学会や、市民講座などの情報を知らないと、笑うとことで笑えないというのがあったりして。あれ、大学で生真面目にやるようなものではなく、知的エリートの皮肉の書という感じなんですがねー。
日本では、あれで、飯を食っている教授がいるので驚きですが。。。
で、現在は、そうした、記号学や構造主義は一段落して(というか、不景気で、フランスの出版社の統廃合が進み、売れない本はたとえ学術書でも出せないという情況が続いています)、知の停滞期に入っていますね。
ちょっと、ついでに。
私、ここに投稿している中国系の若者よりは多く、中国式葬儀などに参加していると思いますが、例え、風習や習慣が違っても、それを不衛生だとか迷信だとか、言って非難したりしませんが。。。それぞれの国の死生観というのは非常に大事にしますし、宗教も同じです。それが廟であっても、たんなる頼母子講の集まりだとか、そんな非難はしませんね。まず、理解しようと努力する。そうした努力、中国系の方々に欠けているのではないですかね?
まあ、若いから仕方ないでしょうが、あまりに中国のこと、知らないですよね、最近の中国系の若者たち(ま、華僑ならデラシネですから、理解していないのは当然ですし、留学生なら、知識の吸収期に日本にいるわけですから、当たり前かな?)。
これは メッセージ 3975 (gogai3000 さん)への返信です.
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