僕が間違っていました。
投稿者: assocy 投稿日時: 2005/07/01 07:18 投稿番号: [38238 / 66577]
明らかな間違いがありました。お詫びいたします。
ご指摘のモデルは、MSG37993に対するdream_hydrangea_rainbow さんの
>あなた このことを自分のものにできてるの?
>言葉だけでなく、具体的イメージがあるの?
との疑問に対してお答えしたものです。
dream_hydrangea_rainbow さんが、「このこと」とおっしゃっているのは、
阿蘇地wrote in MSG37993
>剰余労働の私的取得と蓄積を社会の機動力とする資本主義だから、生産性向上の成果が労働時間短縮に向かいづらい
という部分です。ごらんのように、ここでは僕も「労働時間短縮に向かいづらい」と書いていたのに、msg38000では、
ご指摘のように「労働時間は短縮されず」と決め付けてしまっています。これは明らかに間違いです。「労働時間は、短縮されづらい」と訂正いたします。訂正の機会をいただきありがとうございました。今後もお気づきの点があれば、ご指摘のほどよろしくお願いいたします。
また、補足ですが、現実の資本主義社会で曲がりなりにも労働時間が徐々に短縮に向かっている事情を理解するためには、38000では捨象したいくつかの規定をさらに取り込む必要があります。経済学では、具体的な現実から、まず本質的な規定だけを抜き出して原理的構造を明らかにした上で、そこに最初取り上げなかった副次的派生的規定を肉付けして具体的現実に再接近するという手続きをとります。
で、この場合、他にもいろいろあるかもしれないのですが、すぐにも思いつく、肉付けすべき副次的規定としては、二つほどあげるべきではないかと考えます。
第1は、労働時間は、労働の強度によって補うことができるということです。労働時間が半分になっても、たとえば、コンベア労働などの場合は、コンベアの運転速度を倍加する、事務なら、一日のノルマを倍加する、等々の方法で強度を高めれば一日の労働量は実質的には換わらないことになります。
第2.上の点と密接に絡む事柄ですが、労働時間の長さについては、個別企業の完全な自由裁量に負かされているわけでもありません。政府による規制が行われています。
以上の2点は、いずれも資本主義の場合の話です。資本主義では、放っておけば、労働時間は延長に向かう傾向が強すぎるので、政府による規制が行われます。その結果時間延長が難しくなる(実際にはサービス残業のように潜在化するだけのケースもあります)と、
それは強度を高めることによって補われるということになります。
で、強度と時間は事実として置き換え可能なので、38000のようなモデルの場合にも、「時間」によって「強度」をも代表するものとして読み込むことも常識とは行かないまでも、かなり広くに行われていることです。
>日本は資本主義社会で経済発展を
遂げた結果、週休二日制を採用する企業が増加しました。
という捕らえ方は、上記の2点を無視しているところが、残念ながら、一面的です。このような一面的理解に陥った原因は、38000で示されたような原理的構造をご理解なさっていないためと思われます。
個々の労働者の生活費は同じではありません。モデルは、社会的総量についてのモデルです。この点を明示しませんでしたので、誤解を与えていると思います。不親切、配慮不足をお詫びいたします。
念のために、申し添えれば、個々の労働者の所得も消費バスケットも同じであるべきではないと、僕は考えています。たまたまですが、マルクスも同様に考えているように思います。この点は、この数日、このトピのあちこちに書き散らしていますので、ご確認いただけるとうれしく思います。
剰余生産物が企業利潤となるのは、モデルにもあるように、「資本主義社会の場合」です。38000をご確認ください。
資本主義後の社会では、生産拡張のための追加生産手段、新世代のための追加的消費手段、緊急時に備えての備蓄、退役労働者やさまざまな事情により労働能力を失った人の消費手段などがその内容となります。
実は、資本主義でも以上の内容は基本的に同じで、そこに、資本家の消費手段が加わり、剰余生産物の全体がいったん資本家の私的所有物として排他的に占有される点に特徴があります。
この点十分な説明がなかった点、不親切、配慮不足でありました。深くお詫びいたします。
この間の最大の間違いは、こうした配慮不足にあったと心底反省しているしだいです。
繰り返しになりますが、訂正と補足の機会を下さり、本当にありがとうございました。
ご指摘のモデルは、MSG37993に対するdream_hydrangea_rainbow さんの
>あなた このことを自分のものにできてるの?
>言葉だけでなく、具体的イメージがあるの?
との疑問に対してお答えしたものです。
dream_hydrangea_rainbow さんが、「このこと」とおっしゃっているのは、
阿蘇地wrote in MSG37993
>剰余労働の私的取得と蓄積を社会の機動力とする資本主義だから、生産性向上の成果が労働時間短縮に向かいづらい
という部分です。ごらんのように、ここでは僕も「労働時間短縮に向かいづらい」と書いていたのに、msg38000では、
ご指摘のように「労働時間は短縮されず」と決め付けてしまっています。これは明らかに間違いです。「労働時間は、短縮されづらい」と訂正いたします。訂正の機会をいただきありがとうございました。今後もお気づきの点があれば、ご指摘のほどよろしくお願いいたします。
また、補足ですが、現実の資本主義社会で曲がりなりにも労働時間が徐々に短縮に向かっている事情を理解するためには、38000では捨象したいくつかの規定をさらに取り込む必要があります。経済学では、具体的な現実から、まず本質的な規定だけを抜き出して原理的構造を明らかにした上で、そこに最初取り上げなかった副次的派生的規定を肉付けして具体的現実に再接近するという手続きをとります。
で、この場合、他にもいろいろあるかもしれないのですが、すぐにも思いつく、肉付けすべき副次的規定としては、二つほどあげるべきではないかと考えます。
第1は、労働時間は、労働の強度によって補うことができるということです。労働時間が半分になっても、たとえば、コンベア労働などの場合は、コンベアの運転速度を倍加する、事務なら、一日のノルマを倍加する、等々の方法で強度を高めれば一日の労働量は実質的には換わらないことになります。
第2.上の点と密接に絡む事柄ですが、労働時間の長さについては、個別企業の完全な自由裁量に負かされているわけでもありません。政府による規制が行われています。
以上の2点は、いずれも資本主義の場合の話です。資本主義では、放っておけば、労働時間は延長に向かう傾向が強すぎるので、政府による規制が行われます。その結果時間延長が難しくなる(実際にはサービス残業のように潜在化するだけのケースもあります)と、
それは強度を高めることによって補われるということになります。
で、強度と時間は事実として置き換え可能なので、38000のようなモデルの場合にも、「時間」によって「強度」をも代表するものとして読み込むことも常識とは行かないまでも、かなり広くに行われていることです。
>日本は資本主義社会で経済発展を
遂げた結果、週休二日制を採用する企業が増加しました。
という捕らえ方は、上記の2点を無視しているところが、残念ながら、一面的です。このような一面的理解に陥った原因は、38000で示されたような原理的構造をご理解なさっていないためと思われます。
個々の労働者の生活費は同じではありません。モデルは、社会的総量についてのモデルです。この点を明示しませんでしたので、誤解を与えていると思います。不親切、配慮不足をお詫びいたします。
念のために、申し添えれば、個々の労働者の所得も消費バスケットも同じであるべきではないと、僕は考えています。たまたまですが、マルクスも同様に考えているように思います。この点は、この数日、このトピのあちこちに書き散らしていますので、ご確認いただけるとうれしく思います。
剰余生産物が企業利潤となるのは、モデルにもあるように、「資本主義社会の場合」です。38000をご確認ください。
資本主義後の社会では、生産拡張のための追加生産手段、新世代のための追加的消費手段、緊急時に備えての備蓄、退役労働者やさまざまな事情により労働能力を失った人の消費手段などがその内容となります。
実は、資本主義でも以上の内容は基本的に同じで、そこに、資本家の消費手段が加わり、剰余生産物の全体がいったん資本家の私的所有物として排他的に占有される点に特徴があります。
この点十分な説明がなかった点、不親切、配慮不足でありました。深くお詫びいたします。
この間の最大の間違いは、こうした配慮不足にあったと心底反省しているしだいです。
繰り返しになりますが、訂正と補足の機会を下さり、本当にありがとうございました。
これは メッセージ 38236 (ValleyF2000 さん)への返信です.
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