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日本とドイツの戦後処理 2

投稿者: buretutennou 投稿日時: 2005/06/11 00:31 投稿番号: [36475 / 66577]
したがって、日本では天皇を初めとして、責任ある立場の者であの戦争の責任を自らとった者がほとんどいなかった。東京裁判でA級戦犯が責任をとらされたが、これはニュールンベルグ裁判と同じく、勝者による敗者の裁きであって、戦争遂行の責任者が自ら責任をとったり、また国民が戦争責任者を自ら裁いたりしたことはなかった。

ドイツでは、ヒットラーは自殺し、国家も国旗も敗戦を機に一新された。戦争協力した新聞や雑誌もすべて廃刊になった。今もまだ戦争犯罪者を追及している。
 
日本では、アメリカの占領政策により、ヒロヒトは戦後も天皇でありつづけたし、東条内閣の商工相だったA級戦犯の岸伸介が総理大臣になっている。岸伸介は全体国家体制のなかで国民の意思とは無関係に総理大臣になったわけではなく、戦後民主主義体制の中で政治手続きをきちんと踏んで総理大臣になったわけだから、それは国民の過半がそういう選択をした、あるいは承認をしたということだ。朝日新聞にしろ文芸春秋にしろ、NHKにしろ、戦争推進に協力したマスメディアもほとんどそのまま戦後を生き延びている。国旗も国歌も戦前と変っていない。
 
つまりそれは、ドイツでは戦争を境に国家体制が根本から変ったが、日本はあれだけの侵略戦争と敗戦を経ても、国家体制が根本的に変っていないということだ。
 
責任に対する確立した観念がないから、あれだけの犯罪行為を行ったのに判断責任者も行為責任者も責任をとろうとしないし、一億総懺悔などというわけのわからない言葉に手もなくごまかされて国民も自分たちの犯した罪悪について自ら清算を図るという発想にならなかった。
 

第二に、歴史と現在の社会に対する両国民の主体性の違いが挙げられる。
 
日本では、変革は常に外部からもたらされた。開国然り、民主主義然り。平和も“平和憲法”もみんな外部からもたらされた。また、個よりも全体が優先される価値体系の社会だから、主体的な個あるいは個の確立という観念がないに等しい。だから平和も民主主義も、個としての国民が主体的に自分たちのあり方に即したものに変革していこうとする考えも起きなかった。
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