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日本とドイツの戦後処理 1

投稿者: buretutennou 投稿日時: 2005/06/11 00:30 投稿番号: [36473 / 66577]
日本とドイツの戦争認識、戦後処理の極端ともいえる相違はよく言われることだが、なぜこういうことになったのか、その原因についてはあまり論じられることがなかった。

もっとも、多くの日本人は自分たちの戦争認識がまっとうでないことに気がついていないわけだから、ドイツと日本の相違を考えるなどということに気づくはずもないのだが、日本人の戦争認識の病理や戦後処理についてのアジア諸国の非難を考えるにつけ、同じ敗戦国でありながらなぜこれほどの相違が生まれたのか。
 
いくつかの要因が思い当たるが、まず第一に、責任という概念が日本とドイツではまるで違うのではないだろうか。もっとはっきり言うならば、日本には国家乃至は組織における責任という概念がほとんど存在しなかったのではないか。
 
ドイツでは中世から結婚に際して夫婦間で入念な契約を結び、それに基づく権利・義務・責任等が実にはっきりと人々の間で意識されていた。
 
夫婦家族の個人間についてもそうだから、当然社会的な権利義務、責任についてもしっかりした意識のもとに、大は国家から小はコミュニティーに至るまでが運営されていた。
 
そういう歴史的な下地があって、ホロコーストについての責任認識と謝罪あるいは戦時賠償が、ドイツとそれを取り巻く戦勝国や戦争被害国には当然のことと受け止められた。
 
それに反して日本には、近代的な契約という観念がほとんどなかった。法律的には存在しても、国家運営者や人々の行動規範としてはほとんどなかった。常に組織の中の力による上下関係、長幼の序という行動規範で物事が運び、ひとつひとつ契約で物事の決まりをつけるという発想がなかった。

そのもっとも極端な例が、天皇の軍隊における無責任体系だろう。天皇の軍隊には、非情なまでの絶対服従の命令体系はあるが、その裏打ちとなる責任の体系は存在しなかった。軍隊というのは政治と行政の一変形だから、それは日本の政治が、命令体系は存在するが責任体系は実質的に存在しないシステムだったということにほかならない。
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