> >黄河文明とメソポタミア文明
投稿者: attoko12345 投稿日時: 2005/05/29 15:33 投稿番号: [35305 / 66577]
>中国が西欧やインドと交流を始めたのは中国文明が成立してからかなり後のことだよ。
昔はそう思われていた。
実は違う。
中国の旧石器時代は沢山遺跡がある。
ところが新石器の遺跡は旧石器時代から空白になりつながらない。
中国の新石器時代は6000年〜6500年前にしかさかのぼらない。
すなわち旧石器から新石器時代の間少なくとも3000年くらい空白時代がある。
黄河流域は3000年間無人だったのだが、是まで誰もそれを指摘しなかった。
新石器の遺跡は磁山遺跡、裴李崗遺跡が知られている。
両遺跡とも粟が検出され、粟を栽培していたことが確認される。
粟は中国原産のエノコログサである。
小麦は栽培されていない。
ところが丹念に磨かれた石の鎌が出てくる。
この鎌は粟の穂刈りには適さず、違う作物の道具であろうと考えられている。
実はこの鎌は小麦を栽培する西域からも出てくるので小麦の株きりに使われたと考えられている。
つまり、中国の新石器時代は西域からの人的交流が認められるのだ。
時代が下って黄河流域でも小麦が栽培されてくる。
中国人が西域から小麦を受け取ったか?
はたまた西域から来た民族が黄河文明を作ったか?
いずれにしても黄河文明は西域からの文化を受け取ったと知るのが最近の考古学の教えるところ。
黄河文明の彩陶だってメソポタミア原産だよ。
中国人は認めたくないけど、土器と作物が文明のキーだ。
黄河文明はメソポタミアの賜物さ。
考えてごらん、
中国語は何で英語と同じ語順なの?
インドも含めてアジア一体は日本語と同じ語順だよ。
中国語だけが逆なんだ。
殷の始祖を「帝乙」、「祖甲」などいう。
甲、乙が修飾語で帝、祖が被修飾語だ、
名詞ー形容詞の順。
後世、「商丘」と呼ばれたところにも「丘商」と記された甲骨文字が出るのだ。
殷王朝までの言語はラテン語のような言葉だったんですよ。
愛国中国人は認めたくないようだがねえ。
出典
古代中国と倭族
鳥越憲三郎
中公新書
民族の世界史
漢民族と中国社会
橋本萬太郎編
山川出版
これは メッセージ 35300 (tokagenoheso さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/552019566/cf9q_1/35305.html