Diary of John Rabe(ラーべ日記の摘録)続き
投稿者: japancockroach 投稿日時: 2005/02/23 06:42 投稿番号: [24874 / 66577]
年が明け、三八年を迎えても、日本兵の殺教、強姦は止まらない。
一月一日
『夜の九時に日本兵がトラックに乗ってやってきて女を出せとわめいた。戸を開けないでいたらいなくなった。見ていると中学校へむかった。ここはたえず日本兵におそわれている』
一月三日
『劉の妻がおそわれたのは昨日の朝だった。五人の子供がいる。夫がかけつけ、日本兵の横っ面をはって追い払った。午後、朝は丸腰だったその兵士は、今度はピストルを持ってやってきて、台所に隠れていた劉をひきずりだした。近所の人が必死で命乞いをし、ある者は足もとにひれ伏してすがった。だが日本兵は聞き入れなかった』
一月五日
『またもや漠中門が閉まっている。きのうは開いていたのに。門のそばの干上がった側溝に三百ほどの死体が横たわっているそうだ。機関銃で殺された市民たちだ。日本軍は我々外国人を城壁の外に出したがらない。南東での実態をばらされたら困るからな』
一月七日
『わが家の収容所の近くに(中略)住んでいた女性がいる。弟がー緒だが、こちらは両親と三人の子供をなくした。全員日本兵に射殺されてしまったのだ。せめて父親だけでも埋葬したいと、なけなしの金で棺桶を買ったところ、これを聞きつけた日本兵たちが蓋をこじ開け、亡骸を放り出したという。中国人なんかその辺に転がしておけばいいんだ、というのが、かれらの言い分だった』
延々と続く殺人と強姦、酸鼻をきわめる事件の数々。本書に収録されたドイツ大使館南京分室事務長シャルフェンベルクの記録では、南東大虐殺を生んだ背景をこう推測している。
『チンギス・ハーンを思い出してしまう。要するに「根絶やしにしろ」ということだ。ある参謀部の中佐から聞いたのだが、上海から南京へ向かった補給部隊は本隊に追いつかなかったそうだ。それで、日本兵はべルゼイガー(北欧神話に出てくる熊の皮をまとった大カで狂暴な戦士)のように手当たり次第に襲ったのか。「戦い抜けば、南京で美しい娘が手に入る」とでもいわれたに違いない』
二カ月半にわたる上海攻防戦で生死の淵をさ迷い、疲弊しきった兵士たちは、そのまま四百キロ道程を満足な食料の補給もないまま、南京へ向かっている。故郷へ帰る期待を裏切られ、自暴自棄になったとしても不思議ではない。しかし、南京の虐殺は一時の暴発的行為ではない。実に二カ月にもわたって延々と繰り返されたのである。シャルフェンベルクも結局、こう結論づけている。
『部隊が統制を失ったからだ、ということはやさしい。だが、私はそうは思わない。アジア人の戦争のやり方は、我々西洋人とは根本的に違っているからだ。もし、日本と中国の立場が逆だったとしても、おそらく大した違いはなかったろう』
一月十七月
『昨日の午後、ローゼンといっしょにかなり長い間市内を回った。すっかり気が滅入ってしまった。日本軍はなんというひどい破壊のしかたをしたのだろう。 あまりのことに言葉もない。近いうちにこの街が息を吹き返す見込みはあるまい。かつての目抜き通り、イルミネーションなら上海の南京路にひげをとらないと、南京っ子の自慢の種だった太平路は、あとかたもなく壊され、焼き払われてしまった』
一月一日
『夜の九時に日本兵がトラックに乗ってやってきて女を出せとわめいた。戸を開けないでいたらいなくなった。見ていると中学校へむかった。ここはたえず日本兵におそわれている』
一月三日
『劉の妻がおそわれたのは昨日の朝だった。五人の子供がいる。夫がかけつけ、日本兵の横っ面をはって追い払った。午後、朝は丸腰だったその兵士は、今度はピストルを持ってやってきて、台所に隠れていた劉をひきずりだした。近所の人が必死で命乞いをし、ある者は足もとにひれ伏してすがった。だが日本兵は聞き入れなかった』
一月五日
『またもや漠中門が閉まっている。きのうは開いていたのに。門のそばの干上がった側溝に三百ほどの死体が横たわっているそうだ。機関銃で殺された市民たちだ。日本軍は我々外国人を城壁の外に出したがらない。南東での実態をばらされたら困るからな』
一月七日
『わが家の収容所の近くに(中略)住んでいた女性がいる。弟がー緒だが、こちらは両親と三人の子供をなくした。全員日本兵に射殺されてしまったのだ。せめて父親だけでも埋葬したいと、なけなしの金で棺桶を買ったところ、これを聞きつけた日本兵たちが蓋をこじ開け、亡骸を放り出したという。中国人なんかその辺に転がしておけばいいんだ、というのが、かれらの言い分だった』
延々と続く殺人と強姦、酸鼻をきわめる事件の数々。本書に収録されたドイツ大使館南京分室事務長シャルフェンベルクの記録では、南東大虐殺を生んだ背景をこう推測している。
『チンギス・ハーンを思い出してしまう。要するに「根絶やしにしろ」ということだ。ある参謀部の中佐から聞いたのだが、上海から南京へ向かった補給部隊は本隊に追いつかなかったそうだ。それで、日本兵はべルゼイガー(北欧神話に出てくる熊の皮をまとった大カで狂暴な戦士)のように手当たり次第に襲ったのか。「戦い抜けば、南京で美しい娘が手に入る」とでもいわれたに違いない』
二カ月半にわたる上海攻防戦で生死の淵をさ迷い、疲弊しきった兵士たちは、そのまま四百キロ道程を満足な食料の補給もないまま、南京へ向かっている。故郷へ帰る期待を裏切られ、自暴自棄になったとしても不思議ではない。しかし、南京の虐殺は一時の暴発的行為ではない。実に二カ月にもわたって延々と繰り返されたのである。シャルフェンベルクも結局、こう結論づけている。
『部隊が統制を失ったからだ、ということはやさしい。だが、私はそうは思わない。アジア人の戦争のやり方は、我々西洋人とは根本的に違っているからだ。もし、日本と中国の立場が逆だったとしても、おそらく大した違いはなかったろう』
一月十七月
『昨日の午後、ローゼンといっしょにかなり長い間市内を回った。すっかり気が滅入ってしまった。日本軍はなんというひどい破壊のしかたをしたのだろう。 あまりのことに言葉もない。近いうちにこの街が息を吹き返す見込みはあるまい。かつての目抜き通り、イルミネーションなら上海の南京路にひげをとらないと、南京っ子の自慢の種だった太平路は、あとかたもなく壊され、焼き払われてしまった』
これは メッセージ 24873 (japancockroach さん)への返信です.
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