文革の死亡者数1 紅色恐怖
投稿者: flwsemi 投稿日時: 2005/02/16 15:56 投稿番号: [24259 / 66577]
文革中に結局何人が死んだのだろう?
さまざまな説があって、未だに確定していない。
1980年、訒小平が言ったように「統計は永久にだせない」のだろうか。
R. J. Rummel 教授は大体773万人としている。
この数字は大きすぎるとしても、200万以上は間違いないと筆者は考えている。
文革では死亡者の集中した時期がいくつかある。
その第一波が「紅色恐怖」である。
1966年6月1日、人民日報は社説で「牛鬼蛇神を一掃せよ」を発表し、文革が正式に始まった。
「一掃」は、当初、共産党幹部子弟の衛兵による「家宅捜索」という形で始まった。当時、牛鬼蛇神は「五類分子」すなわち、地、富、反、壊、右と資本家に限定されたが、北京で、家宅捜索を受けた家は11万4000戸を超える。さらに急速に全国へ展開し、たとえば、上海郊外の川沙県では、7800戸、浙江省(山乗)県でも、8000戸余りが捜索をうけた。全国の総数では1000万戸にのぼる。
家宅捜索を受けた家では、拷問、殴打、撲殺が行われ、共産党の公式統計では北京で殺された人間が1700人以上。
各省、市の公安局は、学生が好き勝手に殺人をすることについて、憂慮していたが、8月22日、毛沢東は「革命学生運動の鎮圧に警察が出動することを厳禁する」という文書を出した。これによって、全国の警察はすべて紅衛兵の凶行を黙認する結果となった。最高指示は全国にひろがり、殺された人間は10万人。
また文革初期の自殺者は20万人になる。これほど多くの人間がこれほど広い範囲で、自らの命を絶ったという事件は、世界史上他に例を見ない。陝西省ひとつをとっても、幹部の自殺者は2000人以上いる。
これは メッセージ 1 (topics_editor さん)への返信です.
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