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倭・倭人の意味を呼称する考究について

投稿者: japancockroach 投稿日時: 2005/02/02 17:31 投稿番号: [23152 / 66577]
倭・倭人の意味

倭に相当する地域は中国からは「東夷」とも呼ばれており(東夷・西戎・南蛮・北狄)、同様に「倭」という呼称も元々は「小さい」という意味で辺境の蛮族に対する蔑称であったとされる。

「遙か遠いところ」「柔順な性格」「小柄な人びと(チビ)」など、いろいろの説がある。
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古代の倭

倭人といえば、弥生時代人であるという固定された考えが根強い。しかし、中国人はある時期の縄文人から倭人と呼び出したと見られている。

「楽浪海中に倭人あり、分かれて百余国となり、歳時を以て来たり、献見すという」
(『漢書』地理志)

「楽浪」は、漢の武帝が紀元前108年に朝鮮半島へ設置した四郡の一つである。この記事は紀元前後の倭が百余国に分かれていたことを書いている。中国人たちの目には、倭という列島があり、そこには「国」といえる地域があると映っている。紀元前から倭には地域国家・独立国家があったのである。

古代の中国史上に姿を見せる倭人の国家「倭」については、1世紀の奴国や3世紀の邪馬台国よりも後の時代においては、広く関東から北九州までを支配した大和王権の国家のことを指すと考えられている。中でも、4世紀以降たびたび中国史上に姿を見せる王制国家を指して、特に倭と呼ぶことが一般的である。

今日では大和王権の国家を「倭」と呼ぶことは、7世紀末から8世紀初頭に大和朝廷が国号を「日本」と改める時点までに対して用いられる。「記紀」では「倭」を「ヤマト」と読み、奈良の大和や日本を指している。

ただし、大和朝廷の記録とされる日本書紀などには中国側史料に見られる「倭の五王」に相当する記述がないことなどから、中国と交流していた「倭」そのものは大和王権とは別の北九州の勢力であったとする説や、大和王権説の中にも、応神王朝説と絡めた北九州勢力説や、大和王権が国号を「日本」としたのはそれまでの「倭」としての支配体制との間に断絶や政権交代があったとする説、などがある。(ただしこれらは異説の域を出てはいない)

「倭国自らその名を雅(みやびやか)ならざるを悪(にく)み、改めて日本となす」
(『旧唐書(くとうしょ)』東夷伝)
「倭の名を悪み、更めて日本と号す」
(『新唐書』日本伝)

古くは「倭」と書いて日本の国家を指す「やまと」と読ませたこと、後に「大和」という表現へ置き換えられたこと(倭→和への置き換え、「委」から来る意味を国号としてふさわしくないとして同じ音の字に換えたとする説)などから、倭国や倭人自身も「倭」と認識していた可能性があった。そのため蔑称であったとされる「倭」の字を使うのを忌み嫌い、みずから「日本」と称するようになったとも言われる。

[倭]わと読む倭人、倭国、倭王の語源 古くは倭人と呼ばれた民族が原点、夏王朝を滅ぼした殷国の民族を以前は山岳に住まい、ヤンシャオ族に類す、倭はこの民族の住まいに端を発し環濠集落を築いている。この住まいの回りに環濠を特徴としたから、(わ)とした、民族を倭族とし匈奴、鮮卑民族の総称(倭人、呉国、(秦始皇帝系)倭国等) 日本では縄文時代の東方民族はこの人類で殷の滅亡により避難民となり渡来。 この時期もわの特徴の生活は伝承していて、竪穴式建物でわ形の家に住み中央 に炉を造り暖をとる事も輪の特徴である。
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中世の倭

その後中世から近世にかけても、中国から大和民族を指す場合には「倭」と呼ぶことがあった。(倭寇(和寇)などを参照。)この場合、琉球や台湾などを含め「中国から東の海を隔てた土地から来る人々」を総称する、漠然とした呼称でもあったようである。
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現代

公式の場において使われることはないが、現代の中国や韓国などでは、日本や日本人に対して侮蔑的な意味を込めて倭という言葉を使うことがある。蔑まれた当人である日本人が意味を知らずに喜んでいる場合があるなど、日本では侮蔑的な表現であるということをあまり知られていない。
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