<邪馬台国と高天原>日本国の起源について
投稿者: japancockroach 投稿日時: 2005/02/02 16:47 投稿番号: [23146 / 66577]
<邪馬台国と高天原>
卑弥呼=天照大御神とすると、必然的に邪馬台国=高天原となり、この高天原は北部九州から山口県にかけての邪馬台連合国家のことで、いわば九州王朝とも言うべきでしょう。そして葦原中国とは出雲王朝を意味する場合が多いのです。
記紀神話では、「卑弥呼─台与」を正統王朝として基軸にすえて天照大御神に象徴化し、一方、この「卑弥呼─台与」に対抗する勢力の象徴として素戔嗚命(スサノオ命)を他方の軸にすえたのです。すなわち素戔嗚命の実体は、「狗奴国王+邪馬台連合国家の男王+出雲王朝の国王」という異なる三人物の統一体となっています。
天照大御神=卑弥呼+台与
素戔嗚命=狗奴国王+邪馬台連合国家の男王+出雲王朝の国王
以上のように、卑弥呼時代の素戔嗚命は邪馬台連合国家に対抗する勢力であった狗奴国王の象徴として、また卑弥呼死後から台与出現までの素戔嗚命は「卑弥呼−台与」という正統から追放された邪馬台連合国家の男王の象徴として描かれています。これが記紀神話では素戔嗚命の高天原からの追放に相当します。
記紀神話では、天照大御神は素戔嗚命と争い、素戔嗚命に国(高天原)を奪われかねない状況となり、ついに天照大御神は天の岩戸に隠れてしまいました。これが倭人伝には、邪馬台国と狗奴国の戦争と卑弥呼の死去として記録されているわけです。
また倭人伝によれば、卑弥呼が死去した後、いったん男王が邪馬台国の国王となったが、国中が服せず千人を殺す内戦となり、この男王は結局追放されて、卑弥呼の宗女の台与が女王となりました。これが記紀神話では、素戔嗚命の高天原からの追放と、天照大御神が天の岩戸から出て再生したことに対応します。
さらに、台与出現により邪馬台連合国家が再生した後の素戔嗚命は、九州王朝(邪馬台連合国家)に対抗する勢力の代表としての出雲王朝の象徴として描かれています。
ところで、大国主命を中心とする出雲神話は、本来は出雲地方(出雲王朝)での独立した神話でありました。しかし記紀神話では、素戔嗚命を「卑弥呼ー台与」の正統王朝に対抗する勢力の代表としたため、素戔嗚命をかなり強引に出雲神話に結びつけました。したがって、本来の素戔嗚命=狗奴国王は、出雲神話とは無縁であります。
なお、素戔嗚命と出雲神話の結びつきは、素戔嗚命が高天原を追放されて出雲に降り立ち、八岐大蛇を退治して奇稲田姫を救け、この姫と結婚することから始まります。しかしこの物語は、日本書紀の本文だけではなく一書群にも登場します。したがって、日本書紀に先行する歴史書(六〜七世紀成立と推定)において、素戔嗚命を「卑弥呼ー台与」の正統王朝に対抗する勢力の代表とする物語の骨格は、すでに出来上がっていたものと考えるべきでしょう。
邪馬台国の位置論という大テーマは、里程・日程つきの魏志倭人伝からの解明がまず第一に必要ですが、邪馬台国=高天原ということであれば、記紀神話にあらわれる高天原の場所を検討することにより、邪馬台国の位置をさぐるアプロ−チも補完的に考えられます。
記紀などの日本神話が語る高天原は、のちに大和朝廷の中心となった勢力の祖先が、遠い昔にいた場所についての記憶を、伝承の形で伝えたものではなかろうか、とのいわゆる「高天原論争」 は邪馬台国論争と同じ程度の歴史をもっています。
そして不思議なことに、この高天原論争も邪馬台国論争と同じく、もっとも有力な説として九州説と大和説があります。ここで高天原論争は邪馬台国論争と重なり合ってきます。
安本美典氏は、古事記神代編におさめられている説話の舞台を統計的に分析し、現実的色彩をもつ地名と神話的色彩をもつ地名をめぐって、次の結果をみちびき出しました。
現実的色彩をもつ地名(国名) 神話的色彩をもつ地名(国名)
1位 九州(西海道)29.3 % 1位 高天原 38.3 %
2位 山陰(山陰道)27.9 % 2位 葦原中国 27.7 %
卑弥呼=天照大御神とすると、必然的に邪馬台国=高天原となり、この高天原は北部九州から山口県にかけての邪馬台連合国家のことで、いわば九州王朝とも言うべきでしょう。そして葦原中国とは出雲王朝を意味する場合が多いのです。
記紀神話では、「卑弥呼─台与」を正統王朝として基軸にすえて天照大御神に象徴化し、一方、この「卑弥呼─台与」に対抗する勢力の象徴として素戔嗚命(スサノオ命)を他方の軸にすえたのです。すなわち素戔嗚命の実体は、「狗奴国王+邪馬台連合国家の男王+出雲王朝の国王」という異なる三人物の統一体となっています。
天照大御神=卑弥呼+台与
素戔嗚命=狗奴国王+邪馬台連合国家の男王+出雲王朝の国王
以上のように、卑弥呼時代の素戔嗚命は邪馬台連合国家に対抗する勢力であった狗奴国王の象徴として、また卑弥呼死後から台与出現までの素戔嗚命は「卑弥呼−台与」という正統から追放された邪馬台連合国家の男王の象徴として描かれています。これが記紀神話では素戔嗚命の高天原からの追放に相当します。
記紀神話では、天照大御神は素戔嗚命と争い、素戔嗚命に国(高天原)を奪われかねない状況となり、ついに天照大御神は天の岩戸に隠れてしまいました。これが倭人伝には、邪馬台国と狗奴国の戦争と卑弥呼の死去として記録されているわけです。
また倭人伝によれば、卑弥呼が死去した後、いったん男王が邪馬台国の国王となったが、国中が服せず千人を殺す内戦となり、この男王は結局追放されて、卑弥呼の宗女の台与が女王となりました。これが記紀神話では、素戔嗚命の高天原からの追放と、天照大御神が天の岩戸から出て再生したことに対応します。
さらに、台与出現により邪馬台連合国家が再生した後の素戔嗚命は、九州王朝(邪馬台連合国家)に対抗する勢力の代表としての出雲王朝の象徴として描かれています。
ところで、大国主命を中心とする出雲神話は、本来は出雲地方(出雲王朝)での独立した神話でありました。しかし記紀神話では、素戔嗚命を「卑弥呼ー台与」の正統王朝に対抗する勢力の代表としたため、素戔嗚命をかなり強引に出雲神話に結びつけました。したがって、本来の素戔嗚命=狗奴国王は、出雲神話とは無縁であります。
なお、素戔嗚命と出雲神話の結びつきは、素戔嗚命が高天原を追放されて出雲に降り立ち、八岐大蛇を退治して奇稲田姫を救け、この姫と結婚することから始まります。しかしこの物語は、日本書紀の本文だけではなく一書群にも登場します。したがって、日本書紀に先行する歴史書(六〜七世紀成立と推定)において、素戔嗚命を「卑弥呼ー台与」の正統王朝に対抗する勢力の代表とする物語の骨格は、すでに出来上がっていたものと考えるべきでしょう。
邪馬台国の位置論という大テーマは、里程・日程つきの魏志倭人伝からの解明がまず第一に必要ですが、邪馬台国=高天原ということであれば、記紀神話にあらわれる高天原の場所を検討することにより、邪馬台国の位置をさぐるアプロ−チも補完的に考えられます。
記紀などの日本神話が語る高天原は、のちに大和朝廷の中心となった勢力の祖先が、遠い昔にいた場所についての記憶を、伝承の形で伝えたものではなかろうか、とのいわゆる「高天原論争」 は邪馬台国論争と同じ程度の歴史をもっています。
そして不思議なことに、この高天原論争も邪馬台国論争と同じく、もっとも有力な説として九州説と大和説があります。ここで高天原論争は邪馬台国論争と重なり合ってきます。
安本美典氏は、古事記神代編におさめられている説話の舞台を統計的に分析し、現実的色彩をもつ地名と神話的色彩をもつ地名をめぐって、次の結果をみちびき出しました。
現実的色彩をもつ地名(国名) 神話的色彩をもつ地名(国名)
1位 九州(西海道)29.3 % 1位 高天原 38.3 %
2位 山陰(山陰道)27.9 % 2位 葦原中国 27.7 %
これは メッセージ 1 (topics_editor さん)への返信です.
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