サンスクリット語、Cinaを語源とする考察③
投稿者: qoraboy 投稿日時: 2005/02/02 16:23 投稿番号: [23140 / 66577]
日本では、孫文もかつて「支那」という呼称を使ったことがあるではないかと弁解する人もいる。孫文は一八九九年、一九〇三年の少数の場合に確かに「支那」という言葉を使ったことがある。当時は「支那」という言葉がさげすむ意味へと変わる初期にあったことも理由の一つとしてあげられよう。一九〇五年以後、「支那」のさげすむ意味が逐次濃厚になり、そのときから孫文は二度と「支那」を使わなくなり、そのかわり「中国」を用いるようになった。もう一つの理由は、孫文は革命者として、「支那」は清王朝と等しいと考え、「中国」はその革命を進めて樹立をめざす中華民国であり、中華民国の建国以前「支那」と呼称したのは清王朝を指すものであって、辛亥革命後、「中国」と改称した。
「中国」という語は最初は『詩経』の中に出ていて、首都、みやこを指すものであった。その後、漢民族、華夏族の居住地を指し、当時の中原漢民族以外の地は「四夷」と称され、「東方の一隅が中国となり、残ったのは皆夷狄」ということだったのである。漢民族、華夏族の居住地が中央部にあって、「中国」と称され、すなわち中央の国であり、それは地理的概念であった。おおむね十九世紀中葉になって「中国」という名称はようやく国家という概念として現れ、辛亥革命によって初めて正式に中国が国名として定着した。一九一一年十月十一日、革命軍は諮議局で十三カ条の重要方針を議定したが、その第二条は「中国を中華民国と称する」ことである。一九四九年、中華人民共和国が成立し、毛沢東主席は天安門城楼でおごそかに「中国人民はこのときから立ち上がったのだ」と宣言した。そのときから中華人民共和国が新中国の正式の呼称となったのである。
かつて天皇は祭事において自国を倭奴那と称していた、しかし、現在ではこれも死語となり、倭と呼ぶ心ない者はいない。
それを、敢えて差別語を用いる者は、誇りある人間として如何なものだろうか。
これは メッセージ 23139 (qoraboy さん)への返信です.
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