ドイツのラーべ日記について(3)
投稿者: natsumesouseki_hk 投稿日時: 2004/11/22 00:36 投稿番号: [15875 / 66577]
地獄のクリスマス
各地の難民収容所からは国際委員会に、助けを求める請願書が相次いだ。本書では、そのひとつが紹介されている。
『三人から五人の日本兵のグループに何度も押し入られ、略奪されました。今日もまたひっきりなしに日本兵がやってきました。装飾品はもとより、現金、時計、服という服、何もかもあらいざらいもっていかれました。比較的若い女性たちは毎夜連れ去られます。トラックにのせられ、翌朝になってようやく帰されるのです。これまでに三十人以上が暴行されました。女性や子どもたちの悲鳴が夜昼となく響き渡っています。この悲惨なありさまはなんともいいようがありません! どうか、われわれをお助けくだきい1』
この地獄のような街にも、クリスマスはやってくる。ラーべは赤いアドヴェントシュテルン(クリスマスに使う星形のロウソク立て)を箱に詰め、ジーメンスのカレンダーと共に鼓楼病院へ持って行った。女性たちへのプレゼントだ。しかし…
十二月二十四日
『ちょうどいい機会だからと、ウィルソン先生が患者を見せてくれた。顔じゅう銃剣の傷だらけの婦人は、流産はしたものの、まあまあ元気だった。下あごにー発銃弾を受け、全身にやけどを負った男性もいた。ガソリンをかけられて火をつけられたのだ。(中略)地下の遺体安置室にも入った。(中略)両眼が燃え尽き、頭部が完全に焼けこげた死体があった。民間人だ。やはりガソリンをかけられたという。七歳くらいの男の子のもあった。銃剣の傷が四つ。ひとつは胃のあたりで、指の長さくらいだった。痛みを訴える力すらなく、病院に運ばれてから二日後に死んだという』
『こういうむごたらしい姿を見ても、もはや目をそむけはしない。クリスマス気分どころではないが、この残虐さをぜひこの目で確かめておきたいのだ。いつの日か目撃者として語ることができるように。これほどの残忍な行為をこのまま闇に葬ってなるものか!』
クリスマス前、日本側でも難民委員会が設置されることになる。難民はすべて登録し、「良民証」を受け取り、中国人元兵士は特別収容所へ入ることになるという。ラーベらも協力を要請され、難民が少しでも保護されれば、と引き受ける。しかし、事態はむしろ悪化するばかりだった。
十二月二十五日
『早くも悲惨な清報が次々と寄せられている。登録のとき、健康で屈強な男たちが大ぜいよりわけられた(剔出)のだ。行き着く先は強制労働か、処刑だ。若い娘も選別されえ。兵隊用の大がかりな売春宿をつくろうというのだ。そういう情け容赦ない仕打ちを聞かされると、クリスマス気分などふきとんでしまう』
十二月二十七日
『鼓楼病院に今日、男がー人、担ぎ込まれてきた。五カ所も銃剣で刺されている。金陵中学では、およそニ百人の元兵士が選び出されたのだが、そのうちのー人だという。この元兵士たちは、射殺されたのではなく、銃剣で突き殺されたのだ。目下この方法が取られている。さもないと、我々外国人が機関銃の音に耳をそばだてて、なにかあったのか、とうるさいからだ』
十二月二十八日、日本軍から、ドイツ人五人はー緒に暮らしては、との提案があった。そのほうが保護しやすい、という理由である。しかし、ラーベは拒否する。
『私はきっぱり言った。「身の安全ということなら、中国人と同じでけっこうですよ。日本軍は中国人を保護すると約束しているんですからね。もしも中国人を見殺しにするつもりだったら、トラウトマン大使や他のドイツ人といっしょにさっさとクトゥー号で逃げていましたよ。」』
年が明け、三八年を迎えても、日本兵の殺教、強姦は止まらない。
一月一日
『夜の九時に日本兵がトラックに乗ってやってきて女を出せとわめいた。戸を開けないでいたらいなくなった。見ていると中学校へむかった。ここはたえず日本兵におそわれている』
一月三日
『劉の妻がおそわれたのは昨日の朝だった。五人の子供がいる。夫がかけつけ、日本兵の横っ面をはって追い払った。午後、朝は丸腰だったその兵士は、今度はピストルを持ってやってきて、台所に隠れていた劉をひきずりだした。近所の人が必死で命乞いをし、ある者は足もとにひれ伏してすがった。だが日本兵は聞き入れなかった』
一月五日
『またもや漠中門が閉まっている。きのうは開いていたのに。門のそばの干上がった側溝に三百ほどの死体が横たわっているそうだ。機関銃で殺された市民たちだ。日本軍は我々外国人を城壁の外に出したがらない。南東での実態をばらされたら困るからな』
各地の難民収容所からは国際委員会に、助けを求める請願書が相次いだ。本書では、そのひとつが紹介されている。
『三人から五人の日本兵のグループに何度も押し入られ、略奪されました。今日もまたひっきりなしに日本兵がやってきました。装飾品はもとより、現金、時計、服という服、何もかもあらいざらいもっていかれました。比較的若い女性たちは毎夜連れ去られます。トラックにのせられ、翌朝になってようやく帰されるのです。これまでに三十人以上が暴行されました。女性や子どもたちの悲鳴が夜昼となく響き渡っています。この悲惨なありさまはなんともいいようがありません! どうか、われわれをお助けくだきい1』
この地獄のような街にも、クリスマスはやってくる。ラーべは赤いアドヴェントシュテルン(クリスマスに使う星形のロウソク立て)を箱に詰め、ジーメンスのカレンダーと共に鼓楼病院へ持って行った。女性たちへのプレゼントだ。しかし…
十二月二十四日
『ちょうどいい機会だからと、ウィルソン先生が患者を見せてくれた。顔じゅう銃剣の傷だらけの婦人は、流産はしたものの、まあまあ元気だった。下あごにー発銃弾を受け、全身にやけどを負った男性もいた。ガソリンをかけられて火をつけられたのだ。(中略)地下の遺体安置室にも入った。(中略)両眼が燃え尽き、頭部が完全に焼けこげた死体があった。民間人だ。やはりガソリンをかけられたという。七歳くらいの男の子のもあった。銃剣の傷が四つ。ひとつは胃のあたりで、指の長さくらいだった。痛みを訴える力すらなく、病院に運ばれてから二日後に死んだという』
『こういうむごたらしい姿を見ても、もはや目をそむけはしない。クリスマス気分どころではないが、この残虐さをぜひこの目で確かめておきたいのだ。いつの日か目撃者として語ることができるように。これほどの残忍な行為をこのまま闇に葬ってなるものか!』
クリスマス前、日本側でも難民委員会が設置されることになる。難民はすべて登録し、「良民証」を受け取り、中国人元兵士は特別収容所へ入ることになるという。ラーベらも協力を要請され、難民が少しでも保護されれば、と引き受ける。しかし、事態はむしろ悪化するばかりだった。
十二月二十五日
『早くも悲惨な清報が次々と寄せられている。登録のとき、健康で屈強な男たちが大ぜいよりわけられた(剔出)のだ。行き着く先は強制労働か、処刑だ。若い娘も選別されえ。兵隊用の大がかりな売春宿をつくろうというのだ。そういう情け容赦ない仕打ちを聞かされると、クリスマス気分などふきとんでしまう』
十二月二十七日
『鼓楼病院に今日、男がー人、担ぎ込まれてきた。五カ所も銃剣で刺されている。金陵中学では、およそニ百人の元兵士が選び出されたのだが、そのうちのー人だという。この元兵士たちは、射殺されたのではなく、銃剣で突き殺されたのだ。目下この方法が取られている。さもないと、我々外国人が機関銃の音に耳をそばだてて、なにかあったのか、とうるさいからだ』
十二月二十八日、日本軍から、ドイツ人五人はー緒に暮らしては、との提案があった。そのほうが保護しやすい、という理由である。しかし、ラーベは拒否する。
『私はきっぱり言った。「身の安全ということなら、中国人と同じでけっこうですよ。日本軍は中国人を保護すると約束しているんですからね。もしも中国人を見殺しにするつもりだったら、トラウトマン大使や他のドイツ人といっしょにさっさとクトゥー号で逃げていましたよ。」』
年が明け、三八年を迎えても、日本兵の殺教、強姦は止まらない。
一月一日
『夜の九時に日本兵がトラックに乗ってやってきて女を出せとわめいた。戸を開けないでいたらいなくなった。見ていると中学校へむかった。ここはたえず日本兵におそわれている』
一月三日
『劉の妻がおそわれたのは昨日の朝だった。五人の子供がいる。夫がかけつけ、日本兵の横っ面をはって追い払った。午後、朝は丸腰だったその兵士は、今度はピストルを持ってやってきて、台所に隠れていた劉をひきずりだした。近所の人が必死で命乞いをし、ある者は足もとにひれ伏してすがった。だが日本兵は聞き入れなかった』
一月五日
『またもや漠中門が閉まっている。きのうは開いていたのに。門のそばの干上がった側溝に三百ほどの死体が横たわっているそうだ。機関銃で殺された市民たちだ。日本軍は我々外国人を城壁の外に出したがらない。南東での実態をばらされたら困るからな』
これは メッセージ 15874 (natsumesouseki_hk さん)への返信です.
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