>>鑑真和尚の像
投稿者: wangjunhe720 投稿日時: 2004/10/08 21:26 投稿番号: [13440 / 66577]
ある因縁を信じれば、奈良の唐招提寺という寺は、長屋王が中国の僧によせた袈裟(けさ)の縁に縫い付けたという、四言の漢詩を目にした鑑真が来日を決意したことによって出来たお寺であった、と。
その詩とは
山川異域
風月同天
山川異域なるとも、風月天を同じくす
寄諸仏子
共結来縁
諸の仏子に寄す、共に来縁を結ばん
(『全唐詩巻732』)
言うならば、この有能な左大臣、長屋王の呼びかけに答え、鑑真和上が天平勝宝6年(754)来日を果たしたわけであった。
で、東大寺は授戒の道場とし、唐招提寺を戒律の道場として、日本の律宗の開祖となった。
その時日本はすでに幾つかの立派なお寺が建立され、薬師寺、法隆寺、東大寺なども出来た。『大般若経』も伝わり、600巻も書写させたわけ。
だが、お寺が出来てもお坊ずさんはどのような仕来り(戒律)で仏法生活を送ればいいか分らなかったそうでした。或いはどのような修業をし、どのような基準に達せばいいか、分らなかったとも言えます。
まあ、今の言い方をすればハードな面(寺)では基準に満たせたが、ソフトの面(律)ではアヤフヤ、ということです。
今の北京、上海の町並みや高層ビルを思い出せばいい。外観はまま良いが、だけど肝心な中身と言うと、ふん?・・・ということです。
昔、中国のお坊ずさん鑑真が来て、精神的な部分、の面倒を見てくれました。今日は2,3時間でも飛んでいけるから、日本からの「日本人鑑真」さんが現れるのだろうか?勿論中国へ。
待ってますよ。
(・・・期待しない方が良いかもしれないが、念の為)
これは メッセージ 13417 (tokumori_ciel さん)への返信です.
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