ちょっと続き
投稿者: aki_fumika 投稿日時: 2003/07/31 11:59 投稿番号: [136 / 16409]
ちょっと気になる書き込みがあったので。よく、台湾は現状でいいとかすでに独立しているという発言をときどき耳にします。しかし、こうした人たちの多くは、以前、江沢民が示した台湾吸収のロードマップ(200x年には台湾を吸収するとすでに発言している
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差し障りがあるので精確な年次は示しません)をご存知ないのではないかと思います。また、現実には、中共では相当数のミサイルが台湾や日本に向けられていますし、中共軍部の連中に会って話を聞けば、どんな考えをもっているか分かると思いますけど。楽観論がいかに危ういものであるかは現実がすでに示しているのですが。
第二次大戦以降、敗戦国は侵略戦争への反省と賠償を国家レベルで求められてきました。と、同時に、民族としての負債(実存的な考えを分かりやすく表現しています)を負わされることになります。しかし、負債というのは、共通する契約(共通思想基盤)がないと成立しません。そして、この負債は国家、民族が負うと同時に個々人も負うべきものなのです(社会と個人、国家と個人の問題)。
こうしたことを、第二次大戦、日本とアジア諸国、ということに限定して考えると理解しやすいでしょうが、この契約は広域的に適用されるべきものなのです。民族間の契約ですから、その当該民族が契約を履行するための共通認識、共通基盤を持たねばならないわけです。
つまり、蒋介石、蒋経国政権下で行なわれた台湾民族に対する大量殺人、圧制、弾圧については、台湾政府、国民党がその負債を負うと同時にといわゆる外省人も個々人として追うべき債務なのです。
これと同様なことは、中共における天安門やチベットでの行為。これは中共政府が負うべき負債であると同時に中共の国民全員が追わねばならぬ債務なのです。
国内のことには不干渉であれ、というのは、この契約では、含まれていない条件なのです。
負債を返還せよと迫る者が、その契約の成立基盤を無視するのでは、契約そのものの正当性が疑われる、ということです。
これで、なんとか、horse_224さん、私からの答えになってますでしょうか?
日本では、敗戦後の政治や教育の中で、思想的基盤なしに(思想という言葉が嫌な思い出を喚起するなら、哲学的基盤と言ってもよいのですが)、非常に不可思議な平和教育が行なわれてきましたし(非論理的であり、哲学的な根拠に欠け、かつ、非常に政治的な)、民族、国民としてのアイデンティティに対する考察や教育が非常に貧しかったわけで(アイデンティティの訳語で自己同一性なんてのはやっと20年前位に出てきたものですよ -- 平井啓之の発案)。
ですから、私たちは、深く、この契約について考えることをしてこなかったのです。
偉そうに言うことではないのですが、中国系の方々の嫌いな作家に、魯迅、という人がおります。この魯迅の書いた小品の中のことはほとんど事実に非常に近いものです。これが本当の中国系の(中国人という概念はひとつの中国を喚起させますので使いません)方々の姿だ、ということを、ご理解いただければ、と思います。
第二次大戦以降、敗戦国は侵略戦争への反省と賠償を国家レベルで求められてきました。と、同時に、民族としての負債(実存的な考えを分かりやすく表現しています)を負わされることになります。しかし、負債というのは、共通する契約(共通思想基盤)がないと成立しません。そして、この負債は国家、民族が負うと同時に個々人も負うべきものなのです(社会と個人、国家と個人の問題)。
こうしたことを、第二次大戦、日本とアジア諸国、ということに限定して考えると理解しやすいでしょうが、この契約は広域的に適用されるべきものなのです。民族間の契約ですから、その当該民族が契約を履行するための共通認識、共通基盤を持たねばならないわけです。
つまり、蒋介石、蒋経国政権下で行なわれた台湾民族に対する大量殺人、圧制、弾圧については、台湾政府、国民党がその負債を負うと同時にといわゆる外省人も個々人として追うべき債務なのです。
これと同様なことは、中共における天安門やチベットでの行為。これは中共政府が負うべき負債であると同時に中共の国民全員が追わねばならぬ債務なのです。
国内のことには不干渉であれ、というのは、この契約では、含まれていない条件なのです。
負債を返還せよと迫る者が、その契約の成立基盤を無視するのでは、契約そのものの正当性が疑われる、ということです。
これで、なんとか、horse_224さん、私からの答えになってますでしょうか?
日本では、敗戦後の政治や教育の中で、思想的基盤なしに(思想という言葉が嫌な思い出を喚起するなら、哲学的基盤と言ってもよいのですが)、非常に不可思議な平和教育が行なわれてきましたし(非論理的であり、哲学的な根拠に欠け、かつ、非常に政治的な)、民族、国民としてのアイデンティティに対する考察や教育が非常に貧しかったわけで(アイデンティティの訳語で自己同一性なんてのはやっと20年前位に出てきたものですよ -- 平井啓之の発案)。
ですから、私たちは、深く、この契約について考えることをしてこなかったのです。
偉そうに言うことではないのですが、中国系の方々の嫌いな作家に、魯迅、という人がおります。この魯迅の書いた小品の中のことはほとんど事実に非常に近いものです。これが本当の中国系の(中国人という概念はひとつの中国を喚起させますので使いません)方々の姿だ、ということを、ご理解いただければ、と思います。
これは メッセージ 133 (horse_224 さん)への返信です.
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