>horse_224さんへ、ありがたく
投稿者: aki_fumika 投稿日時: 2003/07/31 10:48 投稿番号: [135 / 16409]
間違いが一つあったような、南大門市場ではなく南門市場だったかと(ナンデムンはソウルでした。。。南門市場は師範大学の前の通り沿いにあります)。
ご指摘の、私の十羽一絡げ発言、反省しきり。
ただ、こうした対立構造は日本の植民地時代にすでにその萌芽が認められます(卑近な例でいくと、非情城市という映画にもそれが描かれています)。
私の場合ですと、台湾長老教会や台南神学院などで、お話を伺う機会が非常に多かったですし、現在の李登輝学校の関係者の方ともこうした話題についてお話をしております。私が言うとエキセントリックに聞こえてしまうかもしれませんが、別に、タブーでもなんでもなくごく一般的な話題です(それでも三軍の集まりに出たり、国民党政権時代の上層部の方とあったりもしていますので、別に偏っているつもりはありませんが)。
台北というのは特殊なところで、商売、つまりは金儲けが目的の町というようなところがありますので、台北では台湾は分からないとは俗によく言われていることです。台湾の南部や東部に行かれてみてはいかがでしょうか?また、上にあげた、教会の方々のお話、特に、植民地時代、二二八、美麗島事件、弾圧、被差別などのお話は貴重なものが聞けると思いますが。その上でどうか、私の発言を考えていただきたいと思います。ここは日本ではありませんし、文化風土も違います。まして、かつては日本の植民地であり、その後、弾圧の歴史のある国です。よくご理解いただきたい、と思います。
個々人の特徴、個性などもありますが、民族としての最大公約数的なものは、数多くの人と接していると必ず分かってくるものです(丸山真男の内なる天皇制ではありませんが、私たち日本人の場合を考えるとよく分かると思いますが)。
台北で仕事で、となると、恐らくはかなりディプロマティックなお付き合いとなると思いますが(たとえ友人でも)、民族の奥底にある共通項的なものに触れるとなると政治や宗教についてつっこんだ議論をせねば出てこないかとも思います。
ただ、です。いかにアメリカで生まれてアメリカで教育を受けても、こうした民族性のようなものは払拭しきれるものではなく、そういった意味での、十羽一絡げなんですがねえ。いかに最近の若者は変わったと言われていても、変わらない部分、変わりにくい部分というのはあるもので、刷り込み、みたいなものはなかなか消せるものではありません。
おそらく、こうした政治的な会話や議論の場に出くわした経験がおありにならないので、私の十羽一絡げに拒否反応を示しておられるかと思いますが、人間の本質的な部分を見る、現実に向き合うことも、海外で暮らす上では必要なのでは?と思います。
冷徹に分析、批判している人間ほど、相手の長所も短所も同じく認めることができますが、優しさのある人の場合、裏切られたと感じてしまうとその分、反動がひどいような、そんな場合が多いようです。
また、感性、感情をベースに考えられていくと、民族感情による対立(お隣の中国掲示板でよく出てくる話題)を解決することはできません。共通のルール、スタンダードを持たねばコンセンサスは得られないのですが、そのコモンスタンダードを模索する上での、封じ手は絶対必要なことなのですが。
民族感情的な、情緒的な発言では、前進的なことはできないのが国際政治、国際関係、ましてや、アジアの中での、かつての侵略国家日本の一員としての日本人の背負わされるものの重さに耐えられなくなりますよ。
ちょっと偉そうに書いてみましたが、おっしゃっていることはよく分かっているつもりです。反省しきり、であります。
ご指摘の、私の十羽一絡げ発言、反省しきり。
ただ、こうした対立構造は日本の植民地時代にすでにその萌芽が認められます(卑近な例でいくと、非情城市という映画にもそれが描かれています)。
私の場合ですと、台湾長老教会や台南神学院などで、お話を伺う機会が非常に多かったですし、現在の李登輝学校の関係者の方ともこうした話題についてお話をしております。私が言うとエキセントリックに聞こえてしまうかもしれませんが、別に、タブーでもなんでもなくごく一般的な話題です(それでも三軍の集まりに出たり、国民党政権時代の上層部の方とあったりもしていますので、別に偏っているつもりはありませんが)。
台北というのは特殊なところで、商売、つまりは金儲けが目的の町というようなところがありますので、台北では台湾は分からないとは俗によく言われていることです。台湾の南部や東部に行かれてみてはいかがでしょうか?また、上にあげた、教会の方々のお話、特に、植民地時代、二二八、美麗島事件、弾圧、被差別などのお話は貴重なものが聞けると思いますが。その上でどうか、私の発言を考えていただきたいと思います。ここは日本ではありませんし、文化風土も違います。まして、かつては日本の植民地であり、その後、弾圧の歴史のある国です。よくご理解いただきたい、と思います。
個々人の特徴、個性などもありますが、民族としての最大公約数的なものは、数多くの人と接していると必ず分かってくるものです(丸山真男の内なる天皇制ではありませんが、私たち日本人の場合を考えるとよく分かると思いますが)。
台北で仕事で、となると、恐らくはかなりディプロマティックなお付き合いとなると思いますが(たとえ友人でも)、民族の奥底にある共通項的なものに触れるとなると政治や宗教についてつっこんだ議論をせねば出てこないかとも思います。
ただ、です。いかにアメリカで生まれてアメリカで教育を受けても、こうした民族性のようなものは払拭しきれるものではなく、そういった意味での、十羽一絡げなんですがねえ。いかに最近の若者は変わったと言われていても、変わらない部分、変わりにくい部分というのはあるもので、刷り込み、みたいなものはなかなか消せるものではありません。
おそらく、こうした政治的な会話や議論の場に出くわした経験がおありにならないので、私の十羽一絡げに拒否反応を示しておられるかと思いますが、人間の本質的な部分を見る、現実に向き合うことも、海外で暮らす上では必要なのでは?と思います。
冷徹に分析、批判している人間ほど、相手の長所も短所も同じく認めることができますが、優しさのある人の場合、裏切られたと感じてしまうとその分、反動がひどいような、そんな場合が多いようです。
また、感性、感情をベースに考えられていくと、民族感情による対立(お隣の中国掲示板でよく出てくる話題)を解決することはできません。共通のルール、スタンダードを持たねばコンセンサスは得られないのですが、そのコモンスタンダードを模索する上での、封じ手は絶対必要なことなのですが。
民族感情的な、情緒的な発言では、前進的なことはできないのが国際政治、国際関係、ましてや、アジアの中での、かつての侵略国家日本の一員としての日本人の背負わされるものの重さに耐えられなくなりますよ。
ちょっと偉そうに書いてみましたが、おっしゃっていることはよく分かっているつもりです。反省しきり、であります。
これは メッセージ 133 (horse_224 さん)への返信です.
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