追追記、ルネッサンス
投稿者: koukiyumeno 投稿日時: 2004/10/02 19:51 投稿番号: [13636 / 21882]
>あなた様の投稿、皆が絶賛している模様です☆
涙した人もいますよぉ
感謝感激です!! <
ものすごくいぢわる。
はい みなさん あまりの無知・駄文に感激し涙を流して
笑っておいででしょうね。
ルネサンス 再生という意味です。
それでは何を再生するのか?
答え ギリシア・ローマ時代の文芸をです。
そんな昔の文芸をなぜ14世紀になって復活させなければ
ならなかったのでしょうか?
ゲルマン民族の大移動によってギリシア・ローマ時代の文化の多くが
ヨーロッパから失われてしまいました。
しかし、わずかに教会で保たれていて、教会は暗黒の中世を照らし出す
灯台でもあったのです。
キリスト教会とゲルマン民族の国(特にアタナシウス派のフランク)は
お互いの利益のために接近し、ローマ・カトリック教会は西欧と南欧に
大きな権威としてその力を確立することに成功します。
(イベリア半島は当時イスラム圏)
愛の宗教であり、「汝の敵を愛せよ」
「右の頬を打たれたら、左の頬を殴り返せ… じゃなく
左の頬を差し出せ」と説くキリスト教がヨーロッパ社会の権威として
政治にも大きな力を持つようになったのですから、素晴らしい
かと言うと そうでもありませんでした。
アダムとイヴのお話をご存知ですね。
蛇にそそのかされて神様が禁じた知恵の実を食べてしまった
カップルです。
なぜ神様は二人に知恵の実を禁じたのでしょうか?
人間は知恵を善いことよりは悪いことにより多く使うと
見通されていたからかもしれません。
核兵器を筆頭として、環境破壊等善くないことが多いかもです…。
神様はそれくらいならば人間には知恵を与えず、永遠の楽園に
住まわせようとお思いになったのでしょうね。
でも、二人は神様との約束を破り食べてしまいました。
もうエデンの園においておくことはできません。
二人は楽園を追放され、この世界に来ました。
楽園では死老病も飢えも渇きもありませんでしたが
この世界ではそういうわけにはいきません。
(楽園では仏教は存在し得ないですね)
全ての人間はこの二人の子孫ということになっていますから
人間の存在は罪の結果であり、全ての人間が原罪を背負っている
ということになります。
あなたが生まれてこの方一度も罪を犯したことが無くても、
人間としてこの世に存在している事自体が罪の結果なのです。
罪人は楽しんではいけません。
罪人がするべきことはその償いです。
ですから中世キリスト教ではこの世を 「苦しみの谷」と…。
笑うことすら慎むべきと…。
人は神に対して罪を犯したちっぽけな取るに足らない
存在でしかありません。
取るに足らない存在…。
あなたはゴキブリの個性や感情、ゴキブリ性を尊重なさいますか?
答えはたぶんNOですね。
中世キリスト教が支配する社会では人間の存在は
肯定されませんでした。
中世の芸術家が無個性・無感情で稚拙な人間しか描けないのは
下手だからではなく、それらのものに価値を見出せなかったから
ではないでしょうか。
しかしさすがの教会権威もようやく翳りが見える時代になりました。
人間は人生を楽しんではいけないのだろうか?
人間はそれほど価値の無い存在なのだろうか?
貨幣経済が多少進展したのも影響したのかもしれません。
お金があると欲しいものが買える。
物欲が増える。
人生を楽しいものにするのは確かにお金だったりするかもしれません。
それはともかく、人間を肯定したいと思うようになっても
そういう社会を彼らは知りませんでした。
そこで人間が肯定されていた時代の文芸に
目を向けることになったのです。
ルネサンスがイタリアで最初に始まったのは様々な要因がありますが
やはりスポンサーがいたからでしょうね。
イタリア・ルネサンスの代表的な画家はもちろんレオナルドであり、
ラファエロ・ミケランジェロです。
人間の美しさが描かれています。
ネーデルラントのブリューゲルの時代になると、農民が主題になります。
容姿の美しさだけではなく、人間であることそのものに画家が価値を
見出す時代になったことを示しているのではないでしょうか?
人を人として肯定することがどれだけ大切なことか。
素晴らしい理念であっても、一人一人の人間性を大切にしない社会が
どれだけ非人間的な息苦しい社会になってしまうかを教えてくれている
のではないでしょうか。
以上文責は私にあります。
何も参照していないので、笑うだけ笑っていただいも支障ありません。
あのお
涙した人もいますよぉ
感謝感激です!! <
ものすごくいぢわる。
はい みなさん あまりの無知・駄文に感激し涙を流して
笑っておいででしょうね。
ルネサンス 再生という意味です。
それでは何を再生するのか?
答え ギリシア・ローマ時代の文芸をです。
そんな昔の文芸をなぜ14世紀になって復活させなければ
ならなかったのでしょうか?
ゲルマン民族の大移動によってギリシア・ローマ時代の文化の多くが
ヨーロッパから失われてしまいました。
しかし、わずかに教会で保たれていて、教会は暗黒の中世を照らし出す
灯台でもあったのです。
キリスト教会とゲルマン民族の国(特にアタナシウス派のフランク)は
お互いの利益のために接近し、ローマ・カトリック教会は西欧と南欧に
大きな権威としてその力を確立することに成功します。
(イベリア半島は当時イスラム圏)
愛の宗教であり、「汝の敵を愛せよ」
「右の頬を打たれたら、左の頬を殴り返せ… じゃなく
左の頬を差し出せ」と説くキリスト教がヨーロッパ社会の権威として
政治にも大きな力を持つようになったのですから、素晴らしい
かと言うと そうでもありませんでした。
アダムとイヴのお話をご存知ですね。
蛇にそそのかされて神様が禁じた知恵の実を食べてしまった
カップルです。
なぜ神様は二人に知恵の実を禁じたのでしょうか?
人間は知恵を善いことよりは悪いことにより多く使うと
見通されていたからかもしれません。
核兵器を筆頭として、環境破壊等善くないことが多いかもです…。
神様はそれくらいならば人間には知恵を与えず、永遠の楽園に
住まわせようとお思いになったのでしょうね。
でも、二人は神様との約束を破り食べてしまいました。
もうエデンの園においておくことはできません。
二人は楽園を追放され、この世界に来ました。
楽園では死老病も飢えも渇きもありませんでしたが
この世界ではそういうわけにはいきません。
(楽園では仏教は存在し得ないですね)
全ての人間はこの二人の子孫ということになっていますから
人間の存在は罪の結果であり、全ての人間が原罪を背負っている
ということになります。
あなたが生まれてこの方一度も罪を犯したことが無くても、
人間としてこの世に存在している事自体が罪の結果なのです。
罪人は楽しんではいけません。
罪人がするべきことはその償いです。
ですから中世キリスト教ではこの世を 「苦しみの谷」と…。
笑うことすら慎むべきと…。
人は神に対して罪を犯したちっぽけな取るに足らない
存在でしかありません。
取るに足らない存在…。
あなたはゴキブリの個性や感情、ゴキブリ性を尊重なさいますか?
答えはたぶんNOですね。
中世キリスト教が支配する社会では人間の存在は
肯定されませんでした。
中世の芸術家が無個性・無感情で稚拙な人間しか描けないのは
下手だからではなく、それらのものに価値を見出せなかったから
ではないでしょうか。
しかしさすがの教会権威もようやく翳りが見える時代になりました。
人間は人生を楽しんではいけないのだろうか?
人間はそれほど価値の無い存在なのだろうか?
貨幣経済が多少進展したのも影響したのかもしれません。
お金があると欲しいものが買える。
物欲が増える。
人生を楽しいものにするのは確かにお金だったりするかもしれません。
それはともかく、人間を肯定したいと思うようになっても
そういう社会を彼らは知りませんでした。
そこで人間が肯定されていた時代の文芸に
目を向けることになったのです。
ルネサンスがイタリアで最初に始まったのは様々な要因がありますが
やはりスポンサーがいたからでしょうね。
イタリア・ルネサンスの代表的な画家はもちろんレオナルドであり、
ラファエロ・ミケランジェロです。
人間の美しさが描かれています。
ネーデルラントのブリューゲルの時代になると、農民が主題になります。
容姿の美しさだけではなく、人間であることそのものに画家が価値を
見出す時代になったことを示しているのではないでしょうか?
人を人として肯定することがどれだけ大切なことか。
素晴らしい理念であっても、一人一人の人間性を大切にしない社会が
どれだけ非人間的な息苦しい社会になってしまうかを教えてくれている
のではないでしょうか。
以上文責は私にあります。
何も参照していないので、笑うだけ笑っていただいも支障ありません。
あのお
これは メッセージ 13607 (kon_do_i さん)への返信です.