確認作業への前哨
投稿者: hospitalite123 投稿日時: 2003/03/07 00:48 投稿番号: [43 / 390]
まだ盾ついている者がいるようですが、さしあたり無視しましょう。「あの手の」戯言を一々相手にしていたら、それこそ「カナダの森の木を全部切る」のと同じようなことです。
さて、以前、正確な言い回しは覚えていないのですが、私はここで「この国のメンタリティは、いまだ開国前にあるのではないか」、というようなことを述べました。それじたいは、いま持っている感想とさほど径庭のあるものではないのですが、ただ、分析としてはそれでは甘い、端的にいえば非常にスタティックな形でしか捉えられていないのではないか、とも思うわけです。つまり、「島国根性」とか「鎖国意識」といったいささか人口に膾炙した感の強い概念は、それでも確かに一面においては正確なイマージュを提供しえるし、その意味ではいまだ有効な分析装置だとも思います。けれども、これを無批判に適用していってしまうと、あたかも「日本人」なるものを実体化してしまう虞れがあり、その限りで批判の根拠としていたものが、そのまま賛美の根拠として機能し得る、そういう反転の余地というものを残している、というわけですね。具体的に、ここでの問題、朝鮮からの亡命者のそれと絡めていうと、日本を批判する意図で用いた「閉鎖的」という言葉が、そのまま、実になんの手も加えられずに日本の利点として「奪用」されかねない。そこで、複眼的な視座が発明される必要がある。
ここではそのための予備作業の、それも示唆的なことしか述べられませんが、まず第一に、自己イマージュの変遷を慎重に辿ることはかなり有効だと思う。すでに多くの指摘があるように、70年程度も時代を遡れば、この国は世界にも類稀な「多民族国家」だから「優れている」といった言説はいたるところにみつかるのに対し、戦後は、打って変わって「民族的均一性」が「奇跡的な戦後復興を支えた」といった、いずれにせよナルシスティックな独りよがりであることには変わりないんですが、ともあれそういう転換があったわけですね。
じゃあ、この転換に、もちろんこれは一例に過ぎないわけですが、ともあれそれだけでも、転換を可能にしたのは何で、そこにはどういう力学が働いているのか、それはいまいちど検討を深める余地がある。
ひとつの仮説ですが、この国の「近代化」に途方もない時差が、それも直線的な表象で示されるような時間ではなく、また円環状、あるいはまた、現象学的なそれでもないような時間における「時差」がここで働いているのではないか。つまり、構造主義以降の典型的な議論として、「明治期以前は中国の反映として自己同定していた日本が、開国と同時に中国の位置を西欧が占めるようになった」というものがあるわけですが、それが間違いとはいわないまでも、それだけでは充分ではない。日本人が自己イマージュを画定するにあたって、ある種の側面においては、日本の参照項はいまも「中国」であり「韓国・朝鮮」であり、さらにはアジア太平洋戦争期に日本が侵略した各国である、ということができるのではないかーーそう考えると、確かに思い当たる節はある。それは、端的にいえば、日本人の多くが持つ、これらの国々に対する異様なまでの「こだわり」とでもいうべき固執であり、また、これらの国の住民や、これらの国籍を持った日本住民に対する謂れのない憎悪、またそれと表裏一体となった恐怖、これらは至るところにみられると思います。
例えば、クルド難民の受入れに対しては肯定的な姿勢を示す者が、朝鮮からの難民は「韓国」がすべて引き受けるべきだ、と主張したり、朝鮮からの難民の日本受入れに否定的な者が、「拉致問題」に対して異様な「こだわり」をみせている、という場面が「もし」あるとしたら、上の仮説を裏付けるにこれほど象徴的なこともないでしょう。
ともあれ、これはおおまかなデッサンを描く過程での仮設作業に過ぎませんが、今後のありうべき闘争の方向、むしろ対決してゆく水準を考える動機にでもなれば、と思います。
さて、以前、正確な言い回しは覚えていないのですが、私はここで「この国のメンタリティは、いまだ開国前にあるのではないか」、というようなことを述べました。それじたいは、いま持っている感想とさほど径庭のあるものではないのですが、ただ、分析としてはそれでは甘い、端的にいえば非常にスタティックな形でしか捉えられていないのではないか、とも思うわけです。つまり、「島国根性」とか「鎖国意識」といったいささか人口に膾炙した感の強い概念は、それでも確かに一面においては正確なイマージュを提供しえるし、その意味ではいまだ有効な分析装置だとも思います。けれども、これを無批判に適用していってしまうと、あたかも「日本人」なるものを実体化してしまう虞れがあり、その限りで批判の根拠としていたものが、そのまま賛美の根拠として機能し得る、そういう反転の余地というものを残している、というわけですね。具体的に、ここでの問題、朝鮮からの亡命者のそれと絡めていうと、日本を批判する意図で用いた「閉鎖的」という言葉が、そのまま、実になんの手も加えられずに日本の利点として「奪用」されかねない。そこで、複眼的な視座が発明される必要がある。
ここではそのための予備作業の、それも示唆的なことしか述べられませんが、まず第一に、自己イマージュの変遷を慎重に辿ることはかなり有効だと思う。すでに多くの指摘があるように、70年程度も時代を遡れば、この国は世界にも類稀な「多民族国家」だから「優れている」といった言説はいたるところにみつかるのに対し、戦後は、打って変わって「民族的均一性」が「奇跡的な戦後復興を支えた」といった、いずれにせよナルシスティックな独りよがりであることには変わりないんですが、ともあれそういう転換があったわけですね。
じゃあ、この転換に、もちろんこれは一例に過ぎないわけですが、ともあれそれだけでも、転換を可能にしたのは何で、そこにはどういう力学が働いているのか、それはいまいちど検討を深める余地がある。
ひとつの仮説ですが、この国の「近代化」に途方もない時差が、それも直線的な表象で示されるような時間ではなく、また円環状、あるいはまた、現象学的なそれでもないような時間における「時差」がここで働いているのではないか。つまり、構造主義以降の典型的な議論として、「明治期以前は中国の反映として自己同定していた日本が、開国と同時に中国の位置を西欧が占めるようになった」というものがあるわけですが、それが間違いとはいわないまでも、それだけでは充分ではない。日本人が自己イマージュを画定するにあたって、ある種の側面においては、日本の参照項はいまも「中国」であり「韓国・朝鮮」であり、さらにはアジア太平洋戦争期に日本が侵略した各国である、ということができるのではないかーーそう考えると、確かに思い当たる節はある。それは、端的にいえば、日本人の多くが持つ、これらの国々に対する異様なまでの「こだわり」とでもいうべき固執であり、また、これらの国の住民や、これらの国籍を持った日本住民に対する謂れのない憎悪、またそれと表裏一体となった恐怖、これらは至るところにみられると思います。
例えば、クルド難民の受入れに対しては肯定的な姿勢を示す者が、朝鮮からの難民は「韓国」がすべて引き受けるべきだ、と主張したり、朝鮮からの難民の日本受入れに否定的な者が、「拉致問題」に対して異様な「こだわり」をみせている、という場面が「もし」あるとしたら、上の仮説を裏付けるにこれほど象徴的なこともないでしょう。
ともあれ、これはおおまかなデッサンを描く過程での仮設作業に過ぎませんが、今後のありうべき闘争の方向、むしろ対決してゆく水準を考える動機にでもなれば、と思います。
これは メッセージ 1 (topics_editor さん)への返信です.
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