歴史事実は(保守系のHPより引用)
投稿者: jyoui 投稿日時: 2003/10/16 16:32 投稿番号: [6826 / 44985]
話を、朴氏に戻そう。
朴氏は樺太で炭山労働に従事したが、これら若い男性労働者の性の問題も重要であり、当時の樺太でも十指を下らない数の慰安所があった。朴氏は慰安婦のことを、「娘子軍(じょうしぐん)」と呼んでいたが、この呼称は、一般の女子でも戦争に勝つためには、それなりの責務をはたすのは当然という、当時の考えからきているらしい。
全国の炭鉱には、朝鮮半島出身の青年たちに定着してもらうために、慰安所のみならず、福利厚生施設や常設の映画館、演芸場、スポーツ施設、朝鮮将棋や囲碁が楽しめる娯楽施設、朝鮮文庫、ラジオ等を備えていた。朝鮮人と内地人(日本人のこと)の融和をはかるため親睦会を催したり、家族を呼び寄せたときの住居や子供たちの学校設備を用意し、内地人の労働者には差別意識をもたせないような教育もしていた。若い男性労働者が不足していた当時の日本にとっては、これら朝鮮人労働者は正に「金の卵」であったのである。また、裏を返せば、石油の供給を断たれた当時の日本は、それ程までに石炭を重要視していたということである。しかし、それ故に炭鉱労働というのは厳しく、場合によっては命懸けの仕事であった。戦争に勝つためという至上命令があるため、場合によっては能力以上の無理な生産を強いられ、保安施設も十分には整っていなかった。さらに、労働者を管理する寮長や隊長は、成績を上げるため、時には暴力を使い労働者たちを震え上がらせることも少なくなかった。ちなみに、たいていの場合は寮長は日本人で、隊長は朝鮮人であり、一般に寮長は「金の卵を優遇せよ」との会社からの支持もあり、労働者への接し方は穏やかであったが、隊長の方は軍隊の古参兵のように新参者にはつらくあたったという。これら管理職のなかには、戦後に労働者から仕返しをされたものもいたらしい。朴氏は当時の炭鉱のことを「戦場の第一線の兵隊と変わりなく厳格で、この世の生き地獄であった」と記している。
http://www.interq.or.jp/sheep/clarex/datsgohsen/datsgohsen08.html
朴氏は樺太で炭山労働に従事したが、これら若い男性労働者の性の問題も重要であり、当時の樺太でも十指を下らない数の慰安所があった。朴氏は慰安婦のことを、「娘子軍(じょうしぐん)」と呼んでいたが、この呼称は、一般の女子でも戦争に勝つためには、それなりの責務をはたすのは当然という、当時の考えからきているらしい。
全国の炭鉱には、朝鮮半島出身の青年たちに定着してもらうために、慰安所のみならず、福利厚生施設や常設の映画館、演芸場、スポーツ施設、朝鮮将棋や囲碁が楽しめる娯楽施設、朝鮮文庫、ラジオ等を備えていた。朝鮮人と内地人(日本人のこと)の融和をはかるため親睦会を催したり、家族を呼び寄せたときの住居や子供たちの学校設備を用意し、内地人の労働者には差別意識をもたせないような教育もしていた。若い男性労働者が不足していた当時の日本にとっては、これら朝鮮人労働者は正に「金の卵」であったのである。また、裏を返せば、石油の供給を断たれた当時の日本は、それ程までに石炭を重要視していたということである。しかし、それ故に炭鉱労働というのは厳しく、場合によっては命懸けの仕事であった。戦争に勝つためという至上命令があるため、場合によっては能力以上の無理な生産を強いられ、保安施設も十分には整っていなかった。さらに、労働者を管理する寮長や隊長は、成績を上げるため、時には暴力を使い労働者たちを震え上がらせることも少なくなかった。ちなみに、たいていの場合は寮長は日本人で、隊長は朝鮮人であり、一般に寮長は「金の卵を優遇せよ」との会社からの支持もあり、労働者への接し方は穏やかであったが、隊長の方は軍隊の古参兵のように新参者にはつらくあたったという。これら管理職のなかには、戦後に労働者から仕返しをされたものもいたらしい。朴氏は当時の炭鉱のことを「戦場の第一線の兵隊と変わりなく厳格で、この世の生き地獄であった」と記している。
http://www.interq.or.jp/sheep/clarex/datsgohsen/datsgohsen08.html
これは メッセージ 6825 (jyoui さん)への返信です.
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