ハンガリーにちょっと注目その2
投稿者: shamisengai 投稿日時: 2003/09/27 03:57 投稿番号: [5534 / 44985]
19世紀末期から第一次世界大戦終結までの時期、ハンガリーは、
ハプスブルク帝国内の別格の王国(王位はオーストリア皇帝が兼任)
としてオーストリアとともに帝国を支えていた。
これがいわゆるオーストリア=ハンガリー二重帝国で、
近世に隆盛を極めたハプスブルク帝国が落日していく中、
オーストリアとしては生き残りをかけた戦略であり、
ハンガリーにしても完全独立によって
周辺の強国と直接対峙するより、オーストリアとスクラムを
組んでいた方が、メリットが多かったのである。
その時代の版図こそ、ハンガリー人が懐かしむ大ハンガリーだ。
そして、ハンガリーはオーストリアとともに
第一次世界大戦に突入する。中欧同盟軍の敗色が濃厚となると、
ハンガリーは一転して英仏連合軍の一員になろうとしたが
受け入れてもらえず、敗戦国としてきびしい処分を受けることになる。
領内にチェコ軍やルーマニア軍が進駐し、占領地を自国領とした。
敗戦国となったハンガリーは、それを受け入れるより他選択の余地はなかった。
なお、中欧同盟軍でありながら、大戦初期に同盟軍から連合軍に寝返った
チェコはハンガリーとは対照的に、モラビア、ルテニア、ズデーテンラント
など広大な領土を獲得。ほとんど連合軍に貢献しなかったルーマニアも
ブコビナ、トランシルバニア、ベッサラビア(現モルドバ)を獲得。
しかし、両国とも第二次大戦でその領土の一部をソ連にとられ、
さらに1989年トランシルバニアのティミショアラで起こった暴動は
ルーマニア社会主義政権の崩壊のきっかけとなり、
旧モラビアもチェコから分離独立してしまうのだから皮肉なものだ。
ずいぶんと長くなったが、ハプスブルク帝国におけるハンガリーと
大日本帝国における朝鮮になにがしかの共通点を覚えてしまう。
落日の帝国と急速に勢いを伸ばした新興国家、
ずっと一心同体できた国をつなぎとめた策と
長らく細々とした関係にあった国を自国の版図に組み入れた策。
まったく相反するケースではあるが、いずれも傘下に入った国が
安全保障を始めとする恩恵を受けた(すべてがそうではないが)。
「よらば大樹の陰」事大的な国の舵取りは世界共通というところだろうか。
大戦をともに戦った点、宗主国の敗戦時に戦勝国になり損ねた点、
その後の過酷な処分などをみても、同じというわけではないが
なにか共通性を感じる。
ハンガリーが領土の大半を失ったのを南北朝鮮それぞれが
国土を半分失ったと見るのはちょっと酷なたとえだが……。
そして中欧、太平洋地域をあれよあれよという間に
支配下に収めていった新興国家に対する驚異と覇権奪取が
大戦の側面にあったことだ。
オーストリアはオーストリアでドイツにべったりだった。
英仏連合軍からみれば巨大な中欧ドイツ帝国に見えただろう。
さて、ハンガリーは国内でも流血をくり返しながら
不安定な時代を送る。
そして失地回復をめざし、第二次大戦でもドイツ側に立つ。
その後の歴史は語るまでもなくソ連の抑圧と暴動、
そしてようやく訪れた民主化だ。
南北朝鮮もまた、血みどろの内戦を経て今日に至った。
そしていま、朝鮮戦争勃発時以来の危機に瀕している。
幸い近隣にナチスドイツのような国はなく、ソ連も消滅しているが、
不気味な軍事大国中国が背後にいる。
第二次大戦直前のハンガリーも不安定な独裁国家だった。
南北朝鮮の次の動向が大変気になる。
流血以外に半島の民主化と安定化はありえないのだろうか。
そうなると日本も無傷ではいられない……。
この書き込みのソースの多くを下記サイトを参考にした。
特に「ブレスト・リトウスク条約」のページは一見の価値がある。
http://ww1.m78.com/index.html
また、かつての社会主義陣営の盟友ハンガリーについて
北朝鮮本国や民族学校ではどのように教えていたのだろう。
ご記憶にあれば教えてほしい。
ハプスブルク帝国内の別格の王国(王位はオーストリア皇帝が兼任)
としてオーストリアとともに帝国を支えていた。
これがいわゆるオーストリア=ハンガリー二重帝国で、
近世に隆盛を極めたハプスブルク帝国が落日していく中、
オーストリアとしては生き残りをかけた戦略であり、
ハンガリーにしても完全独立によって
周辺の強国と直接対峙するより、オーストリアとスクラムを
組んでいた方が、メリットが多かったのである。
その時代の版図こそ、ハンガリー人が懐かしむ大ハンガリーだ。
そして、ハンガリーはオーストリアとともに
第一次世界大戦に突入する。中欧同盟軍の敗色が濃厚となると、
ハンガリーは一転して英仏連合軍の一員になろうとしたが
受け入れてもらえず、敗戦国としてきびしい処分を受けることになる。
領内にチェコ軍やルーマニア軍が進駐し、占領地を自国領とした。
敗戦国となったハンガリーは、それを受け入れるより他選択の余地はなかった。
なお、中欧同盟軍でありながら、大戦初期に同盟軍から連合軍に寝返った
チェコはハンガリーとは対照的に、モラビア、ルテニア、ズデーテンラント
など広大な領土を獲得。ほとんど連合軍に貢献しなかったルーマニアも
ブコビナ、トランシルバニア、ベッサラビア(現モルドバ)を獲得。
しかし、両国とも第二次大戦でその領土の一部をソ連にとられ、
さらに1989年トランシルバニアのティミショアラで起こった暴動は
ルーマニア社会主義政権の崩壊のきっかけとなり、
旧モラビアもチェコから分離独立してしまうのだから皮肉なものだ。
ずいぶんと長くなったが、ハプスブルク帝国におけるハンガリーと
大日本帝国における朝鮮になにがしかの共通点を覚えてしまう。
落日の帝国と急速に勢いを伸ばした新興国家、
ずっと一心同体できた国をつなぎとめた策と
長らく細々とした関係にあった国を自国の版図に組み入れた策。
まったく相反するケースではあるが、いずれも傘下に入った国が
安全保障を始めとする恩恵を受けた(すべてがそうではないが)。
「よらば大樹の陰」事大的な国の舵取りは世界共通というところだろうか。
大戦をともに戦った点、宗主国の敗戦時に戦勝国になり損ねた点、
その後の過酷な処分などをみても、同じというわけではないが
なにか共通性を感じる。
ハンガリーが領土の大半を失ったのを南北朝鮮それぞれが
国土を半分失ったと見るのはちょっと酷なたとえだが……。
そして中欧、太平洋地域をあれよあれよという間に
支配下に収めていった新興国家に対する驚異と覇権奪取が
大戦の側面にあったことだ。
オーストリアはオーストリアでドイツにべったりだった。
英仏連合軍からみれば巨大な中欧ドイツ帝国に見えただろう。
さて、ハンガリーは国内でも流血をくり返しながら
不安定な時代を送る。
そして失地回復をめざし、第二次大戦でもドイツ側に立つ。
その後の歴史は語るまでもなくソ連の抑圧と暴動、
そしてようやく訪れた民主化だ。
南北朝鮮もまた、血みどろの内戦を経て今日に至った。
そしていま、朝鮮戦争勃発時以来の危機に瀕している。
幸い近隣にナチスドイツのような国はなく、ソ連も消滅しているが、
不気味な軍事大国中国が背後にいる。
第二次大戦直前のハンガリーも不安定な独裁国家だった。
南北朝鮮の次の動向が大変気になる。
流血以外に半島の民主化と安定化はありえないのだろうか。
そうなると日本も無傷ではいられない……。
この書き込みのソースの多くを下記サイトを参考にした。
特に「ブレスト・リトウスク条約」のページは一見の価値がある。
http://ww1.m78.com/index.html
また、かつての社会主義陣営の盟友ハンガリーについて
北朝鮮本国や民族学校ではどのように教えていたのだろう。
ご記憶にあれば教えてほしい。
これは メッセージ 1 (topics_editor さん)への返信です.
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