ハンガリーにちょっと注目その1
投稿者: shamisengai 投稿日時: 2003/09/27 03:51 投稿番号: [5533 / 44985]
ハンガリーの第一次世界大戦前後の歴史は非常に興味深い。
中欧と極東では状況はまったく異なるが、
なにか相通ずるものを感じずにはいられない……。
私もかつて「ハンガリーは、第一次世界大戦後、
『ウィルソン』の提唱した『民族自決』の精神のもと、
『オーストリア』から『独立』した」思っていた。
歴史の授業でもそのよう教わってきた。
しかし、ハンガリーは第一次世界大戦の『敗戦国』で、
独立どころか多くの領土を失ったのが、実際のところである。
外務省ホームページ(日本語)-各国インデックス(ハンガリー共和国)
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/hungary/
オーストリアハンガリー帝国
http://www.tky.3web.ne.jp/~ashigal/ww1/yougo/ah.htm
上記の地図を比較してみると、ハンガリーが敗戦国であることがよくわかる。
第一次世界大戦終了まで、ハンガリーは、
モラビア(現スロバキア)、ルテニア・ブコビナ(西ウクライナの一部)、
トランシルバニア(現ルーマニア、ドラキュラの故郷)、
クロアチア、セルビアの一部を含む巨大な王国だった。
いまでも、ハンガリーには、かつての大ハンガリー時代を懐かしむ人が多いと聞く。
社会主義崩壊後は、大ハンガリー時代の地図も復活した。
最近、在外同胞にむけた特別措置が、大ハンガリー主義の復活ではないかと
ハンガリーから領土の割譲を受けた国々は警戒しているともいう。
大ハンガリー復活と警戒も=母国で特別待遇の法案可決
http://kk.kyodo.co.jp/is/column/russia/touou-0620.html
我が愛すべきハンガリーのジレンマ
http://www.melma.com/mag/06/m00030106/a00000060.html
ハンガリー人の祖先は、アジアがルーツのマジャール人だが、
ハンガリー平原に定住後は、キリスト教(カトリック)を受け入れ、
中世以降は、中欧=ドイツ語・カトリック圏の一員として
ドイツ(神聖ローマ)皇帝やドイツ諸侯と密接な関係を持つようになった。
モンゴル軍襲来時には、神の地を守るため、民族的には
自分たちに近いモンゴル兵と果敢に闘った。
また、オスマン帝国のバルカン征服に頑なに抵抗し、
オーストリア、ボヘミア(ベーメン、現チェコ)の支援を受けながら
オスマン帝国の支配に抵抗を続けた。
18世紀ついにオーストリアはハンガリーを奪還する。
以降、第一次世界大戦の終結まで、両国は一心同体の歴史を歩む。
時代は下り、ナポレオンが神聖ローマ帝国を廃止し、
新たなドイツの覇権は新興国家プロイセンに奪われ、
ハプスブルク帝国は往事の勢いを急速に失い、
多民族国家でもあった帝国は崩壊の危機に瀕した。
そこで、オーストリアがとったのが、大ハンガリーに
自治を与える代わりに帝国を共同統治するという策だった。
中欧と極東では状況はまったく異なるが、
なにか相通ずるものを感じずにはいられない……。
私もかつて「ハンガリーは、第一次世界大戦後、
『ウィルソン』の提唱した『民族自決』の精神のもと、
『オーストリア』から『独立』した」思っていた。
歴史の授業でもそのよう教わってきた。
しかし、ハンガリーは第一次世界大戦の『敗戦国』で、
独立どころか多くの領土を失ったのが、実際のところである。
外務省ホームページ(日本語)-各国インデックス(ハンガリー共和国)
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/hungary/
オーストリアハンガリー帝国
http://www.tky.3web.ne.jp/~ashigal/ww1/yougo/ah.htm
上記の地図を比較してみると、ハンガリーが敗戦国であることがよくわかる。
第一次世界大戦終了まで、ハンガリーは、
モラビア(現スロバキア)、ルテニア・ブコビナ(西ウクライナの一部)、
トランシルバニア(現ルーマニア、ドラキュラの故郷)、
クロアチア、セルビアの一部を含む巨大な王国だった。
いまでも、ハンガリーには、かつての大ハンガリー時代を懐かしむ人が多いと聞く。
社会主義崩壊後は、大ハンガリー時代の地図も復活した。
最近、在外同胞にむけた特別措置が、大ハンガリー主義の復活ではないかと
ハンガリーから領土の割譲を受けた国々は警戒しているともいう。
大ハンガリー復活と警戒も=母国で特別待遇の法案可決
http://kk.kyodo.co.jp/is/column/russia/touou-0620.html
我が愛すべきハンガリーのジレンマ
http://www.melma.com/mag/06/m00030106/a00000060.html
ハンガリー人の祖先は、アジアがルーツのマジャール人だが、
ハンガリー平原に定住後は、キリスト教(カトリック)を受け入れ、
中世以降は、中欧=ドイツ語・カトリック圏の一員として
ドイツ(神聖ローマ)皇帝やドイツ諸侯と密接な関係を持つようになった。
モンゴル軍襲来時には、神の地を守るため、民族的には
自分たちに近いモンゴル兵と果敢に闘った。
また、オスマン帝国のバルカン征服に頑なに抵抗し、
オーストリア、ボヘミア(ベーメン、現チェコ)の支援を受けながら
オスマン帝国の支配に抵抗を続けた。
18世紀ついにオーストリアはハンガリーを奪還する。
以降、第一次世界大戦の終結まで、両国は一心同体の歴史を歩む。
時代は下り、ナポレオンが神聖ローマ帝国を廃止し、
新たなドイツの覇権は新興国家プロイセンに奪われ、
ハプスブルク帝国は往事の勢いを急速に失い、
多民族国家でもあった帝国は崩壊の危機に瀕した。
そこで、オーストリアがとったのが、大ハンガリーに
自治を与える代わりに帝国を共同統治するという策だった。
これは メッセージ 1 (topics_editor さん)への返信です.
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