ランディ卿【正面=トピ合致】也(補足)
投稿者: clionomiko 投稿日時: 2007/01/02 18:03 投稿番号: [38042 / 44985]
失礼。
もうしばらくわらわの歴史「談義」につきおうてはくださらぬか。
わらわは先に、朝鮮半島では
>反乱が実りをもたらさぬのだ。もしかすれば、朴チョンヒのクーデターのみが唯一の例外と言ってよいかもしれぬ
と書いた。その後、1ケース別件を思い出したのだ。
そのケースとは王建による高麗朝が建てられ新羅が倒れる際。ここまでは、朝鮮史は他の東アジア諸国の歴史とほぼ変わりなく動いている。中華風の諸制度を採用し、古代王朝らしい中央政権制を目指す。そして、その体制の諸矛盾が現れ反乱が起こるようになる。彩りの違いこそあれ日本ででも起こったことじゃ。
しかし、元(フビライ王家の直属地)の侵略に膝を屈したあたりから大きく異なってくる。わが国ばかりではなく、たとえばヴェトナムなどともじゃ。
大国による侵略・属国化が国民に大きなトラウマを残すことは理解できる。しかし、170年もあればそれからの脱却も充分可能だったのではないだろうか? (ちなみに日本国民は戦後60年で大きな精神的節目を迎えている)なぜ、朝鮮半島の国民は高麗期以降「効果的な」反乱を起こすことが出来なくなったのであろう?
ところで、わらわは塩野七生著『ローマ人の物語』全15巻を先日読み上げたばかり。思い巡らすのは、形として民主主義であるか否かに関わらず「善政」が行われる(悪政、もしくは政治的混乱が一般民衆にまで及ばない)システムを継続させるにはなにが必要かという点なのじゃ。
現状での中間的答は
「法を敷く側の公正とそれを敷かれた側のロイヤリティ、それらが双方にとって安定したシステムとなるための枠組とその枠組を維持・執行する人材の確保」
であろうという気がしている。
人治主義の国であろうと「善政」が行われる場合はある。(中国史上最大の名君は唐の太宗李世民だと言いますからな)
民主主義形態を採っていても混乱から抜け出せぬ場合も多い。(現在のイラクが好例であろうかの)
要は、「善政」さえ行われ・それが恒常化すればいいわけであるがこれがなかなかむずかしい。「悪政」におのずと歯止めがかかるシステムを築く、このあたりが最低ラインか。
そうすると、諸氏が先日来このトピで論じられているように為政者と治められる層との間の「契約」という概念が起こってくるのかもしれぬ。しかしこの「契約」という概念には、わらわはどうもヘブライズムの匂いがしてならぬ。古代ローマのカエサルやアウグスティヌス、五賢帝には「ローマ市民との契約」という発想はあったのだろうか? その萌芽はあったやもしれぬしなかったやもしれぬが、その如何に関わらず彼らが「善政」を行ったことは事実であろう。
はてさて、「契約概念」は「善政」のスタート地点であろうかの? 「悪政を防止する」の土壌にはなるやもしれぬな。
わらわには、
「法を敷く側の公正とそれを敷かれた側のロイヤリティ、それらが双方にとって安定したシステムとなるための枠組とその枠組を維持・執行する人材の確保」
がだれにとっても益になると知れ渡ってこその国家的安定と映る。
「ひとは自分に利益となることしかしないものだ」
から。だが、上のような状態が保たれるには為政者・被為政者含めての不断の努力が必要であろう。イワシの頭が為政者トップの席に置かれていても
>法を敷く側の公正と……(以下略)
が保たれるはずなどないから。
とすれば、法による統治が守られつづけるには血の通った個々人の働きこそが為政者・被為政者のいずれにも必要となってくることになる。
以上のように考えれば、現在の北朝鮮の状況は北朝鮮国民1人々々の責任行為の結果であるし(韓国も同様)、それを受けて立たねばならぬ日本国民にもそして在日諸氏にも同様のことが言えることになる。
はてさて、それぞれの国の「歴史」の上に築かれた「今日」というものの取扱いは注意が必要でございますな。
それでは、そろそろ卿を煩わすことから失礼申し上げよう。
もうしばらくわらわの歴史「談義」につきおうてはくださらぬか。
わらわは先に、朝鮮半島では
>反乱が実りをもたらさぬのだ。もしかすれば、朴チョンヒのクーデターのみが唯一の例外と言ってよいかもしれぬ
と書いた。その後、1ケース別件を思い出したのだ。
そのケースとは王建による高麗朝が建てられ新羅が倒れる際。ここまでは、朝鮮史は他の東アジア諸国の歴史とほぼ変わりなく動いている。中華風の諸制度を採用し、古代王朝らしい中央政権制を目指す。そして、その体制の諸矛盾が現れ反乱が起こるようになる。彩りの違いこそあれ日本ででも起こったことじゃ。
しかし、元(フビライ王家の直属地)の侵略に膝を屈したあたりから大きく異なってくる。わが国ばかりではなく、たとえばヴェトナムなどともじゃ。
大国による侵略・属国化が国民に大きなトラウマを残すことは理解できる。しかし、170年もあればそれからの脱却も充分可能だったのではないだろうか? (ちなみに日本国民は戦後60年で大きな精神的節目を迎えている)なぜ、朝鮮半島の国民は高麗期以降「効果的な」反乱を起こすことが出来なくなったのであろう?
ところで、わらわは塩野七生著『ローマ人の物語』全15巻を先日読み上げたばかり。思い巡らすのは、形として民主主義であるか否かに関わらず「善政」が行われる(悪政、もしくは政治的混乱が一般民衆にまで及ばない)システムを継続させるにはなにが必要かという点なのじゃ。
現状での中間的答は
「法を敷く側の公正とそれを敷かれた側のロイヤリティ、それらが双方にとって安定したシステムとなるための枠組とその枠組を維持・執行する人材の確保」
であろうという気がしている。
人治主義の国であろうと「善政」が行われる場合はある。(中国史上最大の名君は唐の太宗李世民だと言いますからな)
民主主義形態を採っていても混乱から抜け出せぬ場合も多い。(現在のイラクが好例であろうかの)
要は、「善政」さえ行われ・それが恒常化すればいいわけであるがこれがなかなかむずかしい。「悪政」におのずと歯止めがかかるシステムを築く、このあたりが最低ラインか。
そうすると、諸氏が先日来このトピで論じられているように為政者と治められる層との間の「契約」という概念が起こってくるのかもしれぬ。しかしこの「契約」という概念には、わらわはどうもヘブライズムの匂いがしてならぬ。古代ローマのカエサルやアウグスティヌス、五賢帝には「ローマ市民との契約」という発想はあったのだろうか? その萌芽はあったやもしれぬしなかったやもしれぬが、その如何に関わらず彼らが「善政」を行ったことは事実であろう。
はてさて、「契約概念」は「善政」のスタート地点であろうかの? 「悪政を防止する」の土壌にはなるやもしれぬな。
わらわには、
「法を敷く側の公正とそれを敷かれた側のロイヤリティ、それらが双方にとって安定したシステムとなるための枠組とその枠組を維持・執行する人材の確保」
がだれにとっても益になると知れ渡ってこその国家的安定と映る。
「ひとは自分に利益となることしかしないものだ」
から。だが、上のような状態が保たれるには為政者・被為政者含めての不断の努力が必要であろう。イワシの頭が為政者トップの席に置かれていても
>法を敷く側の公正と……(以下略)
が保たれるはずなどないから。
とすれば、法による統治が守られつづけるには血の通った個々人の働きこそが為政者・被為政者のいずれにも必要となってくることになる。
以上のように考えれば、現在の北朝鮮の状況は北朝鮮国民1人々々の責任行為の結果であるし(韓国も同様)、それを受けて立たねばならぬ日本国民にもそして在日諸氏にも同様のことが言えることになる。
はてさて、それぞれの国の「歴史」の上に築かれた「今日」というものの取扱いは注意が必要でございますな。
それでは、そろそろ卿を煩わすことから失礼申し上げよう。
これは メッセージ 38034 (clionomiko さん)への返信です.
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