ランディ卿【正面=トピ合致】也
投稿者: clionomiko 投稿日時: 2007/01/02 14:29 投稿番号: [38034 / 44985]
>スリットが素晴らしいアバターでありますね。
お気に召していただき光栄至極。ふたたびこの姿にて登場仕ろう。(これが通常の日ごろのわらわの口調じゃ)
>脇のところまでスリットが切れているヤツがあったら俺もアバター
するんですが・・
それは単なるジャンパー・スカートと申さぬか?
さて、極西論ならぬ文明論だけでは単なるトピズレとの非難をまぬがれまい。また、歴史談義だけでは
>話をそらそうとするやから
と「認定される」怖れあり。
よって、わらわなりの歴史論的北朝鮮「談義」(ここ重要)をおこのうてみたい。
わらわは遠き学生時代(プラトンのアカデミア時代と思うてくださっても良い)、
「鎌倉武士政権は天皇統治に取って代わったのではない。天皇の権限が及ばぬ地方政権を打ち立てたに過ぎない」
と習ろうた。
「鎌倉幕府成立の意義は貴族政治を終わらせたことにあるのではなく、貴族に変わって政治を行い得る可能性を世に作り出しはじめたことにある」
ということでもあったのであろう。
ちょうどその同じころ、朝鮮半島の高麗にも国王を棚上げにして武臣による政権を作った連中が居た。その最大級の人物が崔忠献じゃ。このころまでは、文化的にはともかく(朝鮮独自の文字などはまだ発達していなかったのに対して日本ではすでに『源氏物語』などが成立していた)、政治的には両国は大同小異の状態であったとも言える。
しかして、そこへ起こったのが元――正確にはモンゴル帝国のうちのフビライ家部分――の朝鮮侵略じゃ。これには三別抄の抵抗があったとか、いや三別抄の運動は別段対元運動ではなかったとか両論あるが(わらわは後者に傾いておる)結局モンゴル兵に鎮圧されてしまい、歴代の高麗国王はフビライ王家の王女を妃とするべく決定付けられる。
その状態が170年ほどつづいた後、フビライ王家の衰えによって李成桂が高麗朝を乗っ取り朝鮮王室を建てることはご承知の通り。そして、この王朝がまた500年ほども延々つづくのじゃ。それこそ
>牛のヨダレ
の如く。
高麗王朝に元――フビライ王家直属領の侵略があったように、朝鮮期にも豊臣秀吉の朝鮮出兵のほぼ直後に後に清王朝を建てる女真族の2度の侵略が行われ(2度目はすでに清朝成立後)李氏の朝鮮は清の完全な属国となる。
それからも李氏の朝鮮はつづき結局日清戦争じゃ。(以後は皆さまがたよくご存知ゆえ省略す)
以上の半島の歴史からわらわが思うことの重大な1つはこうじゃ。
朝鮮半島の王朝は、滅ぶべきときに滅ばぬ。高麗朝は元に屈服したときに滅んで別の王朝になるべきであったし、李王朝は中華帝国が明から清に代わる際にみずからも別の政権に衣替えすべきであった、と。
そうしたからといって当時の中国王朝からの圧迫は重大なものがあったであろうが、王朝の刷新は人心の一新をもたらしてはくれる。いずれ弱者のルサンチマンが爆発する折もあろう。(中国の各王朝は農民反乱か、宗教に絡んだやはり庶民の反乱が発端で多くが滅亡過程へと入り込んでいる)だが、ダラダラと同じ王朝がつづくだけでは人心の心機一転などあり得ぬではないか。
同じことが、今まさに北朝鮮の「金王朝」と揶揄される体制にも起こっておるとわらわは見る。あれらは、毛沢東体制が終焉したとき、あるいは金日成が死亡したときにでも崩壊しておくべきだった。だが、依然まさに「ダラダラ」とつづいている。
よく、
「朝鮮人は反乱を起こす気概もない」
という声を聞くが半島で反乱がなかったわけではない。例を挙げよ、というむきがあらば列挙致そう。ただ、それらの反乱が実りをもたらさぬのだ。もしかすれば、朴チョンヒのクーデターのみが唯一の例外と言ってよいかもしれぬほどに。
ここに朝鮮半島の歴史最大の謎があり、それ以上に多くの問題を含んだ朝鮮人気質の形成の原因があるとわらわは愚考する。
なぜに、朝鮮半島では反乱が効果的に起こらぬのか。あるいは、反乱を効果的に生かすことが出来ぬのか。歴史の女神に使える者としてもっとも興味を抱くのはこの点である。
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さて、他トピであまりご老人に「サービス」を繰り返すとご老人をますます「トピズレ」に追い込むので今回の「サービス」は停止することに致そう。
それでは。
お気に召していただき光栄至極。ふたたびこの姿にて登場仕ろう。(これが通常の日ごろのわらわの口調じゃ)
>脇のところまでスリットが切れているヤツがあったら俺もアバター
するんですが・・
それは単なるジャンパー・スカートと申さぬか?
さて、極西論ならぬ文明論だけでは単なるトピズレとの非難をまぬがれまい。また、歴史談義だけでは
>話をそらそうとするやから
と「認定される」怖れあり。
よって、わらわなりの歴史論的北朝鮮「談義」(ここ重要)をおこのうてみたい。
わらわは遠き学生時代(プラトンのアカデミア時代と思うてくださっても良い)、
「鎌倉武士政権は天皇統治に取って代わったのではない。天皇の権限が及ばぬ地方政権を打ち立てたに過ぎない」
と習ろうた。
「鎌倉幕府成立の意義は貴族政治を終わらせたことにあるのではなく、貴族に変わって政治を行い得る可能性を世に作り出しはじめたことにある」
ということでもあったのであろう。
ちょうどその同じころ、朝鮮半島の高麗にも国王を棚上げにして武臣による政権を作った連中が居た。その最大級の人物が崔忠献じゃ。このころまでは、文化的にはともかく(朝鮮独自の文字などはまだ発達していなかったのに対して日本ではすでに『源氏物語』などが成立していた)、政治的には両国は大同小異の状態であったとも言える。
しかして、そこへ起こったのが元――正確にはモンゴル帝国のうちのフビライ家部分――の朝鮮侵略じゃ。これには三別抄の抵抗があったとか、いや三別抄の運動は別段対元運動ではなかったとか両論あるが(わらわは後者に傾いておる)結局モンゴル兵に鎮圧されてしまい、歴代の高麗国王はフビライ王家の王女を妃とするべく決定付けられる。
その状態が170年ほどつづいた後、フビライ王家の衰えによって李成桂が高麗朝を乗っ取り朝鮮王室を建てることはご承知の通り。そして、この王朝がまた500年ほども延々つづくのじゃ。それこそ
>牛のヨダレ
の如く。
高麗王朝に元――フビライ王家直属領の侵略があったように、朝鮮期にも豊臣秀吉の朝鮮出兵のほぼ直後に後に清王朝を建てる女真族の2度の侵略が行われ(2度目はすでに清朝成立後)李氏の朝鮮は清の完全な属国となる。
それからも李氏の朝鮮はつづき結局日清戦争じゃ。(以後は皆さまがたよくご存知ゆえ省略す)
以上の半島の歴史からわらわが思うことの重大な1つはこうじゃ。
朝鮮半島の王朝は、滅ぶべきときに滅ばぬ。高麗朝は元に屈服したときに滅んで別の王朝になるべきであったし、李王朝は中華帝国が明から清に代わる際にみずからも別の政権に衣替えすべきであった、と。
そうしたからといって当時の中国王朝からの圧迫は重大なものがあったであろうが、王朝の刷新は人心の一新をもたらしてはくれる。いずれ弱者のルサンチマンが爆発する折もあろう。(中国の各王朝は農民反乱か、宗教に絡んだやはり庶民の反乱が発端で多くが滅亡過程へと入り込んでいる)だが、ダラダラと同じ王朝がつづくだけでは人心の心機一転などあり得ぬではないか。
同じことが、今まさに北朝鮮の「金王朝」と揶揄される体制にも起こっておるとわらわは見る。あれらは、毛沢東体制が終焉したとき、あるいは金日成が死亡したときにでも崩壊しておくべきだった。だが、依然まさに「ダラダラ」とつづいている。
よく、
「朝鮮人は反乱を起こす気概もない」
という声を聞くが半島で反乱がなかったわけではない。例を挙げよ、というむきがあらば列挙致そう。ただ、それらの反乱が実りをもたらさぬのだ。もしかすれば、朴チョンヒのクーデターのみが唯一の例外と言ってよいかもしれぬほどに。
ここに朝鮮半島の歴史最大の謎があり、それ以上に多くの問題を含んだ朝鮮人気質の形成の原因があるとわらわは愚考する。
なぜに、朝鮮半島では反乱が効果的に起こらぬのか。あるいは、反乱を効果的に生かすことが出来ぬのか。歴史の女神に使える者としてもっとも興味を抱くのはこの点である。
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さて、他トピであまりご老人に「サービス」を繰り返すとご老人をますます「トピズレ」に追い込むので今回の「サービス」は停止することに致そう。
それでは。
これは メッセージ 38031 (randy_bara さん)への返信です.
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