誰が救われるのか
投稿者: lilasnosakukoro 投稿日時: 2004/04/29 14:20 投稿番号: [17377 / 44985]
>なごやん殿
>しかし、それで現実にいくつかの具体的な名前をもった命が救われるなら、
それはそれで「可」じゃ。
多分もはや、なごやん殿と私の間にそれほどの隔たりはないのでしょう。議論であれば、これで終わりにしていいと思います。対話だと思いますから、もう少し続けさせてください。
まともに論じると脱力感にとらわれそうなので17182ではひねって書きましたが、私も、今回の事件(事故)に対し、日本が、緊急的な支援を、アメリカやEUと歩調を合わせる程度に行うことは反対ではないのです。
国際公法さんや中京さん、虚け斎さん(そう呼ばせていただきます、お許しください)には叱られるかもしれませんが、私は、どの道日本が出す出さないと散らつかせるカード程度であれば、出さなくても韓国や中国が出すだろうし、それらが被災者の手に渡らず金一派の懐を肥やすことにしか多分ならないのは察しが付きますから。だったら、日本も各国と歩調をあわせる程度には援助を行った、という評判だけでも取っておくのがベターだろうと、割り切った上で。
私が今回、なごやん殿にレスを出し始めた最大の理由は、下のなごやん殿の言葉にあります。
>わしは人道などというものを考えていなかったが、
たしかに普遍的な人道しか被災者を救えるものはないのかもしれない。
これまでも申し上げてきましたように、そしてなごやん殿も十分にお分かりと拝察するのですが、「普遍的な人道」すらも「被災者」を救うことはできません。「自ら助け」ない者を救うことは、天すらもできませんから。
ここでもし救われるものがあるとしたら、それは、むしろなごやん殿や私のほうにあります。
「現実にいくつかの具体的な名前をもった命が救われる」ことで、万が一にも、それらの命のほんのいくつかでも、いつの日か金正日体制から開放される時にい合わせることができるかもしれない、いや、その命には無理でも、彼らの子供・孫・ひ孫達の誰かは……と願う、この私達自身の気持ちが救われるのだということは、自覚しておく必要があると思うのです。そうなってはじめて、無邪気な善意ではなく、苦い認識の中から生まれた祈りが訪れるのではないでしょうか?
>わしには一升の米のために涙を流しながらブザマに土下座をする覚悟ならある。
2年前の私なら、まったく同じところで考えを終えることができたでしょう。しかし、この間北朝鮮から伝わってきた情報を思うと、「一升の米のために涙を流しながらブザマに土下座をする覚悟」でさえも十分ではないように思います。どれほどブザマに土下座しても、1合の米さえ頭の上に降ってこない事態すらもこの世にはある、と、私は見せつけたれたような気がしました。
ひたすら体制に従っていれば取り敢えず腹は膨れる、というのなら、私はその国の国民達が反体制運動に立ち上がらないことを非難するつもりは一切ありません。「食べて」「着て」「寝れ」さえするなら、自分の命を危険にさらせという権利は他国人にはないと思っています。(言論の自由など、そのはるか先の話です)
ですがもう、北朝鮮のレベルはそのラインを超えてしまっているでしょう。いくら「ブザマに土下座」しようと、一般の住民には、ほとんど得るところがないはずです。
ここまで来た時、どん底まではあと一歩です。それは、抗議の声を挙げようにも誰に挙げればいいかもわからい、という、数年前までアフリカ諸国を覆っていたあの事態です。(今なお、いくつかの国がそうでしょう)とにもかくにも非難の対象としてでもいいから、誰かが国のトップに座っていてくれさえすれば、その人物にむかって反抗することはできます。ですが、権力機構が崩壊してしまい、いくつかの勢力に分れて争い合うのみ、しかもそのそれぞれが全体状況を把握する能力なし、となった時、もはや国民は「自ら助く」術がないのです。
「ブザマに土下座」する相手さえいないとなった時、なごやん殿の覚悟はどこへ持っていきようがあるでしょう? この私が北朝鮮の民に(小学生にまでも)「自ら助く」ことを要求するのは、一つにはこの点にあります。事態がここまで進んでしまう前に、なんとかストップをかけてほしいからです。
>しかし、それで現実にいくつかの具体的な名前をもった命が救われるなら、
それはそれで「可」じゃ。
多分もはや、なごやん殿と私の間にそれほどの隔たりはないのでしょう。議論であれば、これで終わりにしていいと思います。対話だと思いますから、もう少し続けさせてください。
まともに論じると脱力感にとらわれそうなので17182ではひねって書きましたが、私も、今回の事件(事故)に対し、日本が、緊急的な支援を、アメリカやEUと歩調を合わせる程度に行うことは反対ではないのです。
国際公法さんや中京さん、虚け斎さん(そう呼ばせていただきます、お許しください)には叱られるかもしれませんが、私は、どの道日本が出す出さないと散らつかせるカード程度であれば、出さなくても韓国や中国が出すだろうし、それらが被災者の手に渡らず金一派の懐を肥やすことにしか多分ならないのは察しが付きますから。だったら、日本も各国と歩調をあわせる程度には援助を行った、という評判だけでも取っておくのがベターだろうと、割り切った上で。
私が今回、なごやん殿にレスを出し始めた最大の理由は、下のなごやん殿の言葉にあります。
>わしは人道などというものを考えていなかったが、
たしかに普遍的な人道しか被災者を救えるものはないのかもしれない。
これまでも申し上げてきましたように、そしてなごやん殿も十分にお分かりと拝察するのですが、「普遍的な人道」すらも「被災者」を救うことはできません。「自ら助け」ない者を救うことは、天すらもできませんから。
ここでもし救われるものがあるとしたら、それは、むしろなごやん殿や私のほうにあります。
「現実にいくつかの具体的な名前をもった命が救われる」ことで、万が一にも、それらの命のほんのいくつかでも、いつの日か金正日体制から開放される時にい合わせることができるかもしれない、いや、その命には無理でも、彼らの子供・孫・ひ孫達の誰かは……と願う、この私達自身の気持ちが救われるのだということは、自覚しておく必要があると思うのです。そうなってはじめて、無邪気な善意ではなく、苦い認識の中から生まれた祈りが訪れるのではないでしょうか?
>わしには一升の米のために涙を流しながらブザマに土下座をする覚悟ならある。
2年前の私なら、まったく同じところで考えを終えることができたでしょう。しかし、この間北朝鮮から伝わってきた情報を思うと、「一升の米のために涙を流しながらブザマに土下座をする覚悟」でさえも十分ではないように思います。どれほどブザマに土下座しても、1合の米さえ頭の上に降ってこない事態すらもこの世にはある、と、私は見せつけたれたような気がしました。
ひたすら体制に従っていれば取り敢えず腹は膨れる、というのなら、私はその国の国民達が反体制運動に立ち上がらないことを非難するつもりは一切ありません。「食べて」「着て」「寝れ」さえするなら、自分の命を危険にさらせという権利は他国人にはないと思っています。(言論の自由など、そのはるか先の話です)
ですがもう、北朝鮮のレベルはそのラインを超えてしまっているでしょう。いくら「ブザマに土下座」しようと、一般の住民には、ほとんど得るところがないはずです。
ここまで来た時、どん底まではあと一歩です。それは、抗議の声を挙げようにも誰に挙げればいいかもわからい、という、数年前までアフリカ諸国を覆っていたあの事態です。(今なお、いくつかの国がそうでしょう)とにもかくにも非難の対象としてでもいいから、誰かが国のトップに座っていてくれさえすれば、その人物にむかって反抗することはできます。ですが、権力機構が崩壊してしまい、いくつかの勢力に分れて争い合うのみ、しかもそのそれぞれが全体状況を把握する能力なし、となった時、もはや国民は「自ら助く」術がないのです。
「ブザマに土下座」する相手さえいないとなった時、なごやん殿の覚悟はどこへ持っていきようがあるでしょう? この私が北朝鮮の民に(小学生にまでも)「自ら助く」ことを要求するのは、一つにはこの点にあります。事態がここまで進んでしまう前に、なんとかストップをかけてほしいからです。
これは メッセージ 17361 (nagoyan_2shiki さん)への返信です.
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