pas maljp女史へ(お喋りの続き)
投稿者: yaenanae01 投稿日時: 2004/01/24 02:34 投稿番号: [12299 / 44985]
まず最初に。
会津藩士の子孫に、「日中戦争、太平洋戦争は江戸を知らない人の戦争」という見解について、どう思うか、聞いた。ずばり、「どちらも、薩長がやったのだ。薩長政治の悪弊だ」そうだ。女史の方に、ご意見があれば、またの機会に伝言する。
女史と私の遣り取りが、別の方向から取り上げられているようだが、私達のこれは、あくまでもお喋りとして、続けさせて頂く。
さて、私が、外交というものに究極的に求めるのは、「ババは自分が引かず、他者に引かせ」ながら、果実は自らが得る、ということだ。だが、女史は、「ノブレス・オブ・リージュ」や信義、を重んじられるのだろう。個人としては、その方が立派であるし、(私の方が、よろしくない)また、好みを論じ合っては、100年遣り合っても、結論は変わるまい。
切り口を変えよう。
>加えていうと当時、閔妃暗殺問題で日本に抗議した国は皆無だったそうである。
ほほう、ロシアでさえ、何も言いませんでしたか。ロシアは、三国干渉に引っ掛けて、何か言って来たかと思っていた。
>井上の裏切りと、三浦個人が朝鮮革命志士達との信義を守り通した事との間には天と地程の差があると思う。
>彼のような個人が信義を守り通した事と、その後の併合へと向かう親日派の醸成は無縁ではないと考える。
個人としての三浦の態度は、けして見苦しいものではなかったと思う。彼自身は、事の責任を、十分負う覚悟だっただろう。そして、当時の朝鮮半島では、その彼を評価する人間もいたと考えるし、なるほど、その系譜が、のちの親日派へと連なっていくのだろう。
>日本の敗戦によって「韓国人から見た歴史評価」はコロッと変わってしまった。
>公務にある立場とは言え、あの時点でそこまで展望する責任を三浦に求めるのは無理な事であると思う。
これは、100%賛成。戦後の「日本評価(ありていに言って、反日意識)」にまでの考察の責を、三浦やその他の加担者(公人・私人/日本側・朝鮮側を問わず)に求めるのは、本末転倒だ。
>次に三浦梧楼公使と朝鮮革命志士の信義が察せられるエピソードを添えておくので是非御一読下さい。
まぁ、要するに私はこういう話にグッときちゃう性分なんです。
非常に良いものを読ませて貰った。ありがとう。実は私も、一方では小うるさいことを言っているが、こういう話は大好きなのです。
>処刑された三人の顕彰碑を建てました。
この顕彰碑は、戦後どうなったのだろう? まあ、どうなったか、だいたい察しは付きますが。
ところで。
>事件後、大院君は「王妃は廃して庶人にするつもりだから、国葬は行なわない」と言明し閔妃の罪悪を挙げる詔書を高宗に出させたそうです。
>これに対し「死ねば皆仏になる」と王妃の菩提を弔う様に勧めたのは井上馨特命全権公使だそうですよ。
似たような構図の話がありまして。(もちろん、事柄は全然違う)
女史は、次のような本はご存知だろうか。
http://www.atc.ne.jp/seikindo/html/kihiwa.htm
この書は、yaenanae01の、昨年度の目鱗本。
では。
会津藩士の子孫に、「日中戦争、太平洋戦争は江戸を知らない人の戦争」という見解について、どう思うか、聞いた。ずばり、「どちらも、薩長がやったのだ。薩長政治の悪弊だ」そうだ。女史の方に、ご意見があれば、またの機会に伝言する。
女史と私の遣り取りが、別の方向から取り上げられているようだが、私達のこれは、あくまでもお喋りとして、続けさせて頂く。
さて、私が、外交というものに究極的に求めるのは、「ババは自分が引かず、他者に引かせ」ながら、果実は自らが得る、ということだ。だが、女史は、「ノブレス・オブ・リージュ」や信義、を重んじられるのだろう。個人としては、その方が立派であるし、(私の方が、よろしくない)また、好みを論じ合っては、100年遣り合っても、結論は変わるまい。
切り口を変えよう。
>加えていうと当時、閔妃暗殺問題で日本に抗議した国は皆無だったそうである。
ほほう、ロシアでさえ、何も言いませんでしたか。ロシアは、三国干渉に引っ掛けて、何か言って来たかと思っていた。
>井上の裏切りと、三浦個人が朝鮮革命志士達との信義を守り通した事との間には天と地程の差があると思う。
>彼のような個人が信義を守り通した事と、その後の併合へと向かう親日派の醸成は無縁ではないと考える。
個人としての三浦の態度は、けして見苦しいものではなかったと思う。彼自身は、事の責任を、十分負う覚悟だっただろう。そして、当時の朝鮮半島では、その彼を評価する人間もいたと考えるし、なるほど、その系譜が、のちの親日派へと連なっていくのだろう。
>日本の敗戦によって「韓国人から見た歴史評価」はコロッと変わってしまった。
>公務にある立場とは言え、あの時点でそこまで展望する責任を三浦に求めるのは無理な事であると思う。
これは、100%賛成。戦後の「日本評価(ありていに言って、反日意識)」にまでの考察の責を、三浦やその他の加担者(公人・私人/日本側・朝鮮側を問わず)に求めるのは、本末転倒だ。
>次に三浦梧楼公使と朝鮮革命志士の信義が察せられるエピソードを添えておくので是非御一読下さい。
まぁ、要するに私はこういう話にグッときちゃう性分なんです。
非常に良いものを読ませて貰った。ありがとう。実は私も、一方では小うるさいことを言っているが、こういう話は大好きなのです。
>処刑された三人の顕彰碑を建てました。
この顕彰碑は、戦後どうなったのだろう? まあ、どうなったか、だいたい察しは付きますが。
ところで。
>事件後、大院君は「王妃は廃して庶人にするつもりだから、国葬は行なわない」と言明し閔妃の罪悪を挙げる詔書を高宗に出させたそうです。
>これに対し「死ねば皆仏になる」と王妃の菩提を弔う様に勧めたのは井上馨特命全権公使だそうですよ。
似たような構図の話がありまして。(もちろん、事柄は全然違う)
女史は、次のような本はご存知だろうか。
http://www.atc.ne.jp/seikindo/html/kihiwa.htm
この書は、yaenanae01の、昨年度の目鱗本。
では。
これは メッセージ 12271 (pas_maljp さん)への返信です.
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