北朝鮮

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yaenanae01さんへ(2)

投稿者: pas_maljp 投稿日時: 2004/01/23 18:16 投稿番号: [12271 / 44985]
>井上がやったことと三浦や彼に続く日本側の外交官がやったことは、「結果において」、大差はないような気がする。

私はそうは思わない。
井上の裏切りと、三浦個人が朝鮮革命志士達との信義を守り通した事との間には天と地程の差があると思う。

彼のような個人が信義を守り通した事と、その後の併合へと向かう親日派の醸成は無縁ではないと考える。
日本の敗戦によって「韓国人から見た歴史評価」はコロッと変わってしまった。
公務にある立場とは言え、あの時点でそこまで展望する責任を三浦に求めるのは無理な事であると思う。

次に三浦梧楼公使と朝鮮革命志士の信義が察せられるエピソードを添えておくので是非御一読下さい。
まぁ、要するに私はこういう話にグッときちゃう性分なんです。


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「日韓共鳴ニ千年史」   名越二荒之助   平成14年   明成社

閔妃殺害事件をめぐってロシア公使ウェーベルは動き始めました。そのこともあってか、外国の政府代表は大院君政権の承認を拒否し、直接、高宗国王との交渉を主張しました。しかし、どの政府も国益を重視して、この暗殺問題で日本に抗議した国はありませんでした。日本政府としては欧米諸国との不平等条約(関税自主権や外国人を裁判する権利が日本に認められていなかった)を改正するという悲願もあり、対外的な配慮もあって三浦公使以下四十余名を広島の獄に送り、裁判にかけました。それを知った李周會は悩みました。彼はかつて国王に対して「閔妃と奸臣を宮廷から遠ざけ、国王親政を実現するよりほか、国家の滅亡を救う道はない。それができなければ、自分の首を斬って貰いたい」と死をもって諌言したことがあります。その時国王は聞き容れず、李周會を宮廷外に追い出してしまいました。それ以来彼は官を辞し、野に下って日朝の志士と往来し、八方画策しておりました。そしてこのたび閔妃事件が突発し、三浦公使以下は獄に繋がれました。彼は「日本が我国のために尽してくれたことは数えきれない。このたび公使以下多数の志士が拘留せられた。朝鮮人として見るに忍びない」として閔妃暗殺の全責任を負い、自分が閔妃を殺害したと供述し、他の二人(尹錫禹、朴鉄)と共に処刑されました。時に明治二十八年十月十九日、五十三歳。

三浦梧楼公使は広島の獄中でこのことを知って痛哭し、次のような七言絶句の詩を作りました。
   廃沢荒山玉尚存   銀難国歩哀王孫
   無由一束供青草   涙向西天灑義魂
   〈荒廃した朝鮮にも玉のような心があった。朝鮮国の前途を思えば気の毒に堪えない。自分は獄中にいるため献花することもできず、西の空に向かって李周會の義魂に涙を注ぐのみである。)
刑の執行後、李周會の遺骸は逆徒として山に棄てられ、遺族も国法により死刑に処せられようとしました。しかし、夫人は子供を連れて地方に遁(のが)れ、行方をくらますために母子は生別し、幾多の辛酸を嘗めました。母子が再会できたのは日韓併合後のことでした。昭和四年、頭山満、内田良平等は有志から資金を募り、遺骨を龍山の瑞龍寺境内に移し、処刑された三人の顕彰碑を建てました。
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