閔妃暗殺についての私見
投稿者: pas_maljp 投稿日時: 2004/01/22 18:42 投稿番号: [12170 / 44985]
呼称の件は好きな様にお呼び下さい。
今回は女性である事を明らかにしてしまいましたし、これだけきつい性格を御披露した後でセクハラ発言(撃退経験あり)を試みられたり、「手加減してやる」という無礼を言う方も居ないでしょうから。
文体の件は投稿前夜、アルコールの入った頭で書いたものです。
下書きのつもりで翌日書き直すつもりだったのですが、読み返してピンとくるものがあったのでそのまま投稿しました。
その理由はそのまま「殺してはいかんだろう。それは、外交ではない」と言う貴方の主張に対する反論につながります。
これまで幾つかのハンドル(ストーカーよけ)で韓カテでの討論に参加してきましたが「閔妃」の件に関しては今一つ肌感覚のようなものがつかめないまま、負けん気だけで反論してきた様に思います。
ところが最近読んだ文(私は読書量はけっこうあるのだが、それだけに出典を忘れやすい。多分これは新聞)で「日清・日露は江戸の人がやった戦争。日中戦争、太平洋戦争は江戸を知らない人の戦争(大意)」と言うのがあったのです。
私は前出の投稿を読み返した折、「あぁ、そうだ閔妃の事件も江戸の感性が起こしたものなのだ」と初めて肌感覚でつかめたような気がしたのです。
そう考えると「助太刀男」と言う一見軽薄な言い回しも、余りにもはまっていて変える気が無くなってしまいました。
「殺してはいかんだろう。それは、外交ではない」確かに現代から見ればそうなのです。
私達は「江戸の感性」で生きている訳ではありませんから。
しかしながらあの時代、日朝の彼等がやろうとしていた事は「朝鮮半島版明治維新」なのです。
三浦梧桜と言う人は公使の立場にありながらも「近代的公務員としての人格」というよりも「江戸末期の武士の気風に引きずられた人格」の持ち主であったのだと思います。
京都の街を攘夷派と佐幕派が己の命を的にそれぞれの志を遂げようとしていた時代に思いを馳せれば「殺してはいかんだろう」などと言っていられない状況であったのだと理解できます。
>閔妃を王后の位から下ろし、代わりに高宗の他の側室を王后の位に冊報し直させ、閔妃自体は宮中追放の上、某所に監禁、というところがもっとも適当だった
確かに、日本の側からの「利害計算」にはそれで十分な気がします。
ただ「助太刀」を頼んだ朝鮮人革命家の側からすればそんな「中途半端」な事は出来なかったのではないでしょうか。
大院君を引き込んだとは言え、跡継ぎは結局高宗です。
高宗が大院君の死後、閔妃を再び権力の座に戻したらどうなりますか?
もの凄い巻き返しと復讐が始まる事は眼に見えています。
革命家の側は閔氏一族から、厳しい迫害を受け、父母、兄弟、妻子を殺されながら、上手く行くかに見えた革命をその都度情勢の揺り返しによって葬られているのです。
もうそんな事をいつまでも繰り返している訳には行かなかったでしょう。
実際問題、閔妃事件に先立つ甲午事変では高宗、閔妃を監禁して改革を進めましたが一年あまりでロシアを引き込んだ高宗、閔妃に巻き返されてしまいました。
「殺してはいかんだろう」などと言っていられるのは曲がりなりにも私達が平和な世界の住人だからであって、例えば平氏が頼朝を幽閉せずに殺していれば後の平氏滅亡はなかったのです。
それを思えば「閔妃を殺す」という選択は日本側よりも朝鮮の革命家の側にとってこそより切実であり、簡単に否定できる事ではないと言う事が解ります。
江戸末期から明治にかけて日本人は命がけで政治をやってきました。
征韓論で韓国人から評判の悪い西郷隆盛にせよ私心で言っていたのではありません。
「自分が韓国に行って殺されるからそれを理由に開戦しろ」と言っています。
政治に拘わる以上、それが元で殺される事は致し方の無い事であると、幕末の志士達は考えていたのではないでしょうか。
ですから閔妃が好んで政治に介入する以上、自ら命がけで反対の立場に経つ朝鮮の革命家達が閔妃を殺す選択に傾くのを止めようと言う発想はなかったのではないかと思います。
閔妃も、もし現代韓国人が考えるようなすばらしい女性であるならば「時として自分の側が殺される場合もありうる」という覚悟と信念で政治に介入していた筈だと思います。
閔妃を殺した三浦梧桜は現代の韓国人から見れば悪役のようです。
でも私は閔妃を殺さず監禁した甲午事変で閔妃の巻き返しの後、朝鮮人革命家を見捨てて逃げ出した井上公使の方が嫌いです。
私が韓国人だったら井上公使の裏切りの方を卑怯だとなじり、批判する事でしょう。
本当に人の価値観は様々ですね。
今回は女性である事を明らかにしてしまいましたし、これだけきつい性格を御披露した後でセクハラ発言(撃退経験あり)を試みられたり、「手加減してやる」という無礼を言う方も居ないでしょうから。
文体の件は投稿前夜、アルコールの入った頭で書いたものです。
下書きのつもりで翌日書き直すつもりだったのですが、読み返してピンとくるものがあったのでそのまま投稿しました。
その理由はそのまま「殺してはいかんだろう。それは、外交ではない」と言う貴方の主張に対する反論につながります。
これまで幾つかのハンドル(ストーカーよけ)で韓カテでの討論に参加してきましたが「閔妃」の件に関しては今一つ肌感覚のようなものがつかめないまま、負けん気だけで反論してきた様に思います。
ところが最近読んだ文(私は読書量はけっこうあるのだが、それだけに出典を忘れやすい。多分これは新聞)で「日清・日露は江戸の人がやった戦争。日中戦争、太平洋戦争は江戸を知らない人の戦争(大意)」と言うのがあったのです。
私は前出の投稿を読み返した折、「あぁ、そうだ閔妃の事件も江戸の感性が起こしたものなのだ」と初めて肌感覚でつかめたような気がしたのです。
そう考えると「助太刀男」と言う一見軽薄な言い回しも、余りにもはまっていて変える気が無くなってしまいました。
「殺してはいかんだろう。それは、外交ではない」確かに現代から見ればそうなのです。
私達は「江戸の感性」で生きている訳ではありませんから。
しかしながらあの時代、日朝の彼等がやろうとしていた事は「朝鮮半島版明治維新」なのです。
三浦梧桜と言う人は公使の立場にありながらも「近代的公務員としての人格」というよりも「江戸末期の武士の気風に引きずられた人格」の持ち主であったのだと思います。
京都の街を攘夷派と佐幕派が己の命を的にそれぞれの志を遂げようとしていた時代に思いを馳せれば「殺してはいかんだろう」などと言っていられない状況であったのだと理解できます。
>閔妃を王后の位から下ろし、代わりに高宗の他の側室を王后の位に冊報し直させ、閔妃自体は宮中追放の上、某所に監禁、というところがもっとも適当だった
確かに、日本の側からの「利害計算」にはそれで十分な気がします。
ただ「助太刀」を頼んだ朝鮮人革命家の側からすればそんな「中途半端」な事は出来なかったのではないでしょうか。
大院君を引き込んだとは言え、跡継ぎは結局高宗です。
高宗が大院君の死後、閔妃を再び権力の座に戻したらどうなりますか?
もの凄い巻き返しと復讐が始まる事は眼に見えています。
革命家の側は閔氏一族から、厳しい迫害を受け、父母、兄弟、妻子を殺されながら、上手く行くかに見えた革命をその都度情勢の揺り返しによって葬られているのです。
もうそんな事をいつまでも繰り返している訳には行かなかったでしょう。
実際問題、閔妃事件に先立つ甲午事変では高宗、閔妃を監禁して改革を進めましたが一年あまりでロシアを引き込んだ高宗、閔妃に巻き返されてしまいました。
「殺してはいかんだろう」などと言っていられるのは曲がりなりにも私達が平和な世界の住人だからであって、例えば平氏が頼朝を幽閉せずに殺していれば後の平氏滅亡はなかったのです。
それを思えば「閔妃を殺す」という選択は日本側よりも朝鮮の革命家の側にとってこそより切実であり、簡単に否定できる事ではないと言う事が解ります。
江戸末期から明治にかけて日本人は命がけで政治をやってきました。
征韓論で韓国人から評判の悪い西郷隆盛にせよ私心で言っていたのではありません。
「自分が韓国に行って殺されるからそれを理由に開戦しろ」と言っています。
政治に拘わる以上、それが元で殺される事は致し方の無い事であると、幕末の志士達は考えていたのではないでしょうか。
ですから閔妃が好んで政治に介入する以上、自ら命がけで反対の立場に経つ朝鮮の革命家達が閔妃を殺す選択に傾くのを止めようと言う発想はなかったのではないかと思います。
閔妃も、もし現代韓国人が考えるようなすばらしい女性であるならば「時として自分の側が殺される場合もありうる」という覚悟と信念で政治に介入していた筈だと思います。
閔妃を殺した三浦梧桜は現代の韓国人から見れば悪役のようです。
でも私は閔妃を殺さず監禁した甲午事変で閔妃の巻き返しの後、朝鮮人革命家を見捨てて逃げ出した井上公使の方が嫌いです。
私が韓国人だったら井上公使の裏切りの方を卑怯だとなじり、批判する事でしょう。
本当に人の価値観は様々ですね。
これは メッセージ 12134 (yaenanae01 さん)への返信です.
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