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>yotaro47j氏へ(トピずれ)

投稿者: yotaro47j 投稿日時: 2004/01/19 15:38 投稿番号: [11966 / 44985]
>「○○大空襲」と呼ばれる戦災で、生活基盤一切を破壊され、身内を失い、自身も大火傷を負って後遺症に苦しむことになった人にとっては、やはり、自らの「生活」を「否定」され、自らの「人間性」を「否定」されたのでは?

  これは私だけの考えかも知れません。

  私が「日常生活が消滅した」というのは、こういうことです。
  例えば、「母親が家で洗濯などをしている時間に、子供達は学校に行っている。父親は会社で仕事中。しばらくしたら母親は近くの八百屋さんに買い物に行くかもしれない」ありふれた日常の風景を思い浮かべるわけです。
  この社会の全体が消滅するわけです。
  それも同時に。
  「父母、子供達、ジジババ達、会社、学校、インフラ等々」すべてのものが、ほぼ一瞬にして消える。

  私が言った「日常生活が消えた」「生活がスッポリと抜け落ちた」「生活の否定」とはそういうことです。

「○○大空襲」も同じように生活を破壊されます。しかし、地域全体が同時に一瞬にして消え去るなどということはないのではないか、と私は思うのです。
  原爆の破壊力は巨大です。

  私は戦災にあった人々を区別しようとしているのではありません。

>私には、原爆によって身寄りを失い戦災孤児となった人(この人自身が被爆者ではないならば)と、「一般の戦災」で孤児となった人との間にある「悲劇性の差」など、わからない。

  仰るとおりだと思います。私にも広島・長崎悲劇と、一般の戦災の悲劇の差などわかりません。
  ただ、広島・長崎の破壊は巨大であり、徹底していて、人間にとって理解不能の悲劇だったのではないでしょうか。

  そういうわけで、私は広島・長崎の破壊は「人間の、人間による、人間生活の否定」だったと思っています。

>もし辛うじて差があるとしたら、それは、被害者側にあるのではなく、原爆を投下した、「加害者」側の意識の違い、かもしれない。

  この考えは私には、よく分かりません。悲劇には差などないと、あなたも仰っています。

  いそいで書きましたので、そこらへん一つよろしく。
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