李朝の歴史(2)
投稿者: yaenanae01 投稿日時: 2004/01/15 04:13 投稿番号: [11554 / 44985]
>これだけ悪政をやって国民が餓死しているというのに、国内外共に、朝鮮総連のような悪政支持体制はあるが、亡命政権は愚か反金団体、改革団体が何も無いというのは、世界の最大の不思議の1つ。
>朝鮮人の伝統的な儒教教育(主体思想を含む)の成果ではないかと思うが。
以前にもgogai3000氏は、同趣旨の投稿をされていたと思う。その時も感じたのだが、この辺が私にとっても謎だ。
私自身、以前の投稿で、李朝時代にはどの程度の反乱が何回位起きていたのだろうか、との疑問を表明した。
その後仔細に手もとの年表を睨んで、1728年に戊申の乱、というのが起こっていることを発見した。これは、官僚達のある一派が、時の国王(英祖)を廃そうとして起こしたものらしい。
これ以外に、今現在確認している反乱は……
・1811〜12:洪景来の乱(地方の両班層が起こしたもの)
・1862:壬戊民乱(農民層の反乱)
・1882:壬午軍乱(閔氏政権の開化政策に不満を募らせた兵士達の反乱)
・1894年:古阜民乱(東学の地方幹部全ホウ《王偏に奉》準を指導者とする民乱
第一次、第二次の甲午農民戦争
※この1894年の一連の動きが、日本で言うところの「東学党の乱」
となる。そのほとんどが、19世紀の李朝末期に集中しているのだ。
1392〜1910年(日本による韓国併合)の500年以上続いた王朝で、以前にも書いたようにその劣悪さを現韓国人にすら嘆かせるような体制が、この程度の反乱回数ですんだということがあり得るだろうか?
ちなみに、統一新羅の始まりを676年(唐が朝鮮半島の支配政策を放棄した年)として、高麗に滅ぼされたのが935年であるから、統一新羅の支配期間はほぼ300年。高麗が李成桂に滅ぼされたのが1392年だから、大まかに高麗王朝の期間を400年と考えるとして……どの王朝も、その末期に反乱が起こるのは当然であるから、それを除外すると、統一新羅にせよ、高麗にせよ、ちょうど中間辺りで複数の反乱にみまわれている。(各々の規模は、未調査)かつ、どちらの王朝もが、李朝よりは短い期間で終焉を迎えている。
かたや500年以上続いた李朝では、かろうじて1728年に戊申の乱が起こっただけ、ということはあり得るのだろうか?? 万々が一そうであるならば、李朝以降の朝鮮半島の住民達は、恐ろしく我慢強い人々だったとしか言い様がない。そして、仮定の上に仮定を重ねることを許されるなら、なるほどgogai3000氏が言われるように、この我慢強さの正体は、儒教教育の成果、かもしれぬ。そして更に屋上屋を架しかねないことを承知で言えば、以上の仮定が真実とすると、本トピで「金王朝」と揶揄されているところの体制は、後100年でも続きかねまいな、外部からの力が加わらぬ限り。
それにしても、統一新羅が300年、高麗王朝が400年、李朝が500年以上……一つの王朝が続くスパンがえらく長いな。こんなことは、世界全体見渡しても、あまりないような気がする。
実は、この辺りの事情をいずれ調べてみようかと思っている。今抱えている1,2の件を片付けた後に。素人が暇に任せてやることだから、どの程度の答が出せるかは疑問だが。
もし、これは参考になる、という資料を思いつかれた方は、何卒、お教え頂きたい。(日本語オンリーとさせて頂きたい)
>朝鮮人の伝統的な儒教教育(主体思想を含む)の成果ではないかと思うが。
以前にもgogai3000氏は、同趣旨の投稿をされていたと思う。その時も感じたのだが、この辺が私にとっても謎だ。
私自身、以前の投稿で、李朝時代にはどの程度の反乱が何回位起きていたのだろうか、との疑問を表明した。
その後仔細に手もとの年表を睨んで、1728年に戊申の乱、というのが起こっていることを発見した。これは、官僚達のある一派が、時の国王(英祖)を廃そうとして起こしたものらしい。
これ以外に、今現在確認している反乱は……
・1811〜12:洪景来の乱(地方の両班層が起こしたもの)
・1862:壬戊民乱(農民層の反乱)
・1882:壬午軍乱(閔氏政権の開化政策に不満を募らせた兵士達の反乱)
・1894年:古阜民乱(東学の地方幹部全ホウ《王偏に奉》準を指導者とする民乱
第一次、第二次の甲午農民戦争
※この1894年の一連の動きが、日本で言うところの「東学党の乱」
となる。そのほとんどが、19世紀の李朝末期に集中しているのだ。
1392〜1910年(日本による韓国併合)の500年以上続いた王朝で、以前にも書いたようにその劣悪さを現韓国人にすら嘆かせるような体制が、この程度の反乱回数ですんだということがあり得るだろうか?
ちなみに、統一新羅の始まりを676年(唐が朝鮮半島の支配政策を放棄した年)として、高麗に滅ぼされたのが935年であるから、統一新羅の支配期間はほぼ300年。高麗が李成桂に滅ぼされたのが1392年だから、大まかに高麗王朝の期間を400年と考えるとして……どの王朝も、その末期に反乱が起こるのは当然であるから、それを除外すると、統一新羅にせよ、高麗にせよ、ちょうど中間辺りで複数の反乱にみまわれている。(各々の規模は、未調査)かつ、どちらの王朝もが、李朝よりは短い期間で終焉を迎えている。
かたや500年以上続いた李朝では、かろうじて1728年に戊申の乱が起こっただけ、ということはあり得るのだろうか?? 万々が一そうであるならば、李朝以降の朝鮮半島の住民達は、恐ろしく我慢強い人々だったとしか言い様がない。そして、仮定の上に仮定を重ねることを許されるなら、なるほどgogai3000氏が言われるように、この我慢強さの正体は、儒教教育の成果、かもしれぬ。そして更に屋上屋を架しかねないことを承知で言えば、以上の仮定が真実とすると、本トピで「金王朝」と揶揄されているところの体制は、後100年でも続きかねまいな、外部からの力が加わらぬ限り。
それにしても、統一新羅が300年、高麗王朝が400年、李朝が500年以上……一つの王朝が続くスパンがえらく長いな。こんなことは、世界全体見渡しても、あまりないような気がする。
実は、この辺りの事情をいずれ調べてみようかと思っている。今抱えている1,2の件を片付けた後に。素人が暇に任せてやることだから、どの程度の答が出せるかは疑問だが。
もし、これは参考になる、という資料を思いつかれた方は、何卒、お教え頂きたい。(日本語オンリーとさせて頂きたい)
これは メッセージ 11500 (gogai3000 さん)への返信です.
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