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授時暦は朝鮮通信使の前に日本に伝来(笑

投稿者: waracchauyo5 投稿日時: 2007/05/29 16:18 投稿番号: [42882 / 85019]
民団の妄想・作り話を昼間からやるな、バカ。

日本は、朝鮮なんかよりも古くから、ちゃんと暦の伝統と歴史がある。
それから、授時暦は、あくまで中国で考案されたものだから、他人の功績を自分達のもののように、剽窃するな。

しかも、授時暦が日本に伝わったのは、1625年(寛永二年)で、朝鮮人と会うより、20年近くも前の話し!

しかも、渋川春海は、この授時暦が誤ったものだと、朝鮮の通信使に会う前に理解していた。
渋川は、朝鮮側にそれを伝えたが、朝鮮側は理解できなかった!

百済の頃から、日本人と満州出身で、今の朝鮮人とは縁もゆかりもない百済の人間とで、推古天皇の頃から、日本人は暦を理解し、使っている。
渋川は、さらに、その中国暦(朝鮮暦なんて存在しないからな!)を独自の天文知識を駆使して改良した。

>元嘉暦による暦の実物は中国にも残されておらず、大変貴重な資料である<

中国にないものが残っているほど、日本の暦の歴史は永い。
ぽっと出の朝鮮なんかと一緒にするな!


>授時暦
授時暦(じゅじれき)とは中国暦の一つで、元の郭守敬・王恂・許衡らによって編纂された太陰太陽暦の暦法。名称は『書経』尭典の「暦象日月星辰、授時人事」に由来する。至元18年(1281年)から実施され、明でも大統暦(だいとうれき)と名を変えられて明の末年(1644年)までの364年間に渡って使用された。宋代、十分な観測も行われず18回も改暦したのに対して、授時暦編纂時には観察器具も改良され、大規模な天体観測が行われた。
1太陽年をグレゴリウス暦と同じ365.2425日とし、1朔望月を29.530593日とした。
計算法に招差法(三次内挿法)で太陽・月の不等が求められ、弧矢割円術(球面三角法)で黄経・黄緯と赤経・赤緯の換算が行われた。

>中国の暦が日本に伝えられたのがいつであるか定かではないが、『日本書紀』には欽明天皇14年(553年)に百済に対し暦博士の来朝を要請し、翌年2月に来たとの記事があり、遅くとも6世紀には伝来していたと考えられる。この頃の百済で施行されていた暦法は元嘉暦であるので、この時、伝来した暦も元嘉暦ではないかと推測される。
『日本書紀』では持統天皇4年(690年)の条にある「勅を奉りて始めて元嘉暦と儀鳳暦とを行う」という記事がはじめてであり、正式採用は持統天皇6年(692年)からという説がある。<


>貞享改暦の背景
渋川春海は、初めは安井算哲として幕府碁所で活動していた。彼は幼少時から天文学に興味を持ち、毎晩竹筒で北極星を観察し、13〜14歳の時に北極星が少しずつ移動することを知ったという。
その頃使われていた宣命暦には、月食があるとあったが、実際はなかった。
日食は授時暦では合わず、宣命暦には適合したので採用されなかった。
そこで、研究を重ねて新暦を作り、1683年12月に再び上表し、宣命暦が2日遅れていることを述べた。また、宣命暦では同年12月15日に月食があることになっていたが、実際はなかった。そこで、霊元天皇は土御門泰福に改暦を命じ、1684年10月になって算哲が作った新暦を用いることとなり、翌年から実施された。これが貞享暦で、日本人の手で作られた太陰太陽暦だった。その後、天文方に任ぜられ、姓を祖先の氏に改めて、渋川春海と称した。
中国伝来の数学より発達した日本独自の数学(和算)は西欧数学の水準まで高められた。日本へ数学が中国から伝えられたのは6世紀中頃といわれる。戦国時代から江戸初期にかけて築城、土木工事、検地や外国貿易と関運して計算の必要性が増大し、日本の数学は発達し始めた。江戸初期には高次方程式を解く、元・明数学の天元術が普及した。


>貞享暦(じょうきょうれき)とは、かつて日本で使われていた太陰太陽暦の暦法である。初めて日本人の手によって編纂された和暦である。
渋川春海の手によって完成したもので、貞享元年(1684年)に採用が決定した。翌貞享二年(1685年)から使用され、70年間使用された後、宝暦五年(1755年)に宝暦暦に改暦された。
渋川春海は、中国の授時暦を元に自ら観測して求めた日本と中国との里差(経度差)を加味して、日本独自の暦法を完成させ、大和暦(やまとれき)と命名した。当時使われていた宣明暦は、800年以上もの長きに亙って使われたため誤差が蓄積し、実際の天行よりも2日先行していた。朝廷は、当時明で使われていた大統暦に改暦する予定であったが、渋川春海が採用を願い出た大和暦を採用することとし、当時の元号から「貞享暦」と命名した。渋川春海はこの功により、新設の幕府天文方に任命された。
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