Re: 世界で約50の科学発明
投稿者: elgfaret 投稿日時: 2007/05/29 14:50 投稿番号: [42877 / 85019]
>>>最新の授時暦を伝授
この渋川の暦づくりに大きな影響を与えたのが、朝鮮通信使の一員として来日した暦学者であることはあまり知られていない。渋川は若い頃、岡野井玄貞という人物から暦法や天文学を学んだが、岡野井は1643年に来日した朝鮮通信使の製述官であった朴安期(容螺山)と親交があり、最新の暦法である授時暦を伝授された。渋川の貞享暦はその授時暦が基礎となっている。
授時暦は天体の動きとの誤差が少なく、当時としては精緻なものだった。授時暦は韓国では世宗大王のときすでに施行され、『世宗実録』の付録『七政算内篇』という書物にその暦法がまとめられている。おそらくその複製が朴安期から岡野井に伝えられ、天才との呼び声が高かった渋川がその内容をさらに吟味して、新たな暦作りへとつながったのであろう。
書物の形で授時暦を日本に伝えているものは『七政算内篇』しかなく、接点は朝鮮通信使以外には考えられない。世宗大王の時代、ハングル創成を始め、文化、芸術、科学技術、天文など様々な分野の学問が一斉に花開いたが、様々な精巧な時計や世界初の雨量計が発明されるなど、気象、天文、宇宙論など科学分野とそれらの基礎となる数学がそのとき一挙に発達したことが知られている。
朝鮮朝では、いわばソフトである暦や天文学と、ハードである時計や雨量計が同時に進化していたのである。日本では江戸時代初期から西洋式のぜんまい時計があり、ハード面は備わっていたものの、ソフトである暦が追いついていなかった。
授時暦の解説書である『七政算内篇』とは別に、天文学や宇宙論を記述した『七政算外篇』も存在し、それも渋川に伝えられた可能性が高い。渋川は当時としては非常にユニークな宇宙論を発表しており、世宗大王時代に発展した科学分野の成果が、岡野井や渋川を通して江戸時代の日本に伝えられたことは間違いないだろう。幕末までにさらに三度も暦法が改められるが、どれも貞享暦を基礎として流行の西洋天文学の成果を加味したものである。古代から幕末まで、日本で新たな暦法が施行される時、その時代の最新暦を日本に伝えた韓国暦学者の役割には大きなものがあった。
(2004.6.30 民団新聞)
あともちろんハングル文字でしょうね
この渋川の暦づくりに大きな影響を与えたのが、朝鮮通信使の一員として来日した暦学者であることはあまり知られていない。渋川は若い頃、岡野井玄貞という人物から暦法や天文学を学んだが、岡野井は1643年に来日した朝鮮通信使の製述官であった朴安期(容螺山)と親交があり、最新の暦法である授時暦を伝授された。渋川の貞享暦はその授時暦が基礎となっている。
授時暦は天体の動きとの誤差が少なく、当時としては精緻なものだった。授時暦は韓国では世宗大王のときすでに施行され、『世宗実録』の付録『七政算内篇』という書物にその暦法がまとめられている。おそらくその複製が朴安期から岡野井に伝えられ、天才との呼び声が高かった渋川がその内容をさらに吟味して、新たな暦作りへとつながったのであろう。
書物の形で授時暦を日本に伝えているものは『七政算内篇』しかなく、接点は朝鮮通信使以外には考えられない。世宗大王の時代、ハングル創成を始め、文化、芸術、科学技術、天文など様々な分野の学問が一斉に花開いたが、様々な精巧な時計や世界初の雨量計が発明されるなど、気象、天文、宇宙論など科学分野とそれらの基礎となる数学がそのとき一挙に発達したことが知られている。
朝鮮朝では、いわばソフトである暦や天文学と、ハードである時計や雨量計が同時に進化していたのである。日本では江戸時代初期から西洋式のぜんまい時計があり、ハード面は備わっていたものの、ソフトである暦が追いついていなかった。
授時暦の解説書である『七政算内篇』とは別に、天文学や宇宙論を記述した『七政算外篇』も存在し、それも渋川に伝えられた可能性が高い。渋川は当時としては非常にユニークな宇宙論を発表しており、世宗大王時代に発展した科学分野の成果が、岡野井や渋川を通して江戸時代の日本に伝えられたことは間違いないだろう。幕末までにさらに三度も暦法が改められるが、どれも貞享暦を基礎として流行の西洋天文学の成果を加味したものである。古代から幕末まで、日本で新たな暦法が施行される時、その時代の最新暦を日本に伝えた韓国暦学者の役割には大きなものがあった。
(2004.6.30 民団新聞)
あともちろんハングル文字でしょうね
これは メッセージ 42873 (nimokichi999 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/552019565/4z9q_1/42877.html