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Re: 帰化人は今の朝鮮人とは何の関係もない

投稿者: nayamimuyou200610 投稿日時: 2007/04/17 19:27 投稿番号: [39076 / 85019]
>(現満州地区にいた)扶余の東明王の後裔である扶余王尉仇台が高句麗に国を滅ぼされ、百の家族を伴って済海(海を渡る)し、帯方郡の地に国を建てた。それが「百済(伯済)」の語源となった。元の国は高句麗内にあったというが、かつての扶余のことであろう。

仇台が建国した仇台国(百済)は遼東半島の遼西・晋平二郡(現在の中国遼寧省海城市以南から河北省ロ龍県の間)。二代簡位居が無嫡子だった為、後継として諸加(重臣)が庶子の麻余(190〜234)を3代王として推したが、台頭してきた魏に、遼東半島から瀋陽以北東扶余奥深くまで追い出され、麻余は自決し仇台国が滅亡した。
諸加らが麻余の遺児依慮を立て、国の復興を魏の斉王に嘆願し、麻余の遺児で6歳の4代依慮(234〜286)が、魏の斉王の取り成しで、240年、高句麗から東扶余の一部を割譲され、火列国(石炭の産地であった。払涅国ともいう。)を興したが、鮮卑慕容マに攻められ依慮は東遼河から海に逃れたが、行方不明となり火列国は滅亡した。(入水死説と日本に逃亡説の二説あり。)
その後、西晋の庇護の下で、288年に5代依羅が吉林省に依羅国を建国したが、またもや前燕始祖慕容マに攻められ290年滅亡した。この時点で扶余百済は歴史から消滅する。

始祖仇台と簡位居は明らかに後漢の人物であるが、百済と高句麗との同祖説が根強く残っているので、二代簡位居の死後、重臣が共立した三代麻余が、高句麗王系の人物であった可能性がある。高句麗本紀に三代王である大武神王の重臣に仇都(大臣)の記述が残っている。

※三国志夫餘傳:尉仇台死、簡位居立。無嫡子、有[冠薛脚子]子麻余。位居死、諸加共立麻余。
(尉仇台が死し、簡位居が立った。嫡子は無く、[薛/子]子(庶子)の麻余があり、位居が死すと、諸加(重臣)は共に麻余を立てた。)
※三国志高句麗傳:伯固死、有二子。長子拔奇、小子伊夷模。拔奇不肖、國人便共立伊夷模爲王。
(伯固が死して、二子があった。長子は拔奇、小子は伊夷模。拔奇は不肖にして、國人は便ち共に伊夷模を立てて王と為した。)
※其国本亦以男子為王住七八十年倭国乱相攻伐歴年乃共立一女子為王名曰卑弥呼
(其国ではもともと70−80年男王がいたが、倭国と攻撃しあう年が経つばかりだった。 そこで一人の女性を共立して王とした。名を卑弥呼という。)
いずれも、共立が[薛/子]子・小子という非嫡子の即位に際して用いられている。卑彌呼は「女子」であるので、嫡子ではない。これは、「共立」が非嫡子の相続において定型的に用いられる表現であることを示唆しているのではないか。

朝鮮半島に進出した子孫の近肖古王(在位346〜375)については前に投稿したので割愛する。
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