(7)教育文化政策
投稿者: foryoufor 投稿日時: 2004/10/31 00:03 投稿番号: [3779 / 85019]
すでに植民地であり日本の領土であった朝鮮や台湾ほどには徹底していなかったが、それら植民地と同じような皇民化政策が東南アジア各地の占領地においてもおこなわれた。シンガポールでは、日本軍占領時代(昭南時代)の祝祭日として2月11日紀元節、2月15日マレー新生記念日(シンガポール陥落の日)、3月10日陸軍記念日、4月3日神武天皇祭、4月10日靖国神社例祭、5月27日海軍記念日、11月3日明治節、12月8日大東亜聖戦記念日など、天皇にちなんだ日本の祝日や戦争に関わる日が記念日として導入された。学校での日の丸掲揚、君が代斉唱、宮城遥拝、教育勅語の奉読などもおこなわれた。学校で日本語が教えられただけでなく、一般住民に対しても日本語が奨励された。シンガポールの日本軍の宣伝班の発行した新聞『建設戦』(1942年4月29日)は「日本語普及運動宣言」と題して、マラヤとスマトラの住民に対して、「軍司令官閣下の談話に示された通り、両地区の住民は悉く、天皇陛下の赤子に加えられたのである。大日本帝国の有り難き国体を彼等住民に理解させることは、新領土に駐屯する全皇軍兵士にとって尊き責務である。そのためには、まず国民たるの資格として、彼等に日本語を学ばしめ日本語を使わせなければならない。(中略)国旗のひらめく所、言葉もまた日本語に満ち溢れなければならなぬ。かくして馬来もスマトラ島も真底から日本の一角となるのである」と呼びかけている(桜本富雄『シンガポールは陥落せり』青木書店)。ここには人々の独自の文化や言語を尊重しようとする発想はまったくなかった。
ただ長年にわたって植民地支配を行なってきた朝鮮や台湾と違って、日本語を公用語として強制することまではできなかった。マラヤでは、1943年11月「敵性国語駆逐」を実行するとして、軍政組織が使う言葉を43年6月までに日本語のみにすることを決めた。しかし住民が日本語の読み書きをほとんどできないのに日本語しか認めないと行政ができないとの声が軍政担当者からもあがり、結局うやむやになった。
現在でも戦時中に小学校教育をうけた人のなかには、唱歌を歌える人がよくいる。日本語として覚えられている言葉は「バカヤロウ」や「ケンペイ」という言葉である。大量の労務者が動員されたインドネシアでは「ロウムシャ」という言葉が今も残っている。こうした言葉ばかりが残っているところに当時の日本軍と地元住民との関係が示されている
ただ長年にわたって植民地支配を行なってきた朝鮮や台湾と違って、日本語を公用語として強制することまではできなかった。マラヤでは、1943年11月「敵性国語駆逐」を実行するとして、軍政組織が使う言葉を43年6月までに日本語のみにすることを決めた。しかし住民が日本語の読み書きをほとんどできないのに日本語しか認めないと行政ができないとの声が軍政担当者からもあがり、結局うやむやになった。
現在でも戦時中に小学校教育をうけた人のなかには、唱歌を歌える人がよくいる。日本語として覚えられている言葉は「バカヤロウ」や「ケンペイ」という言葉である。大量の労務者が動員されたインドネシアでは「ロウムシャ」という言葉が今も残っている。こうした言葉ばかりが残っているところに当時の日本軍と地元住民との関係が示されている
これは メッセージ 1 (topics_editor さん)への返信です.
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