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(6)領土拡張と大東亜会議-1

投稿者: foryoufor 投稿日時: 2004/10/31 00:00 投稿番号: [3777 / 85019]
日本軍が占領した地域を日本の領土にしてしまうのか、それとも独立させるのか、それは日本の戦争目的に直接関わる、きわめて大きな問題であった。

シンガポール占領前日の1942年2月14日大本営政府連絡会議はシンガポールを昭南島に改称することを決定し17日に発表した。これはシンガポールを日本の領土とすることの意思表示とも見なされうるものだが、将来の帰属についてしばらくは公にはされなかった。

1943年1月14日大本営政府連絡会議は「占領地帰属腹案」を決定した。このなかで「大東亜防衛ノ為帝国ニ於テ確保スルヲ要スルヲ必要トスル要衝並ニ人口稀薄ナル地域及独立ノ能力乏シキ地域ニシテ帝国領土ト為スヲ適当ト認ムル地域ハ之ヲ帝国領土ト」すること、「従来ノ政治的経緯等ニ鑑ミ之ヲ独立セシムルコトヲ許容スルヲ大東亜戦争遂行並ニ大東亜建設上得策ト認ムル地域ハ之を独立セシム」ことという「基準」を定めた。そして後者の「基準」によりビルマとフィリピンに独立を与えることとし、その他の地域については「追テ定ム」と決定を留保した。

ビルマに関しては、すでに1937年にイギリスがビルマをインドから分離し、ビルマ人の自治政府を組織させていたこと、日本軍のビルマ進攻にあたって、民族運動家に独立の約束をしてビルマ独立義勇軍を組織させて日本軍に協力させたにもかかわらず、占領後はその約束を反故にして軍政をしいたが、連合軍の反攻に備えて彼らの協力が再び必要になったことなどの事情が背景にあった。フィリピンについては、1934年アメリカは10年間の準備期間をおいてフィリピンの独立を与えることを決定した。これに基づいて憲法が制定され、総選挙を経て1935年フィリピン・コモンウェルス政府が発足し、1946年には独立することになっていた。ここに日本軍が入ってきたので、建前上、独立を認めざるをえなかった。

しかしこの独立は実質的には「独立」の名に値しないものであった。ビルマに対しては、 軍事的には「帝国トノ間ニ共同防衛ヲ約セシメ兵力ノ駐屯、軍事基地使用及設定等ヲ認メシメ特ニ軍事的結合ヲ鞏固ナラシム」、「外交」では「緊密提携」、「経済」では「緊密協力」を「約セシム」ことを条件とし、フィリピンに対してもほぼ同様の条件を規定している。この内容は言い換えると外交・経済は実質的に日本が掌握し、軍事的にもフリーハンドを確保しようとするものであった。

1943年2月1日の衆議院秘密会において南方の軍政状況を説明した佐藤賢了陸軍少将は「行政府ヲ軍政監部ノ下部機関トシテ置イテ居ラウガ、コレヲ奉ツテ独立政府ト致シマセウガ、実際ニ於テ大シタ変リハナイ―――ト云フト具合ガ悪イノデアリマスルガ、率直ニ申シマストサウデアリマス」と述べている。要するに「独立」しても軍政下にあるのと変わらないということであり、このような条件下ではとうてい「独立国」といえるようなものではなかった。
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