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(5)民族対策と民族主義-2

投稿者: foryoufor 投稿日時: 2004/10/30 23:14 投稿番号: [3776 / 85019]
一方、マレー人に対してはどうだったのか。すでに開戦前に日本は急進的な青年らによる民族運動であるマレー青年連盟(代表イブラヒム・ヤコブ)と接触して反英宣伝のために資金を提供し、開戦後はマレー進攻作戦のなかで、政治工作を担当した藤原機関がかれらと接触、マレー人に対する宣伝工作などをおこなわせて日本軍に協力させた。こうしたなかで青年連盟の幹部らは「マラヤ共和国」の樹立を提案したが日本軍に拒否され、さらに民族運動を行なう政治結社として認めることを求めたが日本軍は文化団体としてのみ認めた。日本軍のそうした姿勢にもかかわらずマレー青年連盟は各地で急速に勢力を伸ばし、戦前は200〜300人程度しかいなかったのが、日本軍のマラヤ占領後二カ月で1万人を越えるに至った。ところが日本軍は1942年6月青年連盟を解散させた。日本軍はマレー作戦を有利にするために青年連盟を利用したが民族運動としてさえも認めず、勢力が拡大するとそれを危険視して解散させてしまった。ここに東南アジア支配の拠点であるマラヤでの民族運動に対する日本軍の姿勢がはっきり示されている。

その後、戦局が日本軍に不利になってきた1943年12月、日本軍を補うためにマレー人を組織して義勇軍と義勇隊を編成した。この時、青年連盟の代表であったイブラヒムを義勇軍の指揮官に就任させた。しかしイブラヒムなどの青年連盟の幹部たちは密かに各地の抗日ゲリラと連絡をとり、さらにイギリス軍がインドから送り込んできた136部隊とも連絡をとって、連合軍がマラヤに進攻してきたときに内部から呼応して日本軍と戦う準備をおこなっていた。かれらは裏切った日本軍をけっして信用しなかったのである。

こうしたことは東南アジア各地でも見られた。

ビルマでは、民族主義団体のタキン党(主人を意味する)が第二次世界大戦が始まるとイギリスへの協力を拒否して弾圧されていた。日本軍の謀略機関だった南機関はタキン党の活動家30人を脱出させ海南島で軍事訓練をおこないビルマ独立義勇軍を編成させた。南機関はビルマを独立させると約束してかれらを日本軍に協力させ、日本軍とともにビルマに進攻させた。ところがビルマを担当した第15軍の「占領地統治要綱」(1942年3月15日)では、「緬甸ニハ将来独立政権ノ樹立ヲ考慮セラルルモ之ガ実行ハ差シ当リ大東亜戦争終了後ト予想ス 従ヒテ将来ニ対スルノ処理ニ関シテ当分之ニ触レザルモノトス」というように「独立」問題を戦争終了後に先送りし、差当りは独立の言質を与えないという方針をとった。こうしてビルマを占領した日本軍は独立を与える約束を反故にし、軍政を開始するとともに、2万人以上になっていた独立義勇軍を解散させ、3千人ほどのビルマ防衛軍に縮小改編させた。

1943年8月日本はビルマに独立を与えたが、首相にはタキン党から登用せず、タキンの指導者アウンサンは国防相になった。アウンサンは地下で抗日活動をおこなうグループと連絡をとり、44年8月ビルマ国軍、共産党、人民革命党などとともにファシスト打倒連盟(のちに反ファシスト人民自由連盟パサパラ)を組織した。そして翌45年3月連合軍がインドからビルマに進撃してくると、それを迎え撃つという名目でラングーンを出撃した後、反転して連合軍とともに日本軍を攻撃、5月にはビルマ国軍の手で首都ラングーンを日本軍から奪い返した。

日本軍はビルマ進攻にあたって、民族主義運動を利用したが、勝利を得ると途端に約束を反故にした。後に彼らに頼らざるをえなくなり再度登用するが、彼らはもはや日本軍を信用することはなかった。
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