Re: MagicDragonさんへ。英語教育について
投稿者: MagicDragon 投稿日時: 2007/01/31 10:22 投稿番号: [33627 / 85019]
>憧れや劣等感というのは…?日本人であることに誇りを持っていれば、変に萎縮しないと思います。
その通り。白人、特にアメリカ人に萎縮するのは戦後の成り行きから見れば仕方の無い一面ではあるが、相手を自分の心の中で実態よりも大きく捉える必要がなければ萎縮することもない。昨日NHKの国際放送を観ていて日本人記者達が白人のテニスプレーヤー達にペコペコして必要以上に媚びているのを見て残念に思った。相手は10代の女の子だが、日本人があまりにもペコペコするものだから相手は態度が尊大になっていた。日本の人に覚えていてもらいたいのは、いくら相手が白人で英語を喋っていようと立場的には対等であるということだ。こちらが下手に出れば向こうは尊大になる。CNNなどの外国の報道番組を観れば分かると思うが、記者も取材を受ける大物も「対等の立場」に立って堂々と話しているはずだ。
人間関係というのは最初の1分で「力関係」が決定される。そしてその力関係は一度形成されると覆すのが大変難しい。相手に必要以上にペコペコしたり沈黙したりすれば、そういう関係が固定化されバカにされる。これは国際関係においても当てはまる。日本の「だんまり」の戦後外交政策が中韓の尊大な態度を育てた。この責任は日本にもある。
貴殿の言う通り自分に本当に自信があれば相手に萎縮することなど有り得ない。誇りを持つには自信を持たなければならない。自信を持つためには自信を持つ為の教育が必要だ。しかし今の日本の教育ではそういう人間を育むのは難しい。国旗を掲げるだけで右翼呼ばわりされるような国は国際的視点から見れば全く異常で、尋常ではない。
>留学のよさは、ご指摘の通りですが、他に、自分が日本人であるという自我が芽生えるという側面もあるのではないでしょうか。それが、結果として西洋人に対し、対等という意識の萌芽にもなると。
それは全くおっしゃる通り。日本人が思っている以上に外国人は日本の「古き良き」文化に憧れを持っている。外国に出ている日本人ほど「古風」であり、実に日本人らしい。日本に住んでいると日本の良き部分が見えにくい。外国に出ることで初めて見えるものが非常に多いのだ。日本人が日本人として誇りを持つには、外国に出て日本を見つめなおすのが一番手っ取り早い。
>(ディベートは)「慣れ」。そうですね。揉まれる事によって成長するというのは理解できます。あと、もう一つ、ディベートに不可欠なのは、日本語英語問わず、正しい言葉遣いによる文章表現力と構成力だと思います。意識の歪みは言葉の誤用から始まると思っておりますから。
ディベートはスキルだ。どんなスキルにも知識と経験、そして準備が必要。ディベートと囲碁や将棋はよく似ている。相手の次の一手を予測しながら言葉を選び、戦略を立てるのだ。私は大学で政治学を専攻したが、その時代アメリカは対日貿易赤字に悩みジャパンバッシング全盛の時代だった。その時代にアメリカ人相手にクラスで一人奮闘したのを覚えている。その時代にディベートの毎日を過ごしたのは私にとって幸運だった。ディベートを通じて学んだことは、情報が少ない人間ほど安易に結論に達しやすく、情報を多く持ち客観性を持つ人間ほど安易に物事を決め付けない、ということだ。この世には様々な考え方や状況、条件、背景があり、立場によって物事の捉え方や考え方は変わってくる。物事を正確に「判断」するには情報は多ければ多いほど良い。
>以後は本論と離れますが、今より30年ほど前、『英語教育論争』が、渡部昇一・上智大学教授と、自民党代議士・平泉渉氏の間で繰り広げられました。主張は前者が「国民全てが英語を勉強して当然」。後者が「生まれながらに頭のいい10%位の国民が英語を勉強すべし」でした。前のレスで書いたように、今の世の中、渡部氏の意見が正しいような気がしますが、平泉氏の言い分も理解できます。
両者の言いたい事は理解できる。情報と人の流れが活発なこの時代、英語ができないというのはそれだけで相当なハンデだという事をこれからの日本人には理解してもらいたい。会社も人だが国も人だ。国を構成するひとつひとつの単位が人だ。その日本人が日本を理解せず日本を愛せないとしたら、日本に明るい未来はない。
その通り。白人、特にアメリカ人に萎縮するのは戦後の成り行きから見れば仕方の無い一面ではあるが、相手を自分の心の中で実態よりも大きく捉える必要がなければ萎縮することもない。昨日NHKの国際放送を観ていて日本人記者達が白人のテニスプレーヤー達にペコペコして必要以上に媚びているのを見て残念に思った。相手は10代の女の子だが、日本人があまりにもペコペコするものだから相手は態度が尊大になっていた。日本の人に覚えていてもらいたいのは、いくら相手が白人で英語を喋っていようと立場的には対等であるということだ。こちらが下手に出れば向こうは尊大になる。CNNなどの外国の報道番組を観れば分かると思うが、記者も取材を受ける大物も「対等の立場」に立って堂々と話しているはずだ。
人間関係というのは最初の1分で「力関係」が決定される。そしてその力関係は一度形成されると覆すのが大変難しい。相手に必要以上にペコペコしたり沈黙したりすれば、そういう関係が固定化されバカにされる。これは国際関係においても当てはまる。日本の「だんまり」の戦後外交政策が中韓の尊大な態度を育てた。この責任は日本にもある。
貴殿の言う通り自分に本当に自信があれば相手に萎縮することなど有り得ない。誇りを持つには自信を持たなければならない。自信を持つためには自信を持つ為の教育が必要だ。しかし今の日本の教育ではそういう人間を育むのは難しい。国旗を掲げるだけで右翼呼ばわりされるような国は国際的視点から見れば全く異常で、尋常ではない。
>留学のよさは、ご指摘の通りですが、他に、自分が日本人であるという自我が芽生えるという側面もあるのではないでしょうか。それが、結果として西洋人に対し、対等という意識の萌芽にもなると。
それは全くおっしゃる通り。日本人が思っている以上に外国人は日本の「古き良き」文化に憧れを持っている。外国に出ている日本人ほど「古風」であり、実に日本人らしい。日本に住んでいると日本の良き部分が見えにくい。外国に出ることで初めて見えるものが非常に多いのだ。日本人が日本人として誇りを持つには、外国に出て日本を見つめなおすのが一番手っ取り早い。
>(ディベートは)「慣れ」。そうですね。揉まれる事によって成長するというのは理解できます。あと、もう一つ、ディベートに不可欠なのは、日本語英語問わず、正しい言葉遣いによる文章表現力と構成力だと思います。意識の歪みは言葉の誤用から始まると思っておりますから。
ディベートはスキルだ。どんなスキルにも知識と経験、そして準備が必要。ディベートと囲碁や将棋はよく似ている。相手の次の一手を予測しながら言葉を選び、戦略を立てるのだ。私は大学で政治学を専攻したが、その時代アメリカは対日貿易赤字に悩みジャパンバッシング全盛の時代だった。その時代にアメリカ人相手にクラスで一人奮闘したのを覚えている。その時代にディベートの毎日を過ごしたのは私にとって幸運だった。ディベートを通じて学んだことは、情報が少ない人間ほど安易に結論に達しやすく、情報を多く持ち客観性を持つ人間ほど安易に物事を決め付けない、ということだ。この世には様々な考え方や状況、条件、背景があり、立場によって物事の捉え方や考え方は変わってくる。物事を正確に「判断」するには情報は多ければ多いほど良い。
>以後は本論と離れますが、今より30年ほど前、『英語教育論争』が、渡部昇一・上智大学教授と、自民党代議士・平泉渉氏の間で繰り広げられました。主張は前者が「国民全てが英語を勉強して当然」。後者が「生まれながらに頭のいい10%位の国民が英語を勉強すべし」でした。前のレスで書いたように、今の世の中、渡部氏の意見が正しいような気がしますが、平泉氏の言い分も理解できます。
両者の言いたい事は理解できる。情報と人の流れが活発なこの時代、英語ができないというのはそれだけで相当なハンデだという事をこれからの日本人には理解してもらいたい。会社も人だが国も人だ。国を構成するひとつひとつの単位が人だ。その日本人が日本を理解せず日本を愛せないとしたら、日本に明るい未来はない。
これは メッセージ 33603 (chonmage_johney さん)への返信です.
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