論点ずらしとキセル
投稿者: chonmage_johney 投稿日時: 2006/12/20 18:46 投稿番号: [31066 / 85019]
今晩、有明のリングに、現在日本で一番有名かつ良くも悪くも人気のあるプロボクサーが上がります。
昨今、団体が乱立し、階級が細分化されたとはいえ、彼はWBAという統括団体が認定するライトフライ級のチャンピオン。すなわち“世界一”です。五輪で譬えるなら、表彰台の一番上に存在するもんでしょう。
ここで、物凄く素朴な疑問が湧きます。
ついせんだってまで、銀盤の上を舞っていた女性たちには、条件反射的に『認定』をしたのに、何故、少なくとも8月の戴冠劇前まで、彼女たちよりもメディアが取り上げる機会の多かった彼は認定しない。またはしなかったのでしょうか。少なくても、このトピでは私が記憶する限り、なされておりません。
いつもいつも、そういう作業をすると、「またか」と思われるから、申し訳程度の奥ゆかしさでも見せているつもりなんでしょうか。可能性は低いと思いますが。
まさか、画面や紙面から伝わる彼の品の無さゆえか。それとも、8月の試合が何かと問題があったため、躊躇しているんでしょうか。それとも、今夜の結果待ち?
ま、有名人にすぐ集るのは、ある意味、田舎モン根性丸出しだと思いますがね。
いずれにせよ、人や結果を見てから判断をするのは、あなた方がもっとも嫌っているはずの差別なのではないでしょうか。そして、自分たちならば、差別をしていいというのならば、その根拠は何か。
ということで、次はルーツ論に参ります。
どうも、何かしらのルーツを日本に有しているということが、ある種の特権意識を担保しているように見受けられますが、
例えば
飲酒運転で人を跳ね飛ばしたとします。この場合、ルーツ論を用いれば、以下のように屁理屈をつけられます。
「オレは飲んだけど、酒を出した店が悪い。そして、その酒を製造した会社が悪い。米・麦・ホップ等、その酒の原料を栽培した農家が悪い。その農家に種を売った業者等が悪い。そもそも、そんな人を酔わせるようなものを発明した人物が悪い。そうだ、一番悪いのはそいつだ」
という理屈を被害者サイドが呑み、発明者またはその相続人などに損害賠償をするということはあり得ません。
このように、際限なく遡及するルーツ論は、誰にも相手にされないような、もの凄く醜い自己正当化の方便に化けることすらあります。というか、この割合のほうが圧倒的に多いでしょう。
こういうリスクを常に背負っているということが判っているんでしょうか。
というか、このような『キセル論法』から、いい加減脱却したらどうか。何やら、麻薬のような常習性があるように思えます(ということは「やめらんねぇ」ってか)。
自分だけには、そんなものは無いと言い切れるのなら、その根拠は何か。具体的に提示していただきたい。
で、最後に、例の京都府の神社の件ですが、
コトの本質は、韓国人の違法行為等です。それ以上でもそれ以下でもありません。敢えて、ルーツ論をするなとは申しませんが、今回の事例で、その話題をするのは悪質な論点ずらしであり、間接的、消極的とは言え、彼らの行為を認めていることになります。
連中の正当性を訴えたいのならば、一にも二にも、関連する法のもと、正当な手続きをもって行った。ということを主張するのがスジです。
人治国家なら、いさ知らず、日本は法治国家です。
私の知る限り、例えば、「日本人が有する不動産等は、そのルーツであるコリアンに引き渡す義務がある」という条文は見たことも聞いたこともありませんし、そういった類をまとめた法律もまた然りです。民法あたりのいかなる条文でも、類推解釈で、そこに持っていくことはできません。
日本の法など在日には関係無いとは言わせません。
少なからず、恩恵に与っているはずです。
昨今、団体が乱立し、階級が細分化されたとはいえ、彼はWBAという統括団体が認定するライトフライ級のチャンピオン。すなわち“世界一”です。五輪で譬えるなら、表彰台の一番上に存在するもんでしょう。
ここで、物凄く素朴な疑問が湧きます。
ついせんだってまで、銀盤の上を舞っていた女性たちには、条件反射的に『認定』をしたのに、何故、少なくとも8月の戴冠劇前まで、彼女たちよりもメディアが取り上げる機会の多かった彼は認定しない。またはしなかったのでしょうか。少なくても、このトピでは私が記憶する限り、なされておりません。
いつもいつも、そういう作業をすると、「またか」と思われるから、申し訳程度の奥ゆかしさでも見せているつもりなんでしょうか。可能性は低いと思いますが。
まさか、画面や紙面から伝わる彼の品の無さゆえか。それとも、8月の試合が何かと問題があったため、躊躇しているんでしょうか。それとも、今夜の結果待ち?
ま、有名人にすぐ集るのは、ある意味、田舎モン根性丸出しだと思いますがね。
いずれにせよ、人や結果を見てから判断をするのは、あなた方がもっとも嫌っているはずの差別なのではないでしょうか。そして、自分たちならば、差別をしていいというのならば、その根拠は何か。
ということで、次はルーツ論に参ります。
どうも、何かしらのルーツを日本に有しているということが、ある種の特権意識を担保しているように見受けられますが、
例えば
飲酒運転で人を跳ね飛ばしたとします。この場合、ルーツ論を用いれば、以下のように屁理屈をつけられます。
「オレは飲んだけど、酒を出した店が悪い。そして、その酒を製造した会社が悪い。米・麦・ホップ等、その酒の原料を栽培した農家が悪い。その農家に種を売った業者等が悪い。そもそも、そんな人を酔わせるようなものを発明した人物が悪い。そうだ、一番悪いのはそいつだ」
という理屈を被害者サイドが呑み、発明者またはその相続人などに損害賠償をするということはあり得ません。
このように、際限なく遡及するルーツ論は、誰にも相手にされないような、もの凄く醜い自己正当化の方便に化けることすらあります。というか、この割合のほうが圧倒的に多いでしょう。
こういうリスクを常に背負っているということが判っているんでしょうか。
というか、このような『キセル論法』から、いい加減脱却したらどうか。何やら、麻薬のような常習性があるように思えます(ということは「やめらんねぇ」ってか)。
自分だけには、そんなものは無いと言い切れるのなら、その根拠は何か。具体的に提示していただきたい。
で、最後に、例の京都府の神社の件ですが、
コトの本質は、韓国人の違法行為等です。それ以上でもそれ以下でもありません。敢えて、ルーツ論をするなとは申しませんが、今回の事例で、その話題をするのは悪質な論点ずらしであり、間接的、消極的とは言え、彼らの行為を認めていることになります。
連中の正当性を訴えたいのならば、一にも二にも、関連する法のもと、正当な手続きをもって行った。ということを主張するのがスジです。
人治国家なら、いさ知らず、日本は法治国家です。
私の知る限り、例えば、「日本人が有する不動産等は、そのルーツであるコリアンに引き渡す義務がある」という条文は見たことも聞いたこともありませんし、そういった類をまとめた法律もまた然りです。民法あたりのいかなる条文でも、類推解釈で、そこに持っていくことはできません。
日本の法など在日には関係無いとは言わせません。
少なからず、恩恵に与っているはずです。
これは メッセージ 1 (topics_editor さん)への返信です.
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