Re: 独島は韓国固有の領土ですと(続き)
投稿者: punzen_fun 投稿日時: 2006/05/09 15:03 投稿番号: [24381 / 85019]
>?1905年以前の明治政府の認識
明治政府は成立早々の1869年、内情調査のため左田白芽ら三人の
外務官僚を朝鮮へ派遣した。
翌年、左田は報告書『朝鮮国交際始末 内探書』を作成。
そこには明確に
「松島は竹島の属島であり、朝鮮に附属することにあい成り候」
と記された。
<
この件は今まで何度も論破されているんじゃないの。
いつまでも身勝手な解釈をしていないで、国際司法裁判所へ出てきたらどうかな。
反証例 参考までに
http://toron.pepper.jp/jp/take/hennyu/sada.html
抜粋
ここで、示されている松島及び竹島について検証する。
佐田白茅は、この報告の表題で、
竹島(松島)と松島が朝鮮の付属になったとしている。
しかし、その説明は正確さを欠いている。
竹島については、「竹木又は竹より太い・・・・」の記述より、現・鬱陵島を示すのは疑いの余地がない。
松島については、
「松島は、竹島の隣島・・・。これまで掲載した書類もない」と書いている。
100km近く離れている現竹島を「隣島」と表記するはずがない。
確かに「松島」は現・竹島の古名である。
しかし、不可解なのは、今日の竹島が朝鮮領となった歴史事実はない。
領土争いになったこともない。
何故、記したのであろうか?
佐田白茅が1870年の時点で、
今日の竹島を「朝鮮の付属に相成り候」と記していたなら、
朝鮮政府も当然、そのように認識していたはずである。
ところが、李奎遠が鬱陵島調査を行った1882年5月の時点でも、
朝鮮側が鬱陵島の属島と認識していたのは傍らにある小島(竹嶼)までであり、
今日の竹島には、その存在すら気づいていなかった。
それに、この報告の松島が今日の竹島であったとするならば、
佐田白茅が「是迄掲載セシ書留モ無之」と記述するはずがない。
なぜなら、今日の竹島を指す松島については「是迄掲載セシ書留」が、いくらでも存在しているからである。
また、勝海舟が1867年に編纂した「大日本国沿海略図」により
現竹島を「リエンコヲルトロツク」と表記しており、後半部分の記述と矛盾する。
つまりここの松島は「現竹嶼」あるいは「松島・ホウリルロック」だと考えられる。
また、鬱陵島を「竹島」とした理由は、佐田白茅が「大日本国沿海略図」を知っていたからである。
なお、「大日本国沿海略図」では、現鬱陵島を松島と注記している。
(勝が、現鬱陵島を竹島としてしまったのは、シーボルトの地図が原因と推察する)
明治政府は成立早々の1869年、内情調査のため左田白芽ら三人の
外務官僚を朝鮮へ派遣した。
翌年、左田は報告書『朝鮮国交際始末 内探書』を作成。
そこには明確に
「松島は竹島の属島であり、朝鮮に附属することにあい成り候」
と記された。
<
この件は今まで何度も論破されているんじゃないの。
いつまでも身勝手な解釈をしていないで、国際司法裁判所へ出てきたらどうかな。
反証例 参考までに
http://toron.pepper.jp/jp/take/hennyu/sada.html
抜粋
ここで、示されている松島及び竹島について検証する。
佐田白茅は、この報告の表題で、
竹島(松島)と松島が朝鮮の付属になったとしている。
しかし、その説明は正確さを欠いている。
竹島については、「竹木又は竹より太い・・・・」の記述より、現・鬱陵島を示すのは疑いの余地がない。
松島については、
「松島は、竹島の隣島・・・。これまで掲載した書類もない」と書いている。
100km近く離れている現竹島を「隣島」と表記するはずがない。
確かに「松島」は現・竹島の古名である。
しかし、不可解なのは、今日の竹島が朝鮮領となった歴史事実はない。
領土争いになったこともない。
何故、記したのであろうか?
佐田白茅が1870年の時点で、
今日の竹島を「朝鮮の付属に相成り候」と記していたなら、
朝鮮政府も当然、そのように認識していたはずである。
ところが、李奎遠が鬱陵島調査を行った1882年5月の時点でも、
朝鮮側が鬱陵島の属島と認識していたのは傍らにある小島(竹嶼)までであり、
今日の竹島には、その存在すら気づいていなかった。
それに、この報告の松島が今日の竹島であったとするならば、
佐田白茅が「是迄掲載セシ書留モ無之」と記述するはずがない。
なぜなら、今日の竹島を指す松島については「是迄掲載セシ書留」が、いくらでも存在しているからである。
また、勝海舟が1867年に編纂した「大日本国沿海略図」により
現竹島を「リエンコヲルトロツク」と表記しており、後半部分の記述と矛盾する。
つまりここの松島は「現竹嶼」あるいは「松島・ホウリルロック」だと考えられる。
また、鬱陵島を「竹島」とした理由は、佐田白茅が「大日本国沿海略図」を知っていたからである。
なお、「大日本国沿海略図」では、現鬱陵島を松島と注記している。
(勝が、現鬱陵島を竹島としてしまったのは、シーボルトの地図が原因と推察する)
これは メッセージ 24374 (shamisengai さん)への返信です.
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