韓国

Yahoo! Japan 掲示板トピックビューアー

[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | 掲示板表示 | [ メッセージ # ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

Re: 独島は韓国固有の領土・・ 反証

投稿者: punzen_fun 投稿日時: 2006/05/09 14:47 投稿番号: [24380 / 85019]
>?1905年以前の明治政府の認識
  明治政府は成立早々の1869年、内情調査のため左田白芽ら三人の
外務官僚を朝鮮へ派遣した。
  翌年、左田は報告書『朝鮮国交際始末   内探書』を作成。
そこには明確に
「松島は竹島の属島であり、朝鮮に附属することにあい成り候」
と記された。


この件は既に何度も論破されてるんじゃないの。
いつまでも自分勝手な解釈をしてないで、国際司法裁判所へ出てきなよ。

詳しくは
http://toron.pepper.jp/jp/take/hennyu/sada.html

抜粋
「朝鮮国交際始末内探書」(外務省   佐田白茅) 明治3年(1870年)について

--------------------------------------------------------------------------------


明治3年(1870年)
「朝鮮国交際始末内探書」(外務省   佐田白茅)
これは、外務省の佐田白茅が、朝鮮を訪問し、日朝交渉を行った報告書である。
その中に竹島、松島に関する記述がある。

ここで、示されている松島及び竹島について検証する。

佐田白茅は、この報告の表題で、
竹島(松島)と松島が朝鮮の付属になったとしている。
しかし、その説明は正確さを欠いている。


竹島については、「竹木又は竹より太い・・・・」の記述より、現・鬱陵島を示すのは疑いの余地がない。

松島については、
「松島は、竹島の隣島・・・。これまで掲載した書類もない」と書いている。
100km近く離れている現竹島を「隣島」と表記するはずがない。

確かに「松島」は現・竹島の古名である。
しかし、不可解なのは、今日の竹島が朝鮮領となった歴史事実はない。
領土争いになったこともない。
何故、記したのであろうか?

佐田白茅が1870年の時点で、
今日の竹島を「朝鮮の付属に相成り候」と記していたなら、
朝鮮政府も当然、そのように認識していたはずである。

ところが、李奎遠が鬱陵島調査を行った1882年5月の時点でも、
朝鮮側が鬱陵島の属島と認識していたのは傍らにある小島(竹嶼)までであり、
今日の竹島には、その存在すら気づいていなかった。


それに、この報告の松島が今日の竹島であったとするならば、
佐田白茅が「是迄掲載セシ書留モ無之」と記述するはずがない。
なぜなら、今日の竹島を指す松島については「是迄掲載セシ書留」が、いくらでも存在しているからである。


また、勝海舟が1867年に編纂した「大日本国沿海略図」により
現竹島を「リエンコヲルトロツク」と表記しており、後半部分の記述と矛盾する。
つまりここの松島は「現竹嶼」あるいは「松島・ホウリルロック」だと考えられる。

また、鬱陵島を「竹島」とした理由は、佐田白茅が「大日本国沿海略図」を知っていたからである。
なお、「大日本国沿海略図」では、現鬱陵島を松島と注記している。
(勝が、現鬱陵島を竹島としてしまったのは、シーボルトの地図が原因と推察する)

勝海舟「大日本沿海略図」 1867年
この島は「観英国所刻東洋測量図」と注記されているように、当時の新しいヨーロッパの地理的知識を取り入れている。
「松島」「竹島」に関しては、1856年のペリー提督の「日本遠征記」の折り込み図や、1859年及び1868年のジェームス・ワイドの地図などと同系統である。
アルゴノート島、ダジュレー島、リアンクール島に該当する三つの島を載せている。
島名としては、日本の隠岐に近い島がリアンコヲルトロック、次が「松島」、韓国に近いのが「竹島」となっている。
島の配置から見て、その「竹島」というのは後に姿を消すアルゴノート島である。
当時、1840年以降の地図では、現在の竹島(独島)を、島根県が編入されるまで、リアンクールト島やホーネット島と呼んでいた。
[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | 掲示板表示 | [ メッセージ # ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

Yahoo! Japan 掲示板 アーカイヴ

[検索ページ] (中東) (東亜) (捕鯨 / 捕鯨詳細)