もお栃木の恥さらし
投稿者: patariro37 投稿日時: 2005/09/04 02:01 投稿番号: [15896 / 85019]
長いんでいくつかに切って全文乗っけます
日本をよくする小冊子 第一弾
平成17年7月
衆議院議員 船田 元
はじめに
今から10年ほど前、私は『日本をよくする本』という、ちょっと変わった名前の本を出しました。間もなく21世紀を迎える日本が、このまま惰性で過ごしたら、本当にだめになってしまう、何とかしなければ、というのがメインテーマでした。そして日本を救う道として、「自己責任の原則」とか「自律的市民国家の形成」という言葉をキーワードとして、本のあちこちにちりばめました。
それから10年、ようやく日本経済はバブル崩壊の後遺症を脱け出し、かつての巡航速度に戻りつつあります。しかし社会秩序とか人の心の有り様は、かえって悪い方向にむかっていると、だれもが感じています。この間、政界では枠組みをどのようにするか、壮大な社会実験を繰り返し、結局は混沌を残しただけでした。私もこの激流に巻き込まれ、『日本をよくする本』で述べていたような政策を実現し、腰を据えて建て直しをはかる余裕がなかったことを、残念に思うとともに大いに反省しています。
いま日本は、当時と比べても一段と厳しい環境におかれています。そうした中、かつては比較的柔軟だった日本の保守政治に異変が起こっていると感じているのは、私だけではないと思います。国内外のさまざまな問題に対して、とても怒りっぽくなり、こらえ性がなくなってきているのです。典型的な老化現象といってもいいのですが、若い保守政治家にもそれは起こっています。
ここで私は、もう一度『日本をよくする本』の精神をふり返り、硬直した保守政治の危うさに警鐘を鳴らすべきと考え、この小冊子をつくりました。みなさまのご批判をいただければ幸いに存じます。
1.保守政治の右旋回は日本を危うくする
◆こらえ性がなくなりつつある保守政治◆
今年は、戦後60年の節目を迎えます。戦後50年のときは、自社さ連立で社会党党首の村山富一総理でした。またバブル経済の崩壊で日本中がショック状態だったためか、過去の歴史認識について、政府も国民も比較的謙虚な態度でいたようです。新進党に所属していた当時の私ですら、あのときの「村山談話」は戦前の我が国の行為に対して、必要以上に謝罪の意を表したのではないかと危惧していましたが、当時の自民党はいとも簡単に受け入れてしまいました。
にもかかわらず、最近の自民党内の議論に加わっていますと、さまざまな分野で勇ましい議論が次第に顕著になってきました。「村山談話」の受け入れは実は本心ではなく、単に自社さ連立政権維持のためのポーズに過ぎなかったのか、とさえ疑いたくもなります。
私たち政治家は、昨今の治安の悪化や教育力の低下という現実を目の当たりにして、新たな秩序を必死で探し続さなければと、だれもが焦っています。そうした中で、右旋回の議論に安易に飛びつき、自分のぼんやりした考えやアンビバレントな態度に終止符を打って、居場所を早く決めてしまおうという傾向が目立ちます。しかもそれが流行(はやり)のようになってきているので、よけいに心配せざるをえません。
いま私たちのまわりでワークしている図式は、「国家が国民を統制する」という古いものでなく、「国家と国民が役割を分担しあう」という柔軟で多様な関係です。個人の自己責任において、ほとんどのことが処理される時代なのです。ことさらに国家を前面に出して国民をコントロールしたり、国民の心の中に入り込もうとしたりするのは、時計の針を逆に戻す行為です。
一方、東西冷戦という強力な箍(たが)がはずれてから、もう15年あまり経過していますが、それにかわる新しい世界秩序は、残念ながらいまだに構築されていません。しかし少なくともたしかなことは、冷戦後の世界各地で起こった数々の紛争を見ても分かるように、各国が自分の利益やエゴを打ち出しぶつけ合っただけでは、なにも生み出さないばかりか、失うものが大きいという現実です。
ここでもう一度、私たちは日本がたどってきた歴史を冷静に見つめなおす時がきたと思います。もちろん卑屈になる必要はありませんが、有力な政治家がいったからとか、マスコミで報道されたからと、それになびくことだけはやめましょう。自分の頭で善悪を判断し、行動には責任を持つというのが「自律的市民」です。そういう人々の集合体として、「自律的市民国家」が成り立つのです。国家の利益ばかりを強調しようとする硬直した保守政治は、自律的市民国家にとって有害です。みなさんの心の中にも、それぞれ小さな警鐘を持ってもらいたいと思います。
日本をよくする小冊子 第一弾
平成17年7月
衆議院議員 船田 元
はじめに
今から10年ほど前、私は『日本をよくする本』という、ちょっと変わった名前の本を出しました。間もなく21世紀を迎える日本が、このまま惰性で過ごしたら、本当にだめになってしまう、何とかしなければ、というのがメインテーマでした。そして日本を救う道として、「自己責任の原則」とか「自律的市民国家の形成」という言葉をキーワードとして、本のあちこちにちりばめました。
それから10年、ようやく日本経済はバブル崩壊の後遺症を脱け出し、かつての巡航速度に戻りつつあります。しかし社会秩序とか人の心の有り様は、かえって悪い方向にむかっていると、だれもが感じています。この間、政界では枠組みをどのようにするか、壮大な社会実験を繰り返し、結局は混沌を残しただけでした。私もこの激流に巻き込まれ、『日本をよくする本』で述べていたような政策を実現し、腰を据えて建て直しをはかる余裕がなかったことを、残念に思うとともに大いに反省しています。
いま日本は、当時と比べても一段と厳しい環境におかれています。そうした中、かつては比較的柔軟だった日本の保守政治に異変が起こっていると感じているのは、私だけではないと思います。国内外のさまざまな問題に対して、とても怒りっぽくなり、こらえ性がなくなってきているのです。典型的な老化現象といってもいいのですが、若い保守政治家にもそれは起こっています。
ここで私は、もう一度『日本をよくする本』の精神をふり返り、硬直した保守政治の危うさに警鐘を鳴らすべきと考え、この小冊子をつくりました。みなさまのご批判をいただければ幸いに存じます。
1.保守政治の右旋回は日本を危うくする
◆こらえ性がなくなりつつある保守政治◆
今年は、戦後60年の節目を迎えます。戦後50年のときは、自社さ連立で社会党党首の村山富一総理でした。またバブル経済の崩壊で日本中がショック状態だったためか、過去の歴史認識について、政府も国民も比較的謙虚な態度でいたようです。新進党に所属していた当時の私ですら、あのときの「村山談話」は戦前の我が国の行為に対して、必要以上に謝罪の意を表したのではないかと危惧していましたが、当時の自民党はいとも簡単に受け入れてしまいました。
にもかかわらず、最近の自民党内の議論に加わっていますと、さまざまな分野で勇ましい議論が次第に顕著になってきました。「村山談話」の受け入れは実は本心ではなく、単に自社さ連立政権維持のためのポーズに過ぎなかったのか、とさえ疑いたくもなります。
私たち政治家は、昨今の治安の悪化や教育力の低下という現実を目の当たりにして、新たな秩序を必死で探し続さなければと、だれもが焦っています。そうした中で、右旋回の議論に安易に飛びつき、自分のぼんやりした考えやアンビバレントな態度に終止符を打って、居場所を早く決めてしまおうという傾向が目立ちます。しかもそれが流行(はやり)のようになってきているので、よけいに心配せざるをえません。
いま私たちのまわりでワークしている図式は、「国家が国民を統制する」という古いものでなく、「国家と国民が役割を分担しあう」という柔軟で多様な関係です。個人の自己責任において、ほとんどのことが処理される時代なのです。ことさらに国家を前面に出して国民をコントロールしたり、国民の心の中に入り込もうとしたりするのは、時計の針を逆に戻す行為です。
一方、東西冷戦という強力な箍(たが)がはずれてから、もう15年あまり経過していますが、それにかわる新しい世界秩序は、残念ながらいまだに構築されていません。しかし少なくともたしかなことは、冷戦後の世界各地で起こった数々の紛争を見ても分かるように、各国が自分の利益やエゴを打ち出しぶつけ合っただけでは、なにも生み出さないばかりか、失うものが大きいという現実です。
ここでもう一度、私たちは日本がたどってきた歴史を冷静に見つめなおす時がきたと思います。もちろん卑屈になる必要はありませんが、有力な政治家がいったからとか、マスコミで報道されたからと、それになびくことだけはやめましょう。自分の頭で善悪を判断し、行動には責任を持つというのが「自律的市民」です。そういう人々の集合体として、「自律的市民国家」が成り立つのです。国家の利益ばかりを強調しようとする硬直した保守政治は、自律的市民国家にとって有害です。みなさんの心の中にも、それぞれ小さな警鐘を持ってもらいたいと思います。
これは メッセージ 1 (topics_editor さん)への返信です.
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